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九月かあ

朝から雨が降っている。昨日は久しぶりに水まきをしたのだが、今日はまたサボれるな。ちょっとほっとして、クローゼットの窓から朝顔が元気に咲いているのを見ている。ちょっと元気にはびこりすぎて、かぶさられているバラとアジサイが心配だ。

昨日はこの近くの丘の上にある、私の小さい個人墓にお参りに行った。飼った猫と犬の名前が墓石に彫ってあるのだ。私と同じに八月中に来ておこうと思ったのか、夏休み最後の日だからか、家族連れの車も三台ほど来ていて、子どもの声がにぎやかだった。

近くのせいで、かえってあまり来ないのだが、来るたびに、この墓地はいいところだなあと実感する。ダムの池が眼下に広がり、背後と周囲は緑の山と森で、宗像の市街が一望できて、気分も晴れやかになる。もうちょっと気候がよくなったら、弁当と本でも持って遊びに来ようかしらん。

愛読していた「しんぶん赤旗」の連載小説「大阪環状線」が終わって、新しい連載が始まった。学校の先生たちの話で、最初から人物や説明が多くて読みにくいけど、先生の一人の発言で、生徒とミュージカルで「ウィルヘルム・テル」をやった思い出を語って、悪代官が広場の竿の先にかかげた自分の帽子におじぎをしない人を逮捕して牢屋に入れるというのが、日の丸君が代を強制するのと同じだと発言するのに、おおっと感心した。

この決して革新でも左翼でもない、むしろ保守の作者シラーの大古典の、超有名な「ゲスラーの帽子」を、日の丸君が代の問題と結びつけた指摘を初めて見た。これまで誰もそのことを言わないのに、私はずっと驚いていた。

新聞と言えば毎日新聞の四コマ漫画「桜田です!」は、とおりいっぺんでない新しい家族関係や人間関係を描くので読んでて気持ちがいいのだが、多分作者がうますぎて、感情移入しすぎて腹立つこともある。私はときどき登場する大富豪夫妻の家のお手伝い三人の得手勝手と図々しさと浅ましさが、もう嫌いでならない。無神経でこすっからい使用人のいやらしさが、もう見事すぎて、先日久しぶりに登場したのを見て、いつものことだが殺意さえ覚えた(笑)。この手の「庶民」が私はほんとに嫌いなんだなと痛感する。

新聞広告で見ると、二つの週刊誌で小泉進次郎がやけにたたかれている。これといった政治的業績はなーんにもない男だから、たたく材料もくだらないゴシップばかりだが、いい気味だと思う反面、こう足並みがそろうのは、官邸から今の首相の地位をおびやかすような人気者はつぶしておけという指示でも出たかなと、つい疑心暗鬼になってしまう。それとも首相をたたけない欲求不満でやってるのだろうか。

九月になると、もういっせいに、来年のカレンダーや手帳も売り出されるのだよなあ。本当に一年が速い。

写真は先日、庭で見かけた大きなちょうちょ。私はアオスジアゲハが好きなのだが、これはちょっと、それともちがうみたい。写真を何枚か撮るまでおとなしくしていたのはいいが、その後も動かないので、ここを通ってごみバケツに行けずに、ごみが出せなくてあせった。それからも数日、庭をひらひら飛んでいたのは、多分このちょうちょだったろう。

今、ネットで見たら、ナミアゲハかな。ちょっとちがうようでもあるが。ちょうちょのかたちになってからの寿命は二週間、サナギの時期を入れても四十日ぐらいだそうだ。じゃあもう、いないのかな。雨もひどかったし、最後にお日様を見られてたらいいけど。

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カツジ猫