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「ヒロインズ」読了

後半、ゼルダとフィッツジェラルドの話に集中してきたと思ったら、また混沌の世界に突入。でも面白い。というか、一行一行が身につまされて、痛いほどだった。

思いがけないことだが、専門の古典文学の江戸紀行についても、示唆されるところが多かった。紀行という形式。自由で、とらえどころがない形式。それは「ヒロインズ」が、女性作家が書きやすい日記という形式について、男性作家や社会が抱く軽視や軽蔑について指摘していることとも重なって、いろいろ考えさせられる。

女性作家とその予備軍が抱えている苦しみ、これまでの多くのそういう人たちが黙殺され隔離され、葬られて行った死屍累々と言いたいほどの状況の掘り起こし。創作するものとしての、こういう苦しみのいろいろが男性のそれともどのくらい共通するかは私にもよくわからないけれど、ことが夫婦や恋人や男女関係とからまるとき、そこには女性ならではの危険と不幸が生まれることは確かにある。

もしかしたら、それを恐れて私は男性と深い関係を結んだり近づいたりすることを、避けつづけたのかもしれない。そうする(関係を持たない)ことで失うもの、得られないものの大きさより、そうしない(関係を持つ)ことで失うものの大きさを、漠然と私は知っていた。

そして、医学や精神病院がそういう女性の苦しみに果たした大きな役割、それも私にはよく理解できる。
正直言って、自分の本でも他人の本でも、何かそういうレッテルをはってささっと片づけている批評を見ると、怒りとか悲しみとかの前に、醜いと思う。本でも人でも、そのように生煮えの精神分析めいた用語をはりつけて、何か整理済みのかごに放り込んで安心する精神構造が、それこそ人間としてお粗末すぎて信頼できない。

昔、教師が生徒を分類して分析するのが大嫌いで、どういうレッテルもはられまい、どういう範疇にも分類されまいとして生きた結果、自分でもよくわからん人間になった気がするが(笑)、そうやって既成のレッテルをぺたんととりあえず貼り付けて落ち着こうとする人間は、どんな偉そうなことを言ったりしたり書いたりしていても、私はとても安っぽく見える。言っちゃ何だが、差別だのヘイトだのという精神は、これの最も単純なかたちではないのかしら。性や国籍やその他わかりやすい分類で、人をまとめておけばとりあえず安心できる怠惰と愚鈍。

読み終えたら人に貸したかったのだけど、何度も読み直しそうな気がするなあ。もう一冊買っちゃおうかしらん。

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カツジ猫