江戸文学その他あれこれ14-どこかに美しい村はないか
1 幸福の映像
ひとつ、空想してみていただきたい。あなたが現在あるいは未来において、そこに行けたらいいな、暮らせたらいいなと思っている生活、人生のその場所を思い描いていただきたいのだ。なるべく具体的に、ひとつの国か町か村の映像として。
あるいはこう考えていただいてもいい。あなたが小説を書くとする。それも子ども向けのファンタジ-のようなものを。その中で最後に登場人物たちがたどりつく理想的な平和な幸福な世界、あるいはSFの冒険小説などによくあるように、怪物や悪人たちからあとかたもなく破壊されて消されてしまう美しい国、そういう場所を読んでいる人たちに「ああ、ここにたどりつけてよかったなあ」とか「ああ、ここをほろぼすなんて何とひどいやつらだ、許せない」とか感じさせるために、とても生き生きと描かなくてはならないとする。そういう時、あなたはそこを、どういう場所として描こうとするだろうか?
さて、あなたが描いたとして・・・その場所は西洋風ですか、日本風ですか、それとも中華風ですか?
2 ナルニアとカロ-ルメン
C・S・ルイスの有名なファンタジ-長編小説「ナルニアものがたり」を私は大学時代に読んだ。そして、あちこちの美しい描写や巧みな筋立てを楽しんだものの、いろいろな理由があってあまり文句なしに感動したとは言えない。たとえば次のような点にも私は反発した。第四部「馬と少年」の主人公はシャスタという少年ではじめはカロ-ルメンという国に住んでいて、「うす汚れた長上着を着て、足にはつま先のそり曲がった木ぐつをはき、頭にタ-バンをまいて、あごひげをはやし、ぼそぼそと退屈そうな調子で話しあっている」ような土地の男のひとりである父親に、こきつかわれたりなぐられたりしてくらしている。そこへ旅人がおとずれてシャスタを奴隷として買いたいと言い出し、父親は実はシャスタは昔拾った子であることを告白する。(「この少年がおまえのむすこでないことは明らかだ。よいか。おまえの頬は、わしと同じように黒っぽいが、あの少年は白く美しく、まさに、北のはてにすむ、あのいまわしいが、美しい野蛮人のものだ。」と旅人に問い詰められて白状するのである。)ところが、旅人の乗ってきた馬がこっそりシャスタに人間のことばで話しかけ、北の国の自分の故郷ナルニアへと、いっしょに逃げようとシャスタを誘う。その時の馬のせりふはこうである。
ナルニアは、しあわせの国なんです。ヒ-スのしげる山々があり、タチジャコウ草のかおる草原があり、たくさんの川が流れ、さわさわと小川のわたる谷間があり、苔むす洞穴があり、小人たちのつち音がひびくふかい森のある、国ですよ。ああ、ナルニアの空気のおいしいこと!ナルニアに一時間くらせば、カロ-ルメンに千年いるよりは、ずっといいんですよ。
結局、少年は馬と逃げ出し、北へ向かう。途中でタシバ-ンという大きな都を通る。その都は次のように描かれる。
はばひろい川が二すじにわかれて、その流れにはさまれた島に、この世のおどろきの的、タシバ-ンの都がありました。島のまわりは、縁(へり)にそって高い壁がめぐらされ、そのすそ石は流れに洗われ、高壁は、シャスタがかぞえはじめてみたもののすぐ、うんざりしてやめてしまったほど、たくさんの塔でかためられています。壁の内側は、島ぜんたいが一つの丘のようになっていて、その丘は、ティスロックの宮殿とタシの大寺院がある頂きにいたるまで、びっしりと建物でおおわれ、段庭の上に段庭を重ね、大通りの上に大通りを走らせ、電光のようにつづく道や、大きな石段がそうそうとつづき、道や石段の両側に、オレンジの木やレモンの木が植え込んであります。また、屋上庭園、バルコニ-、ふかいア-チのトンネル道、柱廊下、とんがり屋根、胸壁、祈りの塔や小尖塔などでいっぱいなのです。そのうち、とうとう朝日が海からのぼり、大きな寺院の銀板ぶきの円屋根が日の光を反射させるので、シャスタは目がくらみそうでした。
タシバ-ンの門の中にはいって、まず気がついたのは、この都が遠目ほどすばらしいところではないことでした。最初の通りはせまく、両側の家々の壁には、窓もろくにありません。通りは、シャスタが思ったよりも、ずっとこんでいました。一行といっしょに町にはいってきた農夫たち(市場にいくところです)もいますが、そのほかに水売り、菓子売り、人足、兵士、乞食、ぼろをまとった子どもたち、めんどり、まよい犬、素足のどれいなどもいます。みなさんがそこにいあわせたら、みなさんはまず、風呂にもはいらない人たち、洗ってもらったことのない犬、香料、ニンニク、タマネギ、いたるところにあるごみの山からくるにおいが気になるでしょう。
