映画「仮面の男」感想集映画「仮面の男」感想(とは名ばかりのおしゃべり)4

ううむ、やっぱりとまらない。ので、つづけます。

私はフランスの宮廷のしきたりとか知らんけど、どーせ監督はわかってて無視してるのかもしらんけど、ダルタニャンって、腐ったリンゴだかトマトだかを串刺しにしてかじって見せるパフォーマンスで、怒れる民衆の暴動なだめたあとで、国王ルイのへやに行って忠告&嘆願するとき、しれっと平気で椅子に座っちゃうんですよね。ルイもそれをとがめもしないし。いいのか君たち。

それが自然に見えてしまうほど、この君臣の関係は変に親密そうで、というか、ダルタニャンの態度が異常にでかい(笑)。終始一貫、徹頭徹尾、王を圧倒、上から目線でものを言ってる。
凶暴で凶悪なはずのルイが、それをちっともとがめないのが、またすごいというか、それで不自然にも見えないのが、何だかやっぱり、すごい。

この話の(原作にはない、映画限定の、相当どころじゃない、とんでもない設定の)伏線はいろいろ、最初から、わりとみえみえなんですが、もちろんそれは計算の上でしょうが、あそこの場面でも、二人のこの雰囲気は、演出がそうなってるのか、俳優のどっちかあるいは両方の判断か、明らかに、父と子のそれでしかない。
この場面でのルイだかディカプリオだかは、ダルタニアンを多分その高貴な人間性ゆえに畏怖してるし、それを見せまいと虚勢をはっているけど、その一方で何だか非常に、まちがいなく、幸福そうでもあります。

この場面は、アトスがルイの弟(つまり、理想の君主になるだろう、いい子)に、グラスの持ち方なんかを訓練している場面の、失った息子と同じような若者を愛するのはやめようと思いつつ、否応なしに気持ちが傾いていく場面と対をなすような、とても不幸で切ないのに、奇妙に幸福で暖かいのが、共通している場面です。マルコヴィッチもバーンも、役割をよく心得た名演ですが、それと呼応するルイ&フィリップのディカプリオの演技が、どちらでもすばらしい。

キャラママさんが、ルイが飼い猫に似ていると身につまされたのもよくわかるけど、ダルタニャンに「市民に配給された食べ物が腐っていたのです」と告げられたルイは、「それが悪いか」とか開き直らない。「あ、そうか、ふうん」と目をそらして、ごまかしてる。アトスの息子の恋人を奪おうとしてる件もそうで、ダルタニャンにやんわり責められたら、善処する、とその場限りのウソをつく。

あー、この子、ダルタニャンに好かれたいんだなーと、見ていてつくづく思う。でも、支配されたり、従いたくはないんだなーとも、よくわかる。
そして、彼が結局、ひるんで、折れてしまうのは、ダルタニアンの迫力や人徳もあるけど、何より、自分への愛情がはっきり伝わってくるからで、それを失いたくないし、うれしいし、でも、そうやって負けてしまう自分に腹たつし、だから、その直後にまったく裏腹なひどいことを、ダルタニャンのいないところで、他人に対して行う。

この一連の心のありようが、見ていて、ほんとによくわかる。それも表情のゆらぎだけで。腐ったリンゴを空中でたたっきるとか、派手でわかりやすい見せ場じゃなくて、ほとんど動かず、笑顔や目つきだけで、全部表現するのは、大変なことです。ディカプリオは、それをきっちりやっている。

この子は、ルイは、ほんとに、愛に飢えてるんだと思う。実際には母親の王妃も、ダルタニャンも、彼を愛していたとは思うけど、立場上もあり、いろいろあって、こだわりのない、あふれるような愛し方じゃない。ルイは、特にダルタニャンの場合、愛は感じるし、かいまみえるけど、はっきり全貌が見えるわけじゃない。
王の仕事は孤独で重圧は耐えがたい。そんな中で、ルイは愛されたがっていて、でもやり方が、よくわからない。
ダルタニアンも、ひどいよねー。「男として生まれたからには、一人の女を心から愛しぬくこと」とか、ルイに言ったって、「女があなたに近づくのは、王冠にあこがれるのでは」とか言ったって、具体的にじゃどうすればいいのか、ルイにわかるわけないじゃないのさ。

むちゃくちゃ言うと、アトスの息子を前線に送って殺すのだって、よくないには決まってるけど、好きな女を手に入れるために何でもしたいと思ったら、そういうこともできちゃう地位にいるのは、彼の責任じゃないだろうに。

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カツジ猫