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曽野綾子のコラム(3)。

◇今日こそは簡単に(笑)。

このコラム、本当に全体がすきなく、まんべんなく雑なのがもうウソみたいに徹底的で、本当にいったい何が一番書きたいことだったのかさえわからない。
八つ当たりのいいがかりの揚げ足取りをすると、安倍首相が自分の意見の合う、反対をしないお友だちばっかりで要職や側近を固めてしまうというのは、よく言われる。そして、そういうのが今や私の知ってる自治体や大学やいろんな場所で、そうなりかけていて、反対意見や気の合わない者は排除して見て見ぬふりして盛り上がってひたすら前進突進するっていう、目隠しした競走馬みたいなやり方がだんだん普通になってるようだ。競走馬はそれでもよかろうが、共同体や組織や団体や政府や国は、それでは議論で鍛えられることがなく、反論や対抗手段を考えて自分を磨くことがないから、どんどん劣化して、ヤワになる。

◇安倍首相が報道機関のリーダーたちと、しょっちゅう会食をするというのも有名な話で、それもまあ感心しないが百歩ゆずって情報を得るために報道機関がそれをしてるとして、私が不思議でならないのは、まがりなりにも新聞テレビのトップにいるような人たちが、なぜそういうせっかくの機会をとらえて、首相を洗脳しちゃわないのかということだ。
いっしょにメシを食うからには、おべんちゃらやお世辞やちゃらんぽらんな雑談に混ぜて、苦い意見や厳しい見解を首相に聞かせ、政治家の使命とは何か、人間性とは何たるかを、自分自身の人間的魅力もかけて、首相に教育するのが、いやしくも知識人としての使命じゃないのか。
鍋食ってるか寿司食ってるか知らんけど、会食なんて毎回、ことばの戦い、思想と人生観のコロセウム、命のやりとりするぐらいの決意とかけひきの必要な戦場だろうが。ぼけっとステーキ食ってワインなんか飲んでるなよ。あんな首相の一人や二人、人間改造できなくて、何がもうジャーナリズムのはしくれじゃなかったトップだよ。

そういう点では首相もつくづく、不運で気の毒なお人だよ。せっかく貴重な時間をさいて、自国の最高級のインテリ(多分)たちとメシ食って、あの程度にしか夢やポリシーや政治哲学を磨かせてもらえないなんて。
お祖父さんの名誉回復とかとにかく憲法改定とか、それもまっとうに国民に訴えかける信念も情熱もない、ひそかな願望としてしか持てないなんて、せっかく大きな権力を持ちながら、何て虚しい地位なんだろう。どこまで自分でまいた種かは知らないけど、確実に回りもひどい。何かもう、「300」の映画の続編の金ぴかクセルクセスのかわいそうさと共通のものを感じてしまう。

◇いや、私の八つ当たり発言はまだ続いているのですが、曽野さんが首相の友だちだかアドバイザーだかそうじゃないのか何だかは知りませんが、彼女は強烈な個性や独特の意見が印象的だった人なんですから、それこそ首相にいろんな反対意見や進言をして野党以上に議論する存在になれないのかあと思ったりもするんですが、そういうことにはなってないんだろうなということが、このコラムを見ると妙に、逆に、伝わる。
私が「劣化して、ヤワになる」と言ったのは、こういうことだと言いたいぐらい、このコラム全体に、覇気がないし、目配りも気配りもない。身近な親しい存在とでも、油断なく立ち向かい、食うか食われるかの論争や思想闘争をしている気配がない。批判しない人に取りまかれて、ぬるま湯の中にひたってる人の文章としか思えない。彼女の魅力だった毒さえも失せて、すきを見せまいという防衛感覚もゼロ。甘やかされて、敵がいない人の文章だよなあと思う。曽野さんて、そういう人じゃなかったのに、と思うんですが。

対立を避け反論を聞かず、快い集団に囲まれていると、こうなるんじゃないかという気がしてならない。私のこんな推論は妄想かもしれないけど、あのコラムの文章から浮かび上がるこの印象は、決して妄想なんかじゃない。
「骨は語る」とか「死体は証人」とか海外ドラマでは言ってますが、書かれた文章も、確実に死体もどきにものを言います、伝えます。

それでねえ、首相の言うことの中身のなさと言い、曽野さんの文章の中身のなさと言い、こういうことの原因をまとめて超簡単に言うとですね、「同じような人間が、気の合って快いものばっかりで集まって住んでたら、そういう場所と人間はこうなる」ってことなんじゃないでしょうか。
曽野さんのこのコラムそのものが、「住み分け」した結果の悲惨さを証明してるように思えてしょうがない。

わーお。今回は介護の問題について書こうとしてたのに、冒頭ちょっと、やつあたりしただけで、もう時間がなくなってしまった。すみません。このコラムについては、今日はここまで。

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カツジ猫