まもなく、一行はりっぱな通りへ出ました。そこには、カロ-ルメンの神々や英雄たちの大きな彫像が、ぴかぴかかがやく台座にたっていました。像の多くは、見て気もちがいいというよりも、むしろ強烈な感じをあたえるものです。ヤシ並木や円柱の立ちならぶ屋根つきの歩廊が、やけつくような敷石の道にかげをなげています。立ちならぶ宮殿のア-チ形の門を通して、緑の枝や、涼しそうな噴水や、きれいに刈られた芝生がシャスタの目にはいりました。なかはどんなにいいだろう、とシャスタは思いました。
都の豪奢、人々の雑踏、香料の匂い、水売り、そして貧富の差。ルイスが的確な文章で鮮やかに描き出す、この架空の大都会は、どう見てもオリエント地方の風景だろう。それは読者の心を魅了する美しさをも充分に持っている。しかし、そのような異国情緒を読者に充分楽しませ、自分もおそらくかなり愛して書きながら、結局ルイスはこのファンタジ-で、このような都と、そこに住む人々の生活を、理想の国であるナルニアと敵対する悪の役割としての位置におき、主人公たちが対立し戦う存在として描く。カロ-ルメンは野蛮と未開の象徴でもあり、しかもこの国の人々自身はナルニアのことを「北の野蛮国」とくりかえし言うことも含めて、それは一種の揶揄もこめて描かれている。このような作者の姿勢が私はどうしても不快だった。
そして、最後に一行がたどりつくナルニアの国の生活は次のようなものである。
そういうそばから、ジュ-ジュ-という油のやける音といっしょに、なんともいえないいいにおいがしてきました。そのにおいは、みなさんならきっと知っておいででしょうが、シャスタには生まれてはじめてのにおいでした。それは、ベ-コンと卵とキノコをいっしょにフライパンでいためているにおいだったのです。
シャスタは、キツネ色のうすく切ったものが何かさえも知りませんでした。なにしろト-ストをまだ見たこともなかったのです。ト-ストにぬってある黄色のやわらかなものが何かも知りませんでした。カロ-ルメンでは、たいていの場合、バタ-のかわりに油をぬっていたのです。それに、家そのものが、アルル-シュのうす暗い、むっとする魚くさい小屋とも、また柱の立ちならぶ、じゅうたんを敷きつめた、タシバ-ンの宮殿の広間ともまるでちがっていました。屋根は大そう低く、すべてが木でできていて、カッコウ時計があり、赤と白の格子縞のテ-ブルかけと、野の花をさした花びんがあり、厚いガラスのはまった窓には、どれも小さな白いカ-テンがついています。
ここには、これを読む子どもたちが日常体験しているだろうイギリスの生活への愛情と自信があふれている。しかし、そこには異国の文化に対する理解も受容も尊敬もない。ことわっておくが、イギリスでも他のどこのヨ-ロッパの文学でも童話でも、こうでないものはいくらでもあり、ルイスのように徹底してイギリスの生活や風物を理想のものと描くこのような姿勢はむしろ珍しいとも言える。だがまた一方で、このような無邪気なまでの「この国で暮らすのが幸福」「この国に来た異国人は幸運」といった思考は、外国映画や小説にどうかすると結構しばしばあらわれる。ルイスの描写は美しく、話の展開は巧みである。しかし、このような小説を読んで愛して育った子どもたちが、東洋や異国に対してどんな感情を抱く大人になるかを考えると、私は絶対、この作品を楽しめない。自分たちの国での暮らしや生活をすることが人間のすべてにとって幸福という思いこみ、それを知らない人間は不幸であり滑稽であり、自分たちの国におとずれて、そこの生活習慣にとまどいつつとけこんでいくことは異国の人にとって成長であると信じて、子どもを見るようなやさしいいたわりと余裕のある微笑で面白そうに見守る、この態度を私はたとえばスパイ小説や冒険小説でソ連の美人スパイや偉大な軍人などが米英側に寝返ったりする時の描写にさえも、よく感じることがある。たとえば007シリ-ズの小説「ロシアより愛をこめて」にしろ、最近の映画「レッド・オクト-バ-を追え!」にしろ。亡命する立場の人たちの故郷を捨てる苦悩や複雑な心の葛藤を全然思いやらず、こっちに来て幸福でしたねと手放しで祝福する。自分たちの国や体制がすばらしいものであると確認することは、そんなにうれしいものなのだろうか。やってきた人にとっては、そこはやはり異国でしかないのだという思いやりは、考えつけないものなのだろうか。貧しくても汚くても、自分を苦しめても、やはり故郷や祖国は人にとってなつかしく愛しいものではないかという疑いさえも持たないのだろうか。
