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公明党支持の方々へ

こんなタグができてるんですね。

#公明支持やめます

#公明支持辞めます

私は公明党や創価学会の方に知り合いもいるし、まじめで平和を愛している方が多いのも知っています。選挙で票読みに来られた方が、自民のブレーキ役としてがんばっていると真剣に思っておられるのもよくわかります。

何より、「選挙になったら票読みに来る」云々の反発が党員や会員の方に対して、すごく多いのは、危険なことだと感じています。そういう行動は当然で、それがいやとか嫌いとかいうことは、下手すれば民主主義を崩壊させる土壌にもなるでしょう。

以前、「昔の投票率」というエッセイでも書きましたが、それは結局政治への無関心や投票率の低下にもつながる感覚です。

そして、いろんな局面で、このように、公明党に疑いを感じ、離れようとする人たちの、苦しみや勇気や迷いを、かつて学生運動をしたり共産党に入っていたりした私は、ひとごとでなく、感じます。

「崖の突端に立って海を見下ろし、まっさかさまに飛び込むか、きびすを返して戻って行くか」、本当にそういう心境で、生き方や未来を見つめ、どちらが飛び込むことになるのかさえもわからずに目をつぶって立ちつづけていた。

自分の昔の小説なんか、めったに紹介しませんが、(あれだけ野球の話をしゃべっていても、「A高野球部日誌」の紹介はしなかったもんなあ。笑)