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限りなく微妙…。

最近封切りづいていて、今日も「噂のモーガン夫妻」を見てきた。
ヒュー・グラントもサラ・ジェシカ・パーカーもけっこう好きで、二人ともうまいし、話のテンポもいいし楽しいし、退屈もしないでよかったけど、うーむ、しんからは楽しめない、何か微妙だったなあ…。

フェミニズムかジェンダーフリーの立場から身もふたもなく言ってしまうと、女が(ヒロインだけじゃないよ)いかにもバカなのが気に入らない、のだが、でも、こういうバカな女はいると思うし、私はそういう人のことわかるし、多分キライじゃないんだよなー。あ、現実にはキライかもしれんけど、映画や小説として見ると。

「セックス・アンド・ザ・シティ」(映画、「2」ができてるらしい、うれしい!)でも、サラ・ジェシカ・パーカーの役って、四人の中じゃ一番見ていてイラっとする人多いらしいが、私は彼女はそうイヤじゃない。あとの3人も大好きだが(特にサマンサ)、それとはちょっとちがった基準で、より現実的に彼女は描かれていて、欠点は多いし弱いけど、でもこーゆーとこをちゃんと描かないと、そして認めないと結局話は進まないって気がするのだ。現実にも。

今回の映画でも、同じような役で、そういう役やると一番輝く女優でもあるんだろうけど、彼女のそういう、あえていうなら「女性らしさ」を描いて、認めて、見つめて、受け入れる、その基準っていうか姿勢っていうか、それが「セックス・アンド・シティ」のそれとは、微妙にちがう…だけじゃなく、まちがってると私は感じた。

もちろん、難しいんだよねえ、そういうところは。
でも(以下ネタばれ)、これはニューヨークで華やかに生きて、愛に行きづまって離婚寸前の夫婦が、ひょんなことからすごい田舎でいっしょに暮らすしかなくなり、その中で田舎暮らしの人々とふれて変化してゆく、という筋だ。
まあこういうご時勢だから、そこはちゃんと田舎でも銃がうまい豪快な女性がいたりして活躍もするけれど、結局、男がマッチョな精神にめざめ、そんな彼を彼女が愛するという、古色蒼然としたパターンを根底にすえてしまっている。それじゃいくら何でも通らないから、あらゆる新しい要素をつけて今風にしているが、なんかもう、そこが妥協の産物で中途半端でつまらない。

いっそ、動物愛護とか女性の自立とかしゃれたこと言ってた町の夫婦が、保守的な田舎でそっちに影響されて生まれ変わるってストーリーにしてしまえば、まだいさぎいいのに。そんな映画私は大っきらいだし、多分ヒットもしないし、この二人の俳優も出ないかもしれない。それでも、そういう話にした方が、大嫌いでもまだ私には好感が持てるかもな。

だって、この映画は女性の生き方についても男性の生き方についても、とどのつまりはまったくわかってないし、わかる気もないし、ただ、今の流行に合わせて、誰にも文句言われないようにてきとーに作ってるだけ。そのてきとーさが一見軽さにみえて、しゃれて見えるんだけど、ほんとに軽いおしゃれな映画ほど、その底には重厚で尖鋭で明確な世界観や人間観があるものだ。この映画にはそれがない。一口でいうと、ニセモノだ。
ヒュー・グラントもサラ・ジェシカ・パーカーも、何でこんな映画に出ちゃったのかなあ。

でも、たしかにニューヨークの最先端の人たちに、こういう行き詰まりはあるんだろう。そして、それを解決するのに、保守的な田舎が使われるのも、そういう世界と大都会のセンスをどのように調整するかという段階まで、ことは進んでいるのかもしれない。
あ、私は結局見逃したが、「あなたは私のムコになる」もなんかそういう、飛んでるエリート男女が田舎暮らしでどうちゃらという筋じゃなかったっけ。ちょっと気になり出した。見といた方がいいかもしれない。

そして、いまどき「カールじいさんの空飛ぶ家」を見たのだが、これはまた、この次に。こちらはそれこそ、しっかり土台がありました。家の土台はない話だけどさ(笑)。宮崎アニメを彷彿とさせる映像も多かったけど、これだけ筋や哲学がはっきりしてたら、そんなこともまるで、気にならなかった。

ところで、予告を見ていたら「シャッター・アイランド」の吹き替えの脚本を戸田奈津子が担当するというんだけど、ど、ど、どうしちゃったのかしら?

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カツジ猫