映画「大奥」感想集映画「大奥」感想-4
私の性格がいいと思ってる人なんて、いまどき誰もいないだろう。だから多分大丈夫と思って正直なところを書いてしまうが、いろんなサイトの感想で、「『大奥』ものが好きなので、題名だけ見て内容を知らずに見に行ったら、とんでもない映画で驚いて胸が悪くなった。見なければよかった」とか言っている人を見ると、ものすごくうれしくなるのが、自分でも困る。
それはもう、明らかに邪悪なうれしさで、ざま見ろと思い、してやったと思い、いい気味だと思い、思い知ったかと思う。表向きには口がさけても言えるような感想ではないが、心の奥底、魂の中心で、じわっと黒い喜びがこみあげてくるのを我ながらどうしようもない♪(←つけるかね、こんなの)。
ちなみに、もうちょい続けると、そういうこと(「大奥」ものが好きだから見に行ったらちがってて失望した、みたいなこと)、私なら死んでも書かんなあと思う。まあ私がそんな感想持つことはあり得ないわけだが、そこを無理してそういう感想持ったとして、私ならそんなこと書かないし、自分の中でも認めないぞと思う。そんな恥ずかしいこと。
要するに、こういう感想書く人は、それが恥ずかしいことだってことさえ感じないでいるんだし、それが人にわかるってことも気にしてないんだなあと思う。何てみっともない、と思う。あ、しかしながら、こういう私の感覚は最近のCMにつく字幕じゃないが、あくまでも個人の感覚であり、決して一般に通用するものではないから、言われた方もどうかショックは受けないで下さい。
どうせ反感かうだろうついでに、行きずりのとばっちりで切り捨ててしまうと、これも、どこかのサイトの感想で、この映画はしょせんボーイズラブ好きのための設定で、そういうのが好きな人って、子どもを生む苦しみや子どもをなくす苦しみなど決して知らないままの人なんでしょう、みたいなことを書いているのがあって、昔はこういうのはわりとざらにあったものの、最近そういう言い方をあんまり見なくなってたせいか、なつかしく新鮮にあらためて、きったないものを見せられたような気持ち悪さを味わった。
この映画がボーイズラブを描きたくて作られた映画だとは私は感じなかったし、またボーイズラブそのものに関しての意見は書けばまた山ほどあるから、ここでは省いておくとして、この手のものの言い方に私がしんそこうんざりするのは、多分いくつか理由がある。それは前に書いた「大奥」ものが好きと多分何の警戒もなく言える神経と共通するところがある。
私はボーイズラブにもその愛好者にも特に詳しいわけでもないが、そんな私でさえ、ボーイズラブが大好きで、しかも子どもを生み育て、あるいは子どもを亡くす悲しみを知っている人なんて、そこそこいるのではないかと予測する。これをいないと思いこんでいると天下に公言するにもひとしい、その発言の不用意さ、自分は絶対多数派で安全と思いこんでいる油断と不用意に、私はまず、ひとごとながらひじょーに、いらつく。
そのこととつながるだろうが、自分がボーイズラブを嫌いでも気持ち悪くても、それはまったくかまわないけど、ボーイズラブを好きな人を攻撃批判するのに、子どもを生んで育てるとか子どもを死なせるとか、そういう大切で神聖で尊い(と少なくとも私は思っているのだが)ことがらを、武器や手段として使う神経がこれまた安易すぎて、逆にそういうことがらを、この人はちっとも大切にしていないんだということが、スケスケにわかってしまう。自分が自分の嫌いなものを攻撃するのに、大切にしているものを矢面にたてるバカがどこの国にいるものか(まあ、いるわけだけど)。そういうことを告白してるとさえも気づかない、そののほほんとした気分がいやだ。何かを攻撃するときは、もうちょっと慎重に心をこめてやるもんだろう。
人を批判してばっかりも何なので、私の方も恥は承知で自分の好みを公言すると、何をかくそう、これまで口にしたことはないが、私は映画でも文学でも「大奥」ものと「吉原」ものは、絶対に嫌いである。どんな名作でも見る気がしないと断言できる。そんな私に助かるのは、今回の「大奥」の映画など見ると、私はいったい、それらの何が嫌いだったかが、あらためてはっきりとすることである。つまり、男女が逆転したら、私は大奥や吉原がそれほどいやじゃなくなるのか。それともやっぱり嫌いなのか。それを知るのに、とても役立つ。
あ、こう書いただけで、もう制限字数を超えそう。続きはまた。