江戸文学その他あれこれ6-江戸時代は好きですか?

江戸時代をどう評価するかということが、この十年ほどの間、話題になっている。特に戦後の学校教育で封建制度の下の暗黒時代で、厳しい身分制度の中、女性も庶民も抑圧されたひどい生活を送っていたと教えられてきたことに批判が高まり、もっと幸福な時代だったという言い方がしきりとなされるようになった。

私は極論や過激な発言が大好きで、特に世間や周囲の意見が概ね同じ方向になろうとしていると、まず絶対にそれと反対の事を言うことにしている。そんな私には不本意だが、この問題について私は「たしかに従来の見解に見直しは必要だが、見直し過ぎるとまた別の幻想や固定観念にとらわれることになるから用心しよう」という、わりと常識的で無難なことしか言えそうにない。

1 あこがれている世界がありますか?

ものすごく根本的なことから話を始める。

私の大学生時代、先生方からいつも言われたのは、「現代人の目ではなく、その時代の人の目で古典を読め」ということで、これは多分本居宣長の時代から言い継がれた国文学という学問の基本でもあるだろう。また、近代や戦後のマルクス主義やフェミニズムの立場からあらゆる文学や芸術を裁断し評価してゆくという方法論の心地よさと乱暴さへの危惧もそこには流れていたはずだ。

さはさりながら、私自身はいつもそうであるように、何だかよくわからない話は何かの参考になるかもしれないといつもとりあえず戸棚にしまっておくように(シャーロック・ホームズが聞いたらさぞバカにするだろう)、この教えも忘れはしなかったが決して胸に落ちたというのでも納得したというのでもなかった。反発も違和感も感じたのではない、ただ理解できなかった。

その一番の原因は、そもそも私自身が現代的とか近代的とか常識とかいうものと無縁の人間と自分で感じていたからだ。幼い時から家族や学校でも楽しく暮らしてはいたが、いつも違和感ばかりで日本人だか現代人だかそういう人たちすべてと何かの感覚や道徳を共有していると感じたことがまるでなかった。

それでも不幸でも不便でもなかったから、私は人間は価値観の異なるどうしでも大丈夫皆仲よく生きて行けるという実感はあったが、それでもなお、自分の中にある、さまざまな欲望や嗜好や趣味はとてもあからさまにできるものではないとはっきり思っていた。それはたとえば、動物の方が人間より大事とか、皆といるより一人の方が幸福とか、男に守られるより男を守りたいとか、今考えると何ひとつ異常ではないことばかりだが(そうか?)、私の幼少年期つまり今から五十年ほど前には、精神病院に入れられても文句は言えないかもしれないほど異常な少数派だった。

私がそういった危険思想の数々を胸にしまって平気でいたのは、むしろ洋の東西の古典文学を読んで、遠い昔や遠い国では別にそんなの異常じゃないと漠然と思っていたからで、だから周囲の現代人より古典文学や海外文学の登場人物の方がよっぽど身近で同じ視点を持てていた。「現代人の目で古典を見るな」と教えられたとき私がとっさに感じたのは、「ひゃ~、現代人の目って何だ、まずそれを身につけることから始めないとならん」という困惑と動揺だったわけだ。

もうひとつ、こうやって幼いころから「周囲と自分はちがう」と思い、エイリアンかスパイのような目で、家族や友人や世の中を観察していると、ずるずるじわじわ変化して行く世の中の様子が、そういうことを考えないで生きているのとちがって、ものすごく明確にチェックできる。

私の最初の教え子が学校の先生になったころは、まだ三十年ぐらいしか前ではないが、体罰なんかごく普通で否定する人の方が異常に見えていた。(私なんぞ高校時代の体験から「体罰を加える教師は絶対に愛さない」と決めていて、その一方「自分の教え子はすべて愛する」とも決めていたから、じゃ体罰を生徒に加える教え子はどうするんだと、この絵に描いたような矛盾をどう克服しようかと真剣にあれこれ考えていた。)週刊誌はレイプ犯を英雄扱いした記事を平気で載せていた。同性愛は病気として心理学者がその治療法を新聞などで教えていた。今回の震災で人間とともに動物救援がさまざまな団体によって行なわれたのも昔なら狂気の沙汰とみなされただろう。今なら考えられない感覚や常識が普通に皆のものだった。だから私は、今のこの状態もまた、これからどのようにどう変わるかはわからず、何事も不変のものはないと確信している。

