黄表紙なんて知らん!
◎とおっしゃる方は、ぜひ一度「日本古典文学大系」でも「日本古典文学全集」でもいいですから、黄表紙の入っている巻をのぞいてごらんになって下さい。ばかばかしすぎて、大いに笑えます。
これは、江戸の中期に知識人がふざけて描いて、そういう大人の絵本になるのですが、もともとは子どもの本で、江戸時代の前半には、「かちかち山」とか「さるかに合戦」とか、そういう話が幼稚で汚い絵入りで描かれていたものです。
それが、子ども向きのまっ赤な表紙が、まっ黒な表紙に変わるころから、軍記物や演劇のダイジェストのような内容になって、わずかに大人向きになります。
そのあとがわからない。赤本、黒本、のあとに青本、という呼び名が当時あるんですが、青い表紙の本は残っていない。黄色い表紙の黄表紙しかなくて、これは大人の絵本で、社会風刺や古典のパロディを盛り込んでことばあそびをやっています。知的とは意味がないこと、というのをこれほどしっかりやってのけている文学も珍しい。
で、その謎の青本ですが、青い色ではないのですが、黄表紙の先駆のようなもので、当時青本と呼ばれている作品類はたしかにあって、ずっと以前、私の指導していた西村君という学生が、この青本類について卒論を書いたのです。
中身はもうあまり覚えていませんが(おいおい)、しっかりしたいい論文で、それを読んだり指導したりしている内に、私の頭の中には、あったりまえのことではあるのですが、
「黒本がちょっと成長して青本になって、それがある日一気に大人の絵本の黄表紙になったなんて、そんなこと考えてみたら、あるはずないよな。やっぱり黒本から青本へと徐々に変わって行って、いくつかの画期的な代表作はあったにしても、変化する土壌はもうあったわけで、つまり、黄表紙とその前の青本、青本とその前の黒本は、どこかで根続き、地続きなはずなんだよなあ」
という、強烈な実感が生まれました。
くしくも、それが今回、前の書き込みに書いた、北窓主人さんの馬琴のペンネームの論文と結びついて、「じゃ、絶対それは、黄表紙が寛政の改革で弾圧されて、しょうがないから長編化して生まれたという合巻にまで流れる底流じゃないのか」となったわけです。
いや、卒論指導はまじめにしておくもんですね。(笑)西村君は今ではもうベテランの教師になって大いに活躍しているようですが。
◎話はちがいますが、塩釜神社所蔵の「北越巡覧記」は、どこかの偉い僧が弟子を二人ほど連れて、六十六部(巡礼)になって、北陸道をまわるのですが、この人が誰なのかどこにも書いてないし、年号もわからないし、何とかしてくれ。
中身は面白いです。個人的感懐や感傷などはまったくなく、土地の伝説、寺の情報、特にそうやって巡礼してまわる様子が実に細かく書いてあって、作家やその筋の研究者には資料としては宝の山でしょう。名主の家とかによく泊っていて、その名前もすべて記してあります。加持祈祷など求められて、そこそこ偉い人のようですが、作者は。ちょっと真剣に調べたら、すぐ誰かわかりそうです。って、おまえ調べる気ないなと言われそうですが、今とてもそんなヒマは。
参詣記というのも江戸時代には多いのですが、他の紀行とちがって、参詣紀行は、妙に怪しげな、他のどこでも見ないような、変な伝説がよく紹介されています。一段深く地にもぐった旅のような印象がある。それと同じではないけれど、この紀行にもちょっとそういうにおいがするなあ。
しかし寒いですね~。いくら何でも、もうこれが最後の雪かな~。