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国文学史関係(8)

近世和歌について。本当のメモです。専門の人には恥ずかしくて見られたくないから、その内に消すかもしれないぐらい、ざっとしたメモです。

江戸時代以前

万葉集は私撰集でもあるため、それほど注目されていなかった。

勅撰集の最初の古今集が最高と言われていて、まあ実際勅撰集の中では最高の出来だった。勅撰集はその後、ひきつづき作られる。覚えなくてもいいが、次の通り。

この中では俊成が編した「新古今和歌集」が「古今和歌集」についで、か、と並んで、かぐらいに独特の雰囲気を持っていて高く評価されている。

ウィキペディアは信用してないけど、まあこのぐらいは、まちがいはないだろうからコピペします。見にくいのは、あとで直します。

 

この流れの中で、歌を詠むことは名誉になり選者となる人も選ばれる人も、権威を持つようになる。中でも二条家、京極家、冷泉家が歌の家として力を持った。

江戸時代の初め、その中で栄えていたのは二条家。特に秘伝を伝える「古今伝授」が有名だった。実は大したことないという話もあるが、たとえば、それを伝授された細川幽斎が、武士でもあったから、関ケ原の合戦で籠城していた時は、そのまま死んだら大変だからと古今伝授を聞くために休戦して彼を呼び出したとか言われる。

江戸時代・二条派と国学

二条家はいわば伝統的和歌の代表でもあったけど、それだけに古い、退屈、というイメージもないわけじゃない。

勅撰集も含めて、後水尾天皇のように宮中が江戸時代の和歌でも依然大きな役割を果たしている。

特に中期に国学が栄えてからは、契沖、賀茂真淵、本居宣長といった人たちが、万葉集を評価して、それが大きな流れとなった。

田安宗武(国学?)が荷田在満と交わした「国歌八論」論争は、文学の効用をめぐる論争として注目される。

小沢蘆庵(フリー?)の「ただごと歌」、香川景樹(蘆庵に学ぶ)の「調べの説」もキーワードとして知られている。

あとは板坂の無駄話

その1 わりと、まじめな方の話

私の専門の紀行文学を読んでいて、偶然見るだけでもわかるんですが、江戸時代の人たちの全国的な津津浦浦までの和歌の愛好者人口って、すごいです。
これに俳諧好きの層が重なったら、まあもうどうなってることなのやら。

私は日本を美化したり自慢したりするのは根っから趣味に合いませんが、この文学への庶民レベルでの傾倒の深さは、ちょっともうさすがにすごいと言うしかないです。

島根の歌人森為泰について私が書いた論文(その中の「和歌のある暮らし」の部分)と、「寄生木草紙」という随筆の中の挿話の翻刻とをリンクしておくので、その実態に触れるというか、肌で感じてみて下さい。

その2 めちゃくちゃ、とりとめのない話

人名とキーワードと歌集名だけでは何だから、実際の歌を紹介したいのですが、何しろ誰もが恐ろしくたくさん詠んでいるので、なかなか選べない。

ひとつ、感想を言う。「ただごと歌」や「調べの説」ということばにもつながるように、完璧に私の感覚だが、「めだつものが美しいのか」「それは品が悪くて、むしろめだたないものが美しいのか」という美学は、常に意識されていると思う。
それは、洒落本のカッコいい生き方とか、俳諧の場合などとも共通しているかもしれない。

そして、めだつ表現もくりかえされれば平凡になるし、めだたない上品な表現も時代が変わればめだって古臭いという点で逆にめだって、こっけいになる。

その3 さらに、とりとめのない話

もうひとつ、ただの感想。平凡に着実に知的に感じたり考えたり書いたり(生きたり)することと、高揚し陶酔し情熱を燃やして感じたり考えたり書いたり(生きたり)することと、どちらが歌人としてすぐれたものを作れるかということも、問題としてあると思う。

芭蕉の俳諧で言うなら、「冬の日」と「炭俵」の世界の、どちらかということだ。どちらでも、成功するときはするが、失敗や障害の原因にもなることもある。

たとえば、とても愛されている、橘曙覧「たのしみは」シリーズなどはどう考えるか?

和歌とはちがうけど、おまけで、狂歌を一つ。

ほととぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里(頭光・つむりのひかる)

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カツジ猫