この数十年でさえそれだ。現代、近代、江戸時代、とまとめて何かが言えるような時代の空気や雰囲気がそもそも私には想定できない。

さて、それにしても、江戸文学を研究する者として、あなたは江戸時代にどんな印象を持つのか、そもそも好きか嫌いかぐらいは言ってみろと言われると、これがまた私は困る。江戸時代が好きでも嫌いでもないなら、あなた自身が好きな世界や時代はあるかと言われると、これがまた非常に困る。

イギリス文学を読んでいると、あそこは霧の深い暗めの国だからか知らないが(ただのイメージです、これも)、「モーリス」だの「ヘンリ・ライクロフトの私記」だのと陽光あふれる地中海やギリシャ・ローマの古典文学に無条件にあこがれている知識人がよく登場する。また「シェリタリング・スカイ」でも「アラビアのロレンス」でも「エマニュエル夫人」でも「黒水仙」でもコンラッドでもゴーギャンでもいいが、映画でも文学でもヨーロッパ文明に疲れて、神秘の東洋に耽溺していく西欧の人々が、これまた多い。

その一方でまた、横光利一の「旅愁」やら遠藤周作の「留学」やら、ヨーロッパ文明を愛したはずが現地に行ったら黄色人種としての劣等感に悩まされる日本の知識人の心情を描いた文学も存在する。

語学はからっきしだめで、海外旅行の体験さえろくにない私だが、こういう作品の数々から漠然と感じるのは、人は今の自分の居住する文化圏以外の世界に熱烈な愛情を感じることもある一方、それに幻滅することもあるのだという、まあきわめて当たりまえのことである。
そして、自分の生活圏以外の世界に憧れるということは、楽しい一方、やるせないもどかしいことでもあるなと実感する。

それは読書から得た知識にすぎなくて実体験ではないではないかと言われるかもしれない。だが、私自身の体験としてもその感覚はわかるのだ。

幼いころ私は田舎で過ごしていた。家庭でも学校でも幸福だったが、愛した世界は本の中にあった。だからどんなに友人たちと仲よくして楽しく毎日遊んでいても常に強烈な疎外感があった。だからって別に不幸ではなかったのだが、自分の住む世界はここではないといつも感じていた。

だが、実際に親戚の家に滞在し、本の中で知っていて、空想の中で住んでいた都会に行くと、そこでは私はエスカレーターの乗り方一つにもとまどう田舎者でしかなかった。そこに暮らす人たちは私の空想の中の人々そのままだったが、そこに私の居場所はなかった。

その落差と、その不安定さは都会に行くたび、強く私の印象に残った。田舎でも都会でも私は異邦人で不完全で脱落者だった。

空想の世界を愛し夢見ることはやめなかったが、いつからか私ははっきり自覚するようになっていた。私がどんなに愛し理解したと思っていても、実際に愛して理解もしているにしても、どんな国でも時代でも、それは決して、その国やその時代そのものではない。私が知識や空想で理解し愛して築き上げたものであり、それは限りなくその国や時代や世界に似ていても、決してそれそのものではない。だからと言ってそれが無意味とか空しいとかいうことはないし、きっと私にも他人にも、対象となるその国や時代にも何かの役にはたち、よいこともあるだろうが、ただ、どんなに努力してもしょせんそこには行きつけはしない。私は奇妙な二重生活のなかで、二つの世界を愛しながら、それなりに双方にとってよい結果となる生き方をめざして行くしかないだろう、と。

それは今でも続いている。旅先の土地でも他人の生活でも、自分自身のものでない限り、私は決してそれが完全に理解できるとは思っていない。だからこそ、敬意をもって大切にしたいし、自分との間の距離を知っておきたい。江戸時代もまた、むしろ小説の読者や映画の観客として楽しく空想できるならまだいいが、研究対象として見ようとすればするほど、その雰囲気も感覚も何ひとつわかっているとは言えなくなる。

多分、ひとつひとつの作品は理解できる。そこにあらわれた作者の心も理解できる。それを生み出した背景や時代や社会も多分理解できる。だが、そこまでだ。それ以上の何かがわかるとは思えない。少なくとも私の場合、それがわかったように思えても、幻想かどうかの区別はつかないだろう。

ちなみに年を取ると、まとまってくる考えの大半が、以前どこかで書いたもので、手間が省けるような、くりかえしが面倒なようなものだが、私の場合特に困るのは、この晩年になって煮詰まってきた考えの多くが、二十代から三十代の若いころ浮かれて書いた超少女趣味的な小説の中に、すべて、きちんと書かれていることで、この都会と田舎の問題も源平時代を舞台にした「吉野の雪」という小説の中で、かなりわかりやすく書いてしまっている。よろしかったら、まあ、ものすごくおひまだったら、そちらをごらん下さい。

2 世の中はよくなっていますか?