少なくとも、私はルイスの小説の、この部分を読んだ時、かなりあきれて腹を立てた。やってくれるじゃないのさと思い、イギリス人であるあんたにとっては、白いレ-スのカ-テンが風にそよぐ家とか、緑の木々のある村々は安らぎの象徴かもしれないが、アラビアあたりの人にとってはタマネギのにおいのする町だの、ごったがえす人ごみだの、砂漠と赤い夕日だのがそうかもしれないだろうがと、憤慨して考えたのである。そして、人間が悪を描く時は、自分の知らない異境の風景や風習をそれにあてはめやすいという例として授業などでもこの部分を紹介したりしたことがある。
3 近代日本のユ-トピア
ところが最近、私は少し不安になった。アラビアの人はどうかわからぬが、少なくとも日本人が本当に幸福で平和な理想の村や家を、このようなかたちで描けと言われたら、結構多くの人が、このルイスの描写に近い「どこか西洋風の」家や村をイメ-ジしそうな気がして来たのだ。私自身もそうだし、特に近代の日本人なら。いったいどれだけの人が、はじめに聞いたように、幸福の象徴のような生活の場所を空想して描けといわれて、日本の田舎の生活・・・わらぶき屋根や、鎮守の森や、いろりの火などを考えるだろうか。たとえば宮沢賢治などがどんな風景を連想するか予想もつかない気がするが、日本の近代の特に知識人にとっては、そういう「美しい村」のイメ-ジは絶対ヨ-ロッパ的なものになっているのではないかと思う。茨木のり子氏の美しい詩「六月」でも、登場する村や町はどことなく外国の雰囲気が流れている。
六月
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむけるどこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちるどこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
貧しい生活の中で、自分にはついに訪れることのないだろう幸福を夢見て石川啄木が歌った詩「家」では、はっきりと「西洋風」と言う語が出る。
場所は鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷(ふるさと)の村のはずれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構へ、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても
広き階段とバルコンと明るき書斎・・・
げにさなり、すわり心地のよき椅子も。
このようなイメ-ジは日本の近代文学の中をさがせば、ずいぶん例が見つかるだろう。そして今でも、知人の英文学者の四十代の女性が、「イギリスの田舎」を明確にひとつの理想として、そのような場所での生活を夢見ていることを思うと、私も含めた近代の日本人の多くが、「美しい村」を連想する時、自分の故郷をそれに無心に重ねあわせることができず、異国の風景を描いてしまうというのは、あるいは不幸なことなのかもしれない。いろいろの理由があるにせよ、これから先はどうなるかわからないにせよ。
4 わらぶき屋根の理想郷
以上のようなことが気になった私は、回りの人たちに最初にあげたような質問をしてみた。すると意外なことに、私に聞かれた数名の男性大学教官は結構「わらぶき屋根といろりのある日本の村」をあげたのである。小川が流れて田んぼがあるとか、手前に木が繁っている山村であるとか、微妙なちがいはあったけれど。「自分がそういうところの出身だもの」「もうそこには戻れないと思うとなつかしいのさ」などという説明もあった。それを聞いていた別の女性は「でも、いろりとか、そういう暮らしって寒いし不便じゃないんですか」とたしかに当然の疑問を示した。本来、日本の田舎の暮らしは、わらぶき屋根にしても、いろりにしても、そういう寒さや不便さや、ひいては封建性だの後進性だのの象徴でもあったはずである。したがって、近代の自由とか文化とか進歩とかいうものを愛する人にとっては絶対に否定しなければならないものだった。しかし、そのような生活は、すでになくなりかけ、遠い過去になった分、美化されて、かつての日本における西洋と同じように異境になり理想化されはじめているようである。
