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(2)さよなら洗濯機

(洗濯機・ネズミ・ユダヤ人)

胸が痛む

昔はどこの家もそんなものだったかしれないが、わが家でも洗濯機はほとんど使ったことがなかった。新しい電化製品はすぐにわが家に持ってくる(一度など、当時としてはものすごい大きなテレビを、いきなり運んできて、さっさと居間にすえつけてしまったことがある)電気屋さんに勧められて、新しもの好きの祖父が購入したものの、祖母はあいかわらず裏の川で洗濯していたし、母も風呂場でたらいを使っていた。というわけで洗濯機は使わないまま放置され、当時は脱水機などというものもなく、二つのゴムのような棒をハンドルで回して、その間に洗濯物をはさんでしぼって脱水するのだったが、いつの間にか、そのゴムが溶けて、くっついてしまって使い物にならなくなっていた。何と悲しい洗濯機だったかと、今思うと胸が痛む。きっと当時は最新の機種で、はりきってわが家にやって来たのだろうに、と、こう感情移入するところが私の悪いくせである。

ネズミ退治

学生時代もアパートの部屋に洗濯機などはなかった。いっしょに住んでいた友人と、共同の風呂で大きな青いたらいを使って洗濯していた。一度壁を食い破って部屋に侵入した巨大なドブネズミ(たまたま訪れていた別の友人は、見るなりとり乱して「きゃあ、猫より大きいわ」と口走った)を、ネズミとりで捕まえた後、二人でおっかなびっくりネズミ捕りごと、このたらいにつけて殺したことがある(訪れていた友人は「殺さないで、私が飼うから」とかどう見ても口から出まかせを言い、私も「遠くに持ってって逃がそうか」と言ったが、男前の同居友人は「だめ! あんたたち軟弱すぎる」と一蹴した)。ネズミは未来派の絵画のように、ものすごい勢いで水に沈めたネズミ捕りの中で輪を描いて走り回ったあげくに死んだ(とめた友人は、もちろん見に来ないで、戻って来た私たちを上目遣いでじとっと見て「殺したの?」と聞いた。「殺した殺した」と私たちはハードボイルド風に答えた)。

私たちは、その後もそのたらいを、普通に洗濯に使っていた。処分しようと言う選択肢など、どちらも考えもしなかった。つましい時代だったのだ。
その同じたらいかどうか忘れたが、私は卒業し就職してからも、ずっと(やっぱり同じものかもしれない)青い大きなポリたらいで、シーツでも何でも洗っていた。作家の森摩利が、アパートの風呂場でシーツを洗ってしぼる時、身体に巻きつけてラオコーン像のようになると書いていたが、私もまさしくそうしていた。それでも洗濯物はけっこうびしょびしょで、お隣の親切な奥さんが「脱水機を貸しましょうか」と言って下さったことさえある。

買い出すとやめられない

何がきっかけで洗濯機を買おうと決意したのか覚えていない。私のことだから、何か相当な理由付けをしたに決まっているのだが、思い出せない。とにかくそうやって、ごく普通の白い洗濯機が私の建てた小さい家の風呂場にやって来た。初めて使ったときのことも、よく覚えてはいないのだが、自分がとても文明人になった気がした。実際、入浴というのはこんなに何もしないでいいものかと思うほど、洗濯なしだと楽だった。

田舎の家では祖父母はもう亡くなっていて、母が一人で暮らしていた。古い風呂場を少しリフォームして私は自分が買ったのと同じ洗濯機をおいた。人に貸すようにした、昔祖父が医院に使っていた部分にも風呂場を新築して同じ洗濯機をおいた。やがて母のために、隣りに家を新築して、そこにも洗濯機をおいた。今までたらいで我慢してきた反動だったかもしれない。

母も、時々来てくれるヘルパーさんも、帰省した私も、たまに泊まって行く若い人たちも、それなりにそれぞれの洗濯機を使った。母は風呂の残り水を使って洗濯できるのを喜んでいて、一度私がその器具を処分してしまった時には、ものすごく気を悪くした。
まもなく母も一人暮らしをやめてホームに入り、古い方の家は売却し、洗濯機は人にもらわれて行った。新しい方の家にときどき帰ると私は、一つだけ残ったその家の洗濯機でいろんなものを洗って庭の柵にかけて干した。幼い時から見慣れた山や森や川につつまれて、そうやって洗濯物を風にはためかせるたび、家も私も生きて息づいているのを実感した。

突然の水漏れ

母がホームに入る少し前、今いる街の小さな家の前の空き地が売りに出て、いろんな事情で私が買うことになった。母の隠居所にとそこにも小さい家を建てた。古い家のリフォームを別にしても私は三軒家を建てたことになる。金がたまらないのも道理だ。
その小さい家にも風呂場があったので、迷ったが結局少しレトロな感じの模様が入った洗濯機を買ってすえつけた。そして数年たったころ、古い方の家の洗濯機が突然水漏れし始めた。私が初めて買って、初めて使った洗濯機である。
修理を頼んでもよかったのだが、何十年も使っているし、どう考えても寿命だと思ったので、業者の方に頼んで、持って行ってもらうことにした。

夜明けの別れ

私は、学生時代から50年近く使った電気釜(炊飯器とはまだ言わなかった)を処分する時も、花を飾って写真を撮って別れを惜しんだのだが、洗濯機の時には忙しかったのもあって、業者の人が来る前日の夜まで、何もするひまがなかった。きれいに拭いてやって、写真を撮ろうかなと思ったが、もう深夜で花など買いに行けない。業者は朝早く来るから、その前に買いにも行けない。
しょうがないかとあきらめかけて、ふと庭のニオイバンマツリが満開だったのを思い出し、夜中だったか夜明けだったか忘れたが、外に出て切ってきて洗濯機の上においた。脱衣所が狭いので、なかなかちゃんと洗濯機の全身像?が撮れなかったが、まあまあなのが、この写真である。

ばかな感傷と言えばそうである。しかしほぼ毎日フル回転で永の年月、実によく働いてくれたこの洗濯機は、やはり私の戦友だった。ありがとうねとささやいて送りだしながら、本人?にも悔いはないだろうと思うにつけ、ほとんど使われないままに処分されてしまった故郷の家の、あの最初の洗濯機のことを思って、またあらためて少し胸が痛んだりする。

無生物への愛

考えてみると、ためらったとは言え、ネズミをああして殺してしまった私が、命のない洗濯機にここまで感情移入するのは、小説「あのころはフリードリヒがいた」で、ユダヤ人の少年を防空壕から追い出して爆撃で死なせてもまるで平気な隣家のおじさんが、同じ爆撃で砕かれた庭の陶器の小人像を抱いて涙するのと大して変わらない異常さなのかもしれない。

あえて自分の感覚をさぐるなら、ネズミとは命あるものどうしの対等に戦える敵だが、器具や機械や無生物はそれとはちがった、異次元の世界との交流のような切なさがある。これはそのまま、人間と動物に対する時の気持ちの落差とも共通する。異なる世界のものだからこそ、緊張がなく、寛容や甘えが生じる。
人によってはそれが、冷酷さや残酷さを許すことにもなるのだろう。

そして私は、ネズミを殺した自分が無生物を愛することを封印するよりも、無生物への愛が生物へ、動物への愛が人間へと、広がって行くことを期待して、その感覚を消さずにおきたい。(2016.3.23.)

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カツジ猫