江戸時代を現代と比べて高く評価し深く愛するときに、その前提となりセットになるのが、「人類は進歩発展するわけではない、そんなのはまやかしだ」という実感もしくは理論である。いつもというわけではないが、時にはそれは左翼的な思想やマルクス主義への批判とつながる。

私はその間の事情と言うか実態が、どうもよくつかめないままだったのだが、たまたま小林よしのりの「脱原発」を読んだところ、どこまで正確かはともかく、その「進歩主義」批判が、大変わかりやすく明確に書いてあって助かった。もとは漫画だが、説明の文章だけでもわかると思うので、紹介しておく。小林氏の魅力の一つだろうが、よかれあしかれ、これだと大変わかりやすい。

「進歩主義」とは「近代主義」であり、それは「左翼」の思想なのである。
「進歩主義」が誕生したのは、そんなに古い時代ではない。
17世紀、ルネサンスや科学革命で人間が自然を克服できると思いあがるようになり、その思いあがりを政治・社会の分野にまで拡大することによって発生したのだ。
それまでは「人間は進歩し続けるものだ」なんて発想はなく、世の東西を問わず政治や社会を考える際には、決まって古典に還ることが重視されていた。
今も常に「歴史は繰り返す」と言われるように、人間は決して「進歩」などしない。
いつまで経っても愚かであり、どんなに時代が変わっても似たような間違いを起こすものだ。

その中で道を誤らないようにするためには、常に歴史や伝統を意識しなければならない。
「保守」とは本来、そういうものだろう。
「進歩主義」はフランス革命やアメリカ建国に強い影響を与え、ダーウィンの進化論とも結びつけられ、様々なバリエーションを生みだし、世界中に絶大な影響力を持ったまま今日に至っている。
わしはマルクス主義を「史上最大のカルト」と言ったことがあるが、これとてプロレタリアートが革命によって平等な社会を勝ち取れるように「進歩」していくという、進歩主義のバリエーションにすぎないのだ。
20世紀後半の米ソ冷戦時代は、資本主義と社会主義の対立と言われたが、元をただせば進歩主義と進歩主義の対立だったのである!

(小林よしのり『脱原発』 小学館 二〇一二年)

まだまだ続いて面白いのだが、長くなるのでここまでに。まあ人類や世界の発展進歩が望めないから核武装をしようということに行きつくまでには、いろんな選択肢があるとは思うが、な~るほどと何となく、この考え方の全体像が見えてはくる。

結論から言うと、私はこの考え、この感覚にはくみしない。そもそも、これも私の感覚にすぎないが、私は「世の中がよくなる」「未来は明るい」といういわゆる進歩主義が、少なくとも私の周囲では多数で大勢を占めていたことなど生れてこのかた一度も知らない。老いも若きも左翼も右翼も「昔はよかった、世の中はどんどん悪くなる」と言うことしか言っていなかったとしか感じない。

たしかに共産党の発行する新聞や雑誌には、悲惨な現状とともに、希望を抱く要素の報道もされるし、一般の新聞雑誌も基本的にはそういう調子でものを言うが、それは仏教の極楽浄土、キリスト教の来世、太平洋戦争時の大本営発表、ハリウッド映画のハッピーエンドと同様の(って、この全部をいっしょにしてはいけないだろうが)、慰めでありサービスであり、基本は「こんなになってしまったのは誰のせいか、何とかしなければいけない」ということを誰もかれもが言ってきたとしか見えない。

私はバブル期とやらに何のぜいたくをした実感もないし、三丁目の夕日の世界なんか思い出しただけで吐き気を催す。だがその一方、日本の戦後、つまり私が生きてきた時代をまったく評価しないで、右翼も左翼もそれぞれに、日教組や自民党が国をだめにしたと言い続けているのも、それはそれでどうかと思う。

