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国文学史関係(8)

近世和歌に関するメモ。

江戸時代の人の感覚では、俳諧も歌舞伎も戯作も、正式の文学ではない「俗」文学。
ちゃんとした「雅」文学は、江戸時代以前からあった、漢詩文、和歌、連歌など。

和歌はそういう正式の伝統あるジャンルだから、実作と同時に歌論も多い。

江戸時代以前

万葉集は私撰集でもあるため、それほど注目されていなかった。

勅撰集の最初の古今集が最高と言われていて、まあ実際勅撰集の中では最高の出来だった。勅撰集はその後、ひきつづき作られる。

ウィキペディアは信用してないけど、まあこのぐらいは、まちがいはないだろうからコピペします。

八代集 1. 古今和歌集  - 2. 後撰和歌集  - 3. 拾遺和歌集(以上が三代集)

   4. 後拾遺和歌集  - 5. 金葉和歌集  - 6. 詞花和歌集  - 7. 千載和歌集  - 8. 新古今和歌集

十三代集 9. 新勅撰和歌集  - 10. 続後撰和歌集  - 11. 続古今和歌集  - 12. 続拾遺和歌集  - 13. 新後撰和歌集  - 14. 玉葉和歌集  - 15. 続千載和歌集  - 16. 続後拾遺和歌集  - 17. 風雅和歌集  - 18. 新千載和歌集  - 19. 新拾遺和歌集  - 20. 新後拾遺和歌集  - 21. 新続古今和歌集

准勅撰集 新葉和歌集 

この流れの中で、歌を詠むことは名誉になり選者となる人も選ばれる人も、権威を持つようになる。中でも二条家、京極家、冷泉家(もともとは御子左家。それが三つに分かれた)が歌の家として力を持った。

江戸時代・二条派と国学と桂園派

江戸時代の初め、その中で栄えていたのは二条家。特に秘伝を伝える「古今伝授」が有名だった。実は大したことないという話もあるが、たとえば、それを伝授された細川幽斎が、武士でもあったから、関ケ原の合戦で籠城していた時は、そのまま死んだら大変だからと古今伝授を聞くために休戦して彼を呼び出したという伝説がある。二条家はいわば伝統的和歌の代表で、おだやかで、わかりやすくて、ひとつまちがうと退屈で平凡。

また、勅撰集も含めて、後水尾天皇をはじめとして、天皇家が江戸時代の和歌では依然大きな役割を果たしている。
一方で、こうした天皇家や貴族たち(堂上)とは別に、松永貞徳らの新しい層(地下)が和歌を詠むようになって、「古今伝授」も批判されたりした。

そもそも、和歌に限らないが、すべての芸術には(人生でも)「めだたず、問題がなく、悪目立ちしない」のがいいか、「個性や特徴があって、印象に残る」のがいいか、どっちがカッコいいのか、すぐれているのかは、いつも紙一重で表裏一体である。
完璧に私の感覚だが、「めだつものが美しいのか」「それは品が悪くて、むしろめだたないものが美しいのか」という美学は、常に意識されていると思う。
それは、洒落本のカッコいい生き方とか、俳諧の場合などとも共通しているかもしれない。さらに無駄話をすると、平凡に着実に知的に感じたり考えたり書いたり(生きたり)することと、高揚し陶酔し情熱を燃やして感じたり考えたり書いたり(生きたり)することと、どちらが歌人としてすぐれたものを作れるかということも、問題としてあると思う。

二条家中心の初期の和歌は、上品でおだやかだったが、次第にそれに対する批判が生まれた。特に中期に国学が栄えてからは、契沖、賀茂真淵、本居宣長といった人たちが、従来の古今和歌集が最高という常識に対し、それより古い私撰集の万葉集を評価して、それが大きな流れとなった。

また、中期になると、上冷泉家(冷泉家が上と下の二つに分かれた)もすぐれた歌人を出して、勢いを得た。その一人、京都の小沢蘆庵は「ただごと歌」を主張し、それを引き継いで発展させた香川景樹は「調べの説」を唱えて、江戸派や堂上派とは対立したが、桂園派という大きな勢力を築いた。

幕末になると、これらの人々とは異なり、地方で独自の境地を開いた歌人たちもいる。良寛、橘曙覧、大隈言道などが有名。

また、庶民の間でも、和歌は日常的に作られ愛されていた。その層の厚さは、俳諧とともに、驚くべきものがある。

島根の歌人森為泰について私が書いた論文(その中の「和歌のある暮らし」の部分)と、「寄生木草紙」という随筆の中の挿話の翻刻とをリンクしておくので、その実態に触れるというか、肌で感じてみて下さい。

和歌とはちがうけど、おまけで、狂歌を一つ。

ほととぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里(頭光・つむりのひかる)

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カツジ猫