近代文学研究者の井上洋子氏に、別の機会に同じ質問をすると氏は、自分のユ-トピアはやはり西洋風であること、自然というものが欠かせない条件であること、人が少ないかいない方がよいことなどをあげ、しかしこういうユ-トピアというものは本当は破壊しなければいけないとも思うのだが、と反省もしながら、日本近代のユ-トピア感覚についてさまざまな貴重な示唆をしてくれた。近世からひきつがれる中国思想の影響としての桃源郷、キリスト教にもとづくエデンの園のイメ-ジ、また失われた故郷の田園風景、サフランの花とココアに象徴される都会生活、など、ひとつひとつ大変面白かったが、それはいずれ氏の研究として紹介していただくのを待つこととしたい。ただ、やはり、失われた過去であれ、手のとどかない異境であれ、現実の目前には存在しないことがユ-トピアのひとつの条件ということは言えそうだと二人は話し合った。
では、これはどれだけ日本の、あるいは日本近代の人々の特徴なのだろうか?アメリカ映画「真夜中のカ-ボ-イ」に登場するニュ-ヨ-クの青年が、死ぬまでフロリダの生活を夢見つづけ、イギリスの現代劇「花咲くチェリ-」の主人公のサラリ-マンが都会生活の中で病的なまでに田舎の暮らしにあこがれるのなどを見ていると、どこの人にも共通することかも知れないと思う。また、小説などを読んでいての漠然とした印象だが、西洋文明の大きな基礎であるギリシャについてはイギリスの人などでも、訪れたい、暮らしたいというあこがれはある気がする。(ただし同じぐらい大きな基礎であるキリスト教については、ナザレの村やエルサレムにそういう情熱を感じる人の登場する文学をあまり思い出せない。)
もちろん、その「花咲くチェリ-」にしろ、またギッシングの小説「ヘンリ・ライクロフトの私記」が、異国へのあこがれとともに、繰り返し自分の住んでいるイギリスの田園風景をたたえるのなども見ていると、ルイスが「ナルニアものがたり」でイギリスの田舎を理想郷として描いたのも、単に身近なものを愛しただけではなく、客観的にもイギリスの田舎は誰が見てもそれだけの魅力を持つ場所であるのかもしれない。しかしまた、ヘンリ・ライクロフトは(そして作者のギッシングも)田舎に暮らしていたと言っても、そこで畑を耕して働いていたわけではない。その土地に働き生活する人々にとっては、そこがどんなに美しい風景でも理想郷として感じられたかどうかは、また疑問である。「アラビアやアジアの人たちは住宅事情やその他のいろんなことがかなり悪い人が多いし、そういう人たちは自分の国や村を理想郷とは感じないんじゃないですか」と、先にいろりの生活について疑問をはさんだ女性は言った。それは、イギリスやアメリカでも都会の最も底辺の生活をしている人は同じことだろう。
ではやはり、日本でも外国でも、よそから訪れて滞在しているようなかたちで、その土地を見ている人は別として、どの土地でも、そこに暮らす人たちにとっては、そこは決して理想郷にはならず、目の前にない遠くに人は常にあこがれるということはあてはまるのだろうか。ただそうなると、日本の現代の特に若い人たちが夢見る理想郷とは、どんな場所になっているのかが少し気になる。近代の作家たちが夢見ていた、ちょっと西洋風な生活は今では都会でも田舎でも、むしろ普通になっている。大抵の家庭は窓に白いレ-スのカ-テンがそよいだり、コ-ヒ-とパンで朝食をとったりする毎日を送っている。田舎も都会も似てきている。日本と外国も驚くほどの差異は次第になくなってきている。そんな中での現代の人々が描く、美しい村や町の美しい生活とは、結局、失われた過去の日本の風景なのだろうか。それとも他のどういうものになるのだろうか。
大島弓子氏は漫画「綿の国星」で、古いアパ-トで猫と暮らしていた孤独な老女が死んだあとに行った(のを猫が見てきた)世界として、きれいで明るい喫茶店があり、近くの道路を野菜を積んだトラックが走る、大都市近郊の小さい街のような場所を描いている。老女はその街の喫茶店でお茶を飲んでいて、草むらの中から自分の猫がこちらを見ているのに気づいて「ああ、またああして、こっちを見ている」と言って笑っている。老女が死後に暮らす現代の「天国」を氏は、このようなかたちで描いた。たしかに案外このあたりが、今の日本の多くの人たちが夢見る、最も幸福な場所なのかもしれない。
(1992・10・29)