私は最初に書いたように、基本的には世の中や周囲の多数や大勢の意見とは反対の立場をとることをモットーにしている。だが、最近の世の中では何が多数か大勢かわかりにくく、江戸時代が暗黒の時代だったとか理想の世界だったとかの、どちらが主流なのかさえ、今はなかなか微妙である。さらに、小林氏の概説を読んでさえ、「進歩主義」は崩壊しつつあるのか、まだ強大な勢力なのかは判断が難しい。

戦う相手を「強力な既成勢力」と位置づけて、その一方で自分の側を「近年、打ち勝ちつづけている新しい正義」としてアピールするのは、だいたい戦いの基本である。「滅びゆく正義」に捧げる白鳥の歌が受けるのなんか、せいぜいが文学の世界でしかない。まあここで、そんなレトリックに関わっていたら話が進まないから打ちきるが、要するに、今の私の感覚では「進歩主義」なるものがそんなに強固に私の周囲に存在していた気がしない。だがまあ、これも、私のいた場所やつきあった人や読んだ本や、何より私自身のものの見方や感じ方にもよるのだろうから、どこまで客観的に正しいのかはわからない。

自分の限られた体験や知識で言うと、私が「世の中はよくならないと、けっこう皆が思っている」ということを知ったのは、三十年ほど前に初めて就職した大学で「文学概論」みたいな科目を担当し、専門外のいろんな分野を勉強しないわけに行かなくなって、児童文学に関する本をいろいろ読んだときだった。細かいことはもう何一つ覚えていないが、最終的に強烈な印象として残っているのは、第二次世界大戦までは、科学や人類の未来を信じ、文明の発展を信じていた児童文学がヒットラーとナチスに象徴される科学や人間の暗黒面を思い知らされたことにより、それ以後の児童文学では暗い深刻な正義と悪の対立が基調になるということだった。「ナルニアものがたり」「指輪物語」などに代表されるファンタジー文学のいずれもがそうで、強大な悪に正義は苦戦し時には敗北さえする。

私はこの時も「な~るほど、そんなものか」と思っただけで、特に深い共感もまた反発もなかったのだが、少なくとも今言えるのは三十年前からすでに「世の中はよくならない」「人類の未来は明るくない」というトーンは、一番それから遠いような児童文学の世界ですら、すでに確立されていた。三十年を昔というかどうかは知らないが、私の中ではもうそれがずっと世界の大勢だという印象があった。

小林氏の指摘に限らず、進歩主義は革命やマルクス主義と結びつけて考えられやすいし、実際結びついてもいるだろうが、ただそういう左翼や社会主義の方面でも、私の印象では「世の中はよくなってきた」などという見解はあまりというかほとんど見たことはないし、それを言うなら江戸時代を終わらせて新しい時代を到来させた明治維新を日本の左翼や社会主義が高く評価したとは思えない。むしろ「維新の会」というぐらいだから、それと対立する勢力の方が江戸時代を終わらせた明治維新をスタイルだけでも高く評価しているだろう。私のように杓子定規な人間は、江戸時代が今に比べてずっといいと言いながら、それを終わらせた明治維新に魅力を感じるのはどういう感覚か非常に理解しにくいのだが、まあ、この問題もややこしすぎるからおいておく。

話を少しだけ戻すと、たとえばソ連崩壊時に出版された『社会主義とは何だったか』という本が収録する座談会の中で、かつての全共闘で現在でもさまざまの社会主義的な活動をしている一人はこう語っている。

六〇年代の「新左翼」セクトも、実は正統マルクス主義の呪縛を濃厚に引きずっていたわけだけど、われわれ自身、そのことに気づき、ここ二〇年ぐらいをかけて、そこから脱却してきたんだ。詳しくいうと長くなるから、主だった点だけをあげるけれど、マルクス自身にもあった生産力至上主義、経済=下部構造からくる文化の軽視、変革の主体として専ら労働者階級を立てて他の諸階層を第二義的とする発想、レーニン以来の前衛党主義、こういった点を反省して、ラディカルに新しい社会運動として、エコロジー、フェミニズム、エスニシティー、市民参加などの問題に取り組むようになってきているんだ。いつもの癖でまた「ラディカル」という言葉を使って、君らに冷やかされそうだが、ここでいう「ラディカル」とは、戦術的な意味での過激さを意味しているわけじゃない。そうじゃなくって、旧来の左翼の伝統まで含めた「西欧近代なるもの」について、徹底して批判的=自己批判的に再検討するという、理念としての徹底性、根源性を指していっているつもりだ。

