1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 断捨離狂騒曲
  4. 断捨離新世紀(12)まだまだ現役! 

断捨離新世紀(12)まだまだ現役! 

青い蛍光灯

蛍光灯というものは、特に昔の単純なものは、びっくりするほど壊れない。地球が滅びても点灯し続けているんじゃないかと思うほどだ。
 そんなこととは知らないから、この青い蛍光灯スタンドは深く考えもせずにどこかで買った。ひょっとしたら学生時代ではなかったかと思うぐらい古くから机の上にあった。
 2000年に亡くなった私の愛猫キャラメルが、何が気に入ったのか、これにまつわりついて寝ている写真が何枚もある。彼は美しいが神経質なところや病的なところがまったくない、落ち着いて堂々とした猫で、私はフランスの作家コレットのせりふじゃないが、人間も含めて一番愛した男性ではないかと思うことがある。この写真は何が気に入らないのか緊張して、いわゆるイカ耳になっているが、警戒しながらも不安は感じていない自信と落ち着きが漂っている。

この写真はピントが合っていないが、彼の身体のでかさがよくわかる。手前に見えるのは兄弟の白猫ミルクだ。

どうかすると、こんなにぶさいくっぽく写ることもあった。最盛期には七キロあったから太った猫ではあったのだが、それを忘れさせるほど軽やかでふわふわだった。

いささか写真の量のバランスを欠くのは承知だが、幼いキャラメルとこの蛍光灯のツーショットもあるったけ紹介しておきたい。子猫のときはこのように、淡いぼかしのクリーム色だったのが、大人になったら普通の赤きじ猫に近くなりました。知人の一人が「この時期にこの子を見ていたら絶対にさらってた」と断言した写真の数々です(笑)。

彼の大きさや成長をしのぶ基準にするためにも、この蛍光灯は貴重だった。もっとも昔はあまりものを大切にしなかったから、長い年月の間には笠の一部が割れたり、いろいろ傷んだが、それでもきちんと点灯し、いつも役目を果たしていた。

田舎の家の書庫に置いて、ひっそりとなつかしく使っていたのだが、何度か書いたように親切心からこの書庫の私の資料や本の多くを捨ててしまった方がいらして、その時にこの蛍光灯も捨てる荷物の中に突っこまれ、割れかけていたのを補修してそっと使っていた部分もかなり決定的に壊されていた。資料や本の捨てられたのも私は手足をひきちぎられたような苦痛を味わったが、この蛍光灯の姿を見たときは、それとはまた別の殺意にも近い怒りが身体にみなぎったのを覚えている。もう使えないのはわかっていたが、意地でも私はそのまま、その蛍光灯を車に載せて、今の住まいに連れて帰った。

いろいろやってみたが修復は無理そうだったので、動かなくなっていた小さい掃除機といっしょに、行きつけの良心的で有能な電気屋さんに持って行って、修理できないなら処分してと頼んだ。希望は持っていなかったから、きれいに拭いてお別れの写真を何枚か撮った。

ところが電気屋さんが、掃除機の方はだめだったが蛍光灯は直りましたと連絡を下さったので私は舌をまいて腰を抜かした。もうちょっと確認しますからと言って、実はまだ電気屋さんが預かってくれている。家が散らかりまくっていたからその方がよかったのだが、このほどちょっとだけ片づいたので、そろそろ引き取りに行ってやりたい。何だかキャラメルが巻きついていっしょに戻ってきそうな気もする。

(2022年11月22日追記。こんなことを書いて期待していたが、その後お店に引き取りに行ったら、「すみません、点灯はするんですが、電球の根元のプラスティックが割れていたので、そこを修復しようとしていました。そうしたらプラスティックが劣化していて、さわるそばから崩れてしまって、どうしてもだめでした。このまま使うのは危ないので、とても残念ですが」とのこと。

これまでにもいろんな古い家電を大切に復活させて下さったお店だし、そこで最期をみとってもらったのは思い残すこともないと、処分までもお願いして、結局再会はしないまま、蛍光灯は旅立って行った。
もしかしたら、あれが好きだったキャラメルが、あの世で巻きつきたくて、ほしがって持って行ったのかもしれない。
彼の生きた時代を知っているものが、またひとつ、こうやって消えた。)

台所の仙女

もうひとつ、これは私の二軒の家のうち古い方(その名も「伽羅館」)のキッチンに家を買ったときからついていた何の味も素っ気も変哲もない蛍光灯。ひょっとして一度ぐらい電球を変えたかもしれないが、もしかしたらそれもないかもしれないぐらい、いつも静かに点灯しつづけている。そして、白いタイルの古風な台所にふさわしく、素朴にぱっとあたりを明るくしてくれて、これが灯るととても安心して幸せな気分になれるのだ。

私はそれなりに、この台所を大切にしようとして、そこそこ上等のものや洒落たものを並べている。実際にはあまり使うことはなく、お茶を入れたり、仏壇の水や花びんの水を変えたりする程度だが、それでも毎日蛇口をひねりシンクを拭いている。それなりに大切な場所だ。

そこをささやかに支えているのは、この飾り気のない単純すぎる蛍光灯のような気がするようになった。天窓と古い天井から下る灯りで、昼も夜もわりと明るい台所なのだが、このシンクの上の灯りがぽっと灯ると、頼りになる侍女か仙女の顔を見たような気持ちになる。まだまだしっかり現役ですとほおえまれているような思いがする。(2022.10.26.)

Twitter Facebook
カツジ猫