江戸文学その他あれこれ7-洒落本について

1 ダジャレかオシャレか

最初に注意しておくと、「洒落本」の「洒」は「酒」ではない。うっかり横棒一本余分に引かないように気をつけて下さいね。

「洒落」というと、ダジャレの洒落と、おシャレの洒落(博多的に言うなら「しゃれとんしゃあ」の洒落か)のどっちかを大抵の人は思い出すだろう。洒落本の洒落にも、多分その両方の意味がこもっている。

文学史でいうと、洒落本は江戸後期に中国俗文学の流入の影響を受けて成立した、さまざまな散文学、まとめて言うと「戯作」のジャンルのひとつである。で、この戯作というのはすべて当時の感覚では、正式な文学(雅文学)ではない、娯楽と実用のためのみにある大衆小説(俗文学)で、全体が雅文学に比べると、一段低い、気楽なものと思われて作られ読まれている。

だが、その中で馬琴の「八犬伝」や秋成の「雨月物語」に代表されるような読本(よみほん)は、たとえば漫画がさげすまれていた時代でも、手塚治虫だけは別格だったような感じで、ちょっと高い位置にある感じである。
それに対して、草双紙と言われる絵入りの漫画や劇画のような黄表紙や合巻は、一番下層の庶民的なものとして扱われていた。(実際には黄表紙は相当高尚な知識を必要とする、大人の知的漫画でもあるからややこしいのだが、形式的にはそうである。)
で、戯作の中で、残りの洒落本(寛政の改革以後は人情本)と滑稽本は、その中間にあって、じゃどっちが格が上かというと私にはよくわからない。

それというのも、そもそも洒落本と滑稽本は、初期には内容はかなり似ていて、どっちもふざけた笑い話や言葉遊びをしている。洒落本の初期の作品の一つに、百人一首をめちゃくちゃに解釈して面白がる「百人一首和歌始衣抄(ひゃくいにんいっしゅわかはついしょう)」だの、釈迦と老子と孔子の三聖人が遊郭で遊女を買って遊ぶと言う「聖遊郭(ひじりゆうかく)」だのがあるが、こんなのは滑稽本とほとんど区別がつけられない。

しかし、明和七年ごろに書かれた田舎老人多田爺(いなかろうじんただのじじい。もちろんペンネームで実際は丹波屋利兵衛とかいう本屋さんらしい)の洒落本「遊子方言」が大ヒットして、これ以後の洒落本は、この「遊子方言」のパターン、すなわち、遊里のことはすべて知っていると知ったかぶりをする「半可通」と、素直にそれに耳を傾ける初心者の「息子」の両タイプが登場して、二人で会話をしながら遊里で遊び、半可通は結局口ほどもなく、まったくもてもせず、うぶな息子タイプの方がもてる、という判で押したような展開を、遊里のさまざまな風俗や雰囲気をすべて会話体で活写しながら、面白おかしく描き出す、という形式が定着固定してしまった。

当然それは「こうしたら、もてる」という、半可通の知識の披瀝と、実際にはそれだけではまったくだめで、もっと何かが必要という現実とによって、「どういうふるまいが、遊郭ではカッコいいのか」という「お洒落」の追求が中心となる。もっとも半可通の言うとおりにしても全然うまくは行かないので、何の参考にもならず、これは単に笑いを追求した文学だという見解がむしろ今では定説なので、そういう点では洒落本の「洒落」は、ダジャレと通じる滑稽の色合いが強いだろう。私はカッコよさの追求もないことはないと思っているが、それは少数派のはずだ。もしかしたら私だけかもしれない。

2 くしゃり!

外見としては洒落本は、「唐本仕立(とうほんじたて。と私たちは教わったが、ネットで見ると『からほんじたて』と呼んでいることが多い)」と呼ばれる、漢籍風の薄茶色で無地の、やや細長い表紙で、表紙を開けたら最初の何丁かは、もろ漢文の序文で「あれ、遊郭の笑い話かと思ったら、これ、お堅い漢籍?」と思わせられることが多い。
これは最初に中国の俗文学の艶詞と言われるものに影響をうけた名残りの、それこそお洒落なお遊びで、落ち着いてよく読むと漢文の序文はとことんくだらないふざけた文章だし、数丁めくれば、あっという間に日本語の会話体の、くだけにくだけた内容に変わる。

会話体ったって江戸時代だから、そうするするとわかるものではないが、それでも、当時の遊郭の住人や客のいかにも言いそうなことが、録音でもしたかのようなそのまんまの口語体でいきいきとつづられていて、むせかえるような江戸の香りが押し寄せる。当然、遊里が舞台だから、遊女と夜を過ごすにはどうしたらいいかとか、デビュー前の新人遊女候補とつきあうにはどうするのかとか、武士や盲人の客はどんな風に遊んでいるかとか、ルールやマナーやエチケットがことこまかに書かれているが、その割に、いやらしいとか色っぽいとか読んでいてむらむらすると言った感じは、ほとんどない。