(塩川伸明『社会主義とは何だったか』 勁草書房 一九九四年)

この本が出たのは一九九四年。だから、それから更に二十年たっている。四十年前から、尖鋭的な新左翼の活動家でさえ、近代主義の限界を語っていた。小林氏が「進歩主義」として批判しているのは、「西欧近代的なるもの」より幅広い範囲だろうが、今、江戸時代を評価して現代に警鐘を鳴らす人の多くが、近年の「構造改革」「格差社会」ともろともに、近代化や進歩主義を批判し、それが諸悪の根源と感じているように見える。だが私には、少なくとも、それらが無条件に信仰され圧倒的な力を持っていたという印象が、もう生きてきて以来一度もない。児童文学と新左翼活動家の発言は、たった二つのわずかな例にすぎないが、世の中全体の印象からも私は「昔に比べて今の方がずっとよくなった。以前より私は幸福です」という人をほとんど知らない。よく言われるように、ピラミッドの中から出てきた世界最古かなんかの文書に「今どきの若い者は」という批判もあるとか言うぐらいだから、過去を美化し現在を嘆くのは人間の常なのかもしれない。

だから、私は小林氏が強調するように「進歩主義」が大きな力を持つカルトまがいの勢力だとはずっと感じて来なかった。むしろそれは「世の中はどんどん悪くなる一方だ」の左翼も右翼も加わる大合唱の中で、かろうじてつぶやかれてきた細い非現実的な祈りの声という程度の認識しかなかった。だから、大多数や主流にはとにかく逆らう習性として、私はいつも「今が最高、いろんないやなことがあっても、昔よりはずっといい」と思って来たし、それは私の実感でもあった。

これも実は、以前に出版した本の中で、何度か書いてしまっているので紹介しておく。前者は私が専門に研究する江戸時代の紀行を読んでいての実感であり、後者は自分の生活の中から導き出した実感である。

実は、この章を作る時、初めに漠然とした印象としてあったのは、もう消えてしまった古い日本の情景の数々を懐かしみ、私たちは近代化の中で、大切なものを失ったのではないか、ということを実感としてかみしめる、というようなことであった。ところが、こうして実際の資料を見、紹介していると、そうとばかりは言えない複雑な思いにかられる。かつての農村は、豊かな澄んだ水にあふれて、それは工業用水にも廃液にも汚染されていなかったかわり、たやすく人の命を奪う荒々しさにもあふれていた。鯨の収穫にわきたつ浜辺の情景は勇壮だが、そこには、いわれもなく差別され虐げられた人々の存在があった。雪の中の生活は、素朴で暖かいが、また不便で暗く、重苦しい。
私たちは、過去を振りかえる時、失ったものの尊さや大きさを思うあまり、それとひきかえに得た貴重なものの数々を見失いがちである。と言って、だから、便利な毎日のためには、公害もしかたがない、原発も必要、というのもまた早すぎる結論だろう。近代化ということ一つをとっても、一方的な肯定も否定も正しくない両面がそこにはある。進歩や発展はどこかで犠牲を生み出すし、それは気づいたたびに改めなければならない。しかし、この何十年かで私たちは、まがりなりにも、しいたげられていた人々を、ひいてはしいたげていた人を、まだまだ限界はあるが、その立場から解放した。苛酷な農村の労働や自然の攻撃を、以前より遥かに軽減した。それらのことについては、やはり後戻りはしてはならないし、また出来もしないだろうと、これらの資料を読んでいると、次第に思えて来るのである。

(板坂『江戸を歩く』 葦書房 平成五年)

