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野良猫問題

数日前から、空き家になっていた隣家の解体作業がはじまった。昨日、業者の人が、ご迷惑をかけますとあいさつに見えた。野良猫のことを気にしておられて、通学の子どもたちがエサをやったりしているので、解体作業中は危険だし、餌やり禁止の看板もあるから、今日でおしまいにしてねと言ったと話していた。優しそうな人だった。

少し前から、子どもたちが猫をかわいがろうとしているのは知っていた。あいさつもする、かわいい子たちで、きっと動物好きなのだろう。私も何も言わずにいた。業者の方が、そう言って下さったのはありがたいが、効果あるのかな。

庭をほぼ完全に片づけてから、おかげさまで、最近は猫の糞害がない。でもときどきいろんな野良猫が庭に来ているし、まだまだ全然油断はできない。奥庭の大半はレンガをしいていないし、トイレにされる可能性もまだある。

去年の10大ニュースを考えるヒマもなかったが、数え上げれば確実に、「私が生まれて初めて、猫という動物が大嫌いになった」というのが、ランクインするだろうなあ。

思えば、小さい時から田舎の実家では猫を放し飼いしていたし、母は晩年は十数匹も猫を置いて多頭崩壊寸前のありさまだったし、私も飼い猫が実家の庭で砂利の上にトイレをしている現場を見ても、ちっとも気にならず、かわいいとしか思わなかったのに。

まあ今回、ここまで私(や、ご近所の人たち)が追いつめられたのは、とにかく糞害の程度がひどく、猫の数も多すぎるということがあるだろう。そしてそれは、周囲の森や畑が開発されてほとんどなくなってしまい、完全な密集住宅地帯になってしまったことも大きい。私の田舎でも、少し離れた集落でエサをやっておられるお宅にしても、背後や周囲には、猫が暮らせる広い森や草地があった。そういう点では、野良猫を許容できていた環境が、まったく変わってしまったのだ。

餌やりをするお宅が、猫の生態にも性質にも詳しくなく、放っておけば年に数回出産して子猫が数匹ずつ増えていくという状況を多分予測できず、触ったり捕まえたりもできないから避妊や去勢に連れて行くのも不可能というのも、大きかったと思う。そして、周囲の人たちに理解を求めたり協力を頼んだりすることもなかったから、いっそ前向きに地域の問題にすることもできなかった。

ネットで見ると、同じように糞害で困っている人が、エサをやる人に共感し支持する人が多い地域なので、文句も言えないと嘆いていた。それもなかなか苦しい状況ではあるし、一時はじわじわ、餌やりをするお宅が増えて行きそうな気配もあった。一方で怒っている猫嫌いなお宅も多く、餌やりをしているお宅のご家族でも嫌いな人がいたりした。(だから外猫にするしかなかったのだろう。)下手したら本当に、野良猫問題は家庭も地域も引き裂きかねない。

環境の激変と、猫に詳しくないお宅の、多分手探りでの餌やりと多頭飼いの孤独な模索。不幸な条件が重なったと言えば言える。私の体調がよければ、もっと積極的に関わるのだが今はとてもその余力がない。結局、ある時点から私は口を出すのも関わるのもあきらめて、とにかく自分の家の庭をできるだけきれいにすることに集中しようと決めた。まあ、それしかなかったと今では思っている。

おやあ?
NHKのラジオで、翻訳家の方が源氏物語の解説をしているので、つい聞いていたが、夕顔にとりついて殺した霊が六条御息所だと説明しているけど、あれは今の研究では、あのあばら家にいた地縛霊みたいなのだという解釈になっていたのではなかったかしらん。最新の研究ではまた変わったんだろうか。

今見たら、そもそも「もののけ」でさえないって説もあるんだよね。森正人先生は信頼できる研究者だし。

しかし、ひとごとではないよなあ。私も学生にわかりやすく文学史とか教えているけど、最新の研究成果を常にチェックしておかないと、とんでもない古い情報で嘘八百を教えてしまっているかもしれない。よくよく気をつけないと。

昨日はつい調子にのって、またラナンキュラスを買いこんで、ユキヤナギのあった空き地に植えまくった。私はラナンキュラスは大好きだが、実は今まで庭に植えたことはない。その欲求不満がここに来て爆発した感じだ。無事に育ってくれるといいが。

でも、あらためて、こうして見ると、私の庭って、どこか荒々しいし雑なのよね。完璧にきれいに管理されてる感じじゃない。実はそこも好きなんだけどさ(笑)。

そうこうしている間に、横庭の「花畑」が雑草と枯れた花ですっかり荒れてしまった。安い花でも買ってきて、ちょっととりつくろっておかないといけない。

そうそう、「昔の庭」の謎の葉っぱの群生だが、「花畑」の端にも同じ濃緑のたくましい草むらが広がっていて、はったと気づいたのは、これは彼岸花の葉っぱなのだ。こうして葉っぱだけが冬に栄えて栄養を蓄えて、来年の秋には茎と花だけの豪華な風景を見せるのだろう。葉っぱだけでもきれいだから、いいや。

ちなみに、ウッドデッキに積み上げていた、切った木の枝は、おおかたを奥庭の隅の枯れ枝置き場に移動させた。まあこのくらいは残っていても、ウッドデッキを腐らせることにはなるまい。
トゲトゲのついた枝だけは、猫よけにウッドデッキの下にぎっしりつっこんでいる。多分これで防げるはずだ。

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カツジ猫