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カッサンドラはひるまない

政府と首相が被災地に何もできないのなら、する気がないなら、それもいい(よくないけど)。

恐るべきは、この政権は(支持する富裕層も多分)、他の国民や政党や団体が救援の手をさしのべるのも、全力でとめようとしている。その発想の恐ろしさに正直言って血も凍る。

おそらく首相とちがって国民の多くが、いやほとんどが、生き埋めになっている被災者や避難所の状況に胸を痛め、自分にできることがあれば何かしたい何でもしたいと願っている。

しかし、道路も崩壊し運送手段もなく、救援物資やボランティアも現地に思うように届かない。だから、そういう活動はしばらく待ってくれという種類のアナウンスがなされている。

他地域の国民や諸外国の善意や好意がまっすぐに現地に流れ込めないのは、やはり政府の責任である。道路の修理その他の処置に全国の力(万博の重機なども含めて)を注ぎ込まない怠慢である。現地で活動している人々に責任はない。政府の予算や方針が、そこを向いていないと言うのだ。

そして、しばらく前から、そういう文句や提言や要求を政府や関係機関に訴えるのは、仕事の妨げになるから慎むようにという公的な呼びかけが再三なされている。

山本太郎議員が現地に入ったことを、勝手な行動と責める書き込みが多くなされ、共産党がこのような時に常に行う迅速な募金活動にも、激しいデマ攻撃がなされた。

要するに、政府の(お粗末な)対策や(不十分な)対処以外は、誰も手を出してはならない、文句を言うのも許されない、政府のすることを霞ませるような救援活動はいっさいご法度というシステムが、このところずっと作動している。自民党政治の歴史の上でさえ、こんなことは前代未聞だ。

全国民の同情や共感さえも、政府は制限し、くいとめようとしている。
 自分たちと同程度以下の人間性しか持たせまいと必死になっている。

新年会の宴会の片手間に現地を思いやる程度の優しさや思いやりに、全国民の水準を引き下げようとしている

政府が直接どこまでやっているかはともかく、政府を支持する人たちの姿勢が、このような方向でまとまっているのは見れば見るほど明らかだ。

ちがうかね、ゴミノート。たまにはお仕着せの反論以外の血の通った言い分を書いてみろよ。

絶望的すぎる状況だ。しかし私はへこんでいない。

数日前に紹介した、ガザのボランティアに行ってるお医者さん(だっけ)にしても、樹木を救う活動を続けている「杜人」の矢野さんにしても、これまで自分がしてきたこと、見てきたことを思ったら、あまりにも許せないこと、ひどすぎることが、堂々と大手をふって横行し、世間はそれに流されつづけ、自分たちの声などはごくわずかな人にしか届かない状況に、私なら無念と虚しさで気が狂うだろうと思うのに、平然と明るく声をあげつづけ、自分の仕事を果たしつづけておられた。どこにでもある小さい剪定ナイフひとつを手にして「これで庭仕事を始めればいいんです」と語りかけておられた矢野さんの、あの諦念と、あの勇気。沖縄の人たちの戦いにも同じ精神を私は見ることがある。

私などが無気力になっていては罰があたる。恥ずかしすぎる。

どんなに予言と警告が無視されても、どんなに未来が現段階では絶望的でも。
 カッサンドラは、ひるまない。

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カツジ猫