絶望もさまざまである。というよりも、さしあたりここでは、二種類ある。ドリトル先生やガリヴァーが味わったような、よりよい世界を希求しながら、それが永遠に実現しないかに見えることに対して抱く絶望がある。これは、あせらず何とか耐えていれば、やがて未来につながるだろう。絶望しきってしまっては元も子もないが、自分に何とか耐えられる範囲で、このような苦しみや怒りを抱え込んでおくことは、よりよい世界を作るためには役にたつし、必要でもある。
しかし、もう一つの絶望は、これまで自分以外の存在を踏みつけにしてさんざんいい目を見てきた者が、それがだんだん難しくなり、自分の時代は終わったと感じて、先の展望がないままに暗くなっている絶望である。爛熟の極致の文化などがこうした中から生まれたりもするが、往々にしてこういう絶望を感じる者たちは、自分たちの最後がすなわち人類や地球の最後と勝手にきめこんで、他のすべてを道連れにして一緒に滅びようとするから迷惑である。
「人類や世界にはもう先の発展が望めない、昔は人類は進化するもの、未来は今より明るいものという希望があったけれど、現代はそうではなく、時代は閉塞状況にあり、これからよくなるという展望はない」というようなことが、このごろよく言われる。けれど私は、そういう発言やそういう雰囲気づくりそのものが、滅び行く者たちの無理心中計画の一環なのではないかと思って用心しているところである。私は、随分気楽に生きてきたように見えるだろうが、女性としての生き方だけをとって見ても、これまで結構苦しんできた。ようやくそれがいい方に向かってきているこの時代に、まだまだこれから楽しい日々を過ごさなくては、とりかえしがつかないと思っている。後はもう衰退し滅びるしかない階層や種族の、終末を予感した泣き言に、これまで苦しい時代を生きてきた者たちが、いよいよこれからという時に、うっかり同調するものではない。
「子どもの権利条約」などができたとは言え、子どもたちだってまだまだ、世界でも日本でも苦しい状況に置かれている。動物もしかり。植物もしかり。もしかしたら無機物だって。そういうもののすべてが、権利を認められ、幸福を保障される時代が来るまでは、まだまだ時をとめてはいけないし、世界を終わらせてはいけない。

(板坂「動物登場」 弦書房  2004年)

3 エデンの園は好きですか?

時間も紙数もなくなってきたので、あとはごく簡単に書く。(いつか補充するかもしれない。)
日本の今を嘆き、江戸時代を評価する人が(中谷巌『資本主義はなぜ自壊したのか』なども)必ずと言っていいほど引用するのが、渡辺京二氏『逝きし世の面影』である。

幕末に日本に訪れた外国人の紀行を数多く紹介して、そこに描かれる日本と日本人の姿がいかにも平和で幸福そうで感じがいいことを指摘し、「悲惨で暗い江戸時代」というイメージが誤っていることを読者に痛感させる好著である。従来のイメージの修正のために有効で必要な本だったと思うが、多分読者の多くが気づいていないのは、引用された資料の文章は渡辺氏の描き出そうとした、かつての日本のイメージにふさわしい部分が選ばれ、そうでない部分ははずされている例があるということだ。私が卒論を指導した学生が、原典をあたって全文を読んで指摘したので私も知ったのだが、最初読んだときから、この本は学術書というよりは物語として読むべきだろうなとは何となく感じていた。だからと言って、この本の魅力も価値も失せたとは思わないが、ただ客観的で正確な記録や報告として読むのは、やめた方がいい。

もう一つは、この本に書かれた、「皆が幸福で満足している世界」というのがそんなに魅力的だろうか。この本に登場するような当時の日本人、また現代の日本を批判する人々の多くが求めるような「置かれた場所で咲きなさい」という精神は貴重だろうし、必要でもあるだろうが、そのように分を知って不満を持たず、与えられたもので満ち足りて幸福でいようと思ったら、それはそれで簡単なのだ。だが、そうすることによって失われるものや、そうすることで蝕まれる心もまたある。

私は皆がにこにこと親切で幸福で、争いのない家族も町も国も人間関係も実はあまり好きでない。それは絶対に誰かが耐えて無理をしている世界だとしか思えない。そんな世界はただ気持ちが悪い。私は嫌いな相手もいやな相手もごまんといるし、私もまた嫌われていることも多いだろうが、不幸でいらついて怒っているからこそ、生きている実感がある。

そろそろ来年の年賀状のデザインを考えなくてはならないのだが、来年の干支はヘビである。私はまだ手があったころのヘビが、まっ赤なリンゴをさし出して、「エデンの園なんかいいから、これ食べな」と言っている絵を描く予定でいる。

(2012.10.1.)

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カツジ猫