そういう点ではとことんあっさりした描写しかない西鶴の浮世草子の方が、私などはよっぽどエロチックな気分をかきたてられてむらむらする。よく学生に言うのだが、西鶴の文章は上から平手で押さえると、むちむちぷりんと肉がはねかえるが、洒落本の文章はどこか知的で精緻でさめていて、上から平手でおさえると、くしゃりとつぶれそうなもろさがある。(こんなこと言うから、ある大学で学生の一人がレポートで「先生の説明は擬音が多くて」と、ぼやいて来るのだな。)

「遊子方言」でも、客と遊女の冷静ですきのないかけひきが随所に見られて、色気や愛より心理戦といった趣も少なくない。ただ、これも時代が下って山東京伝の「傾城買四十八手」その他の名作になると、かけひきなしのしっぽりとした男女の会話が多くなる。洒落本は他の戯作に比べても激しい弾圧を寛政の改革で受けて(風紀を乱すということで)、遊里を題材としない一般の男女の恋模様を描く人情本に移って行くのだが、京伝の作品などを見ていると、たとえそういう弾圧がなくても、そのうち自然に洒落本は、鋭い知的な丁々発止のかけひきを笑いをまじえて描くものから、素直で切ない男女の恋愛を描くものへと変化して行ったのではないか、とも思う。

3 これが後期戯作の人情本ならどうなるか

どんなに、くっだらない内容でも、前期戯作(と言っても、江戸時代の後半ですよ!)は高級で、「バカは相手にしない」エリートの文学である。
半可通の言ってることがいかに見栄っ張りの嘘っぱちで、無邪気そうな息子は案外したたかかもしれないなんてこと、作者は一言も説明しない。二人の服装や持ち物、会話、周囲の反応から読みとるしかない。
その二人はまだしも、客の中に「平さん」という武士がいて、金離れもよく人柄も素直で、皆に好かれているとしか見えないのだが、たとえば朝日古典選書の中村幸彦先生の註なんか読むと、実は平さんはとことん遊女に食い物にされていて、遊女の本命(間夫と言います)は、他にいるだろうことがわかる。それにしてもそんな註を克明正確につけられる中村先生というのも、「あはは、行儀の悪いことが書いてありますな」とエロチックな部分をすっとばかして講読をしておられた、瀟洒かつ謹厳な授業のわりには、何とまあやるもんだなあと、読むたび私は感服していた。

しかし、そういう註でもつけていただかないことには、遊女の内心や平さんの位置など、字面を読んだだけでは絶対わからない。それが前期戯作である。
寛政の改革を境に、洒落本はなくなって人情本になるのだが、後期戯作の他のジャンルと同じく、「どんなバカにでも野暮にでもわからせてやる」ものすごいサービス精神に転ずるから、たとえば、「春色辰巳園」(為永春水)では、丹次郎という男性を争って言い合う、米八と仇吉という二人の女性の「あなたには渡さない」「あの人は私のもの」という、色っぽいやりとりが続いたあと(この会話の生き生きとリアルで、キャラが立ってるのは洒落本と同じなのだが)、ちゃんと次のような作者の説明が入る。

そもそも米八が、丹次郎に、しつぶかくなせしは、仇吉に気をもませて、意趣をかへすはかりごと。今また仇吉が、丹次郎と、さも深くちぎり合(あふ)ことを、口にいだして恥かしとおもはぬは、これまた米八に心をせかする手くだなり。なほ、その争ひの埒あかぬは、色をあきなふ全盛の、互(たがひ)に、はしたなしと思はれじと、用心するゆゑ、かくのごとし。

(だいたい、米八が丹次郎に執着したのは、仇吉に気をもませて、仕返しをしようという計画からだ。今、仇吉の方が、丹次郎ととても深い仲であることを、慎みもなくしゃべるのも、これもまた米八をいらだたせるための手段である。そして、二人のこの言い合いになかなか決着がつかないのは、どちらもトップクラスの水商売のプロだから、相手からそれにふさわしくない下品な女とは思われたくないというプライドと配慮があるため、こういう風にちょっと見ていてもどかしい、一気にかたのつかない展開になるのである。…って私までつられて、超親切に現代語訳しちゃったよ。)

こんな両者の内心の解説など、前期戯作の洒落本では、絶対につかない。後期戯作はこのように、日本の地下鉄のアナウンス、デパートの案内板もかくやと思うほど、あらゆる読者に親切である。それだけ、読者が多くなり、大衆文学になったということである。

(2014.5.16.)(2019.2.7.補充)

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