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金のフォーク。

◇昨日は上の家を片づけていて、ほこりまみれのボールペンなどのがらくたの中から、きらきら金色に光る、スプーンとフォークが見つかりました。自分で買った覚えはないので、多分叔母のものでしょう。薔薇の花の飾りが
ついていて、小さいけれどゴージャスです。さっそく下の家に持って来て、使うことにしました。スプーンが一個しかないのだけど、またどこかから出て来ないかな。
床も見えないほど、がらくたがあふれていた台所もやっと少しだけ片づき、居間も今週中には何とか住めるようになりそうです。

◇朝日新聞が全国の候補者にアンケートをしたのを、見やすくまとめてくれています。いろいろと参考にされて下さい。見ているだけでも、カーソルを動かすたびに、ちゃっちゃっと人の顔が移動して面白いです。

http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2016/asahitodai/ 

◇このブログを見に来て下さる人たちの中には、ものすごい左翼の方から、大変な右翼の方まで、さまざまな方がおいでのようで、昔、田舎の祖父の家に、地元の共産党の人から「帝都日日新聞」なんてのを出してた右翼の大物の人まで、しょっちゅう入りびたってたのを思い出したりします(笑)。

たまーに、その方々のブログを拝見して、こちらも勉強させてもらうこともありますが、ちょっと驚いたのは、左翼を滅ぼせと主張しておられる方のブログの記事で、体罰教師をこてんぱんにたたいておられる記事があったことです。

ほんのまだ30年ほど前までは、それこそ右翼も左翼もなく、小中高の教師は生徒をたたいていたし、それは親も社会も皆が認めていました。体罰否定を訴える教師はほんの少数で、「それではしつけができない、管理ができない」と誰もが言っていました。

私自身は、中学の時に鼻血が出るほど男子生徒がなぐられるのを日常的に見、自分も頭を棒でたたかれたりしたことをしつこく覚えていて、別に抵抗はしないし、おとなしくしているけど、ただ、「生徒に暴力をふるう教師は、他にどんな魅力があっても絶対に愛さない」と、自分に誓い、実行していました。

しかしその一方で、自分が教師になってからは、「いかなる理由があろうとも教え子はすべて愛する」ということも誓っていました。
それで私が大いに困ったのは、教え子が卒業して先生になって、それこそ男女ともに生徒をたたき、体罰を与えていると知ったときに、さて私は、彼ら彼女らを愛するのをやめるのかどうするかという、絵に描いたような「矛盾」でした(笑)。

私がその矛盾の解答を見つけ出せずにいる内に、世の中の方が変わってしまいました。体罰は許されなくなり、わずかでも与えた教師や組織は容赦なく処罰される。それで特に管理ができなくなったという話も聞かないのは、もちろん現場の先生方の血のにじむような努力もあったのでしょうが、やはり体罰は教育の場に必要不可欠のものではなかったのです。

そして今では、保守や右翼を公言される方までが、ブログで体罰を与えた教師を罵倒し弾劾する。もちろん教師をたたくのが日教組や左翼を攻撃することだという認識や判断がおありなのだとしても、「この場合は行きすぎとしても、管理に厳しさや暴力はある程度は必要ではないか」という疑問や迷いは、お持ちのようではない。そんなに若い方ではないから、体罰全盛だった時代をご存じでもあるのでしょうに。

はー、世の中は変わるのだなあ。そして、多分この方があまりお好きではないかもしれない「人権」も着実に確実に定着しているのだなあ。と、朝から感じ入った次第です。甘いかな(笑)。

◇さて今日はいい天気のようなので、猫が汚した毛布の洗濯でもすることにします。

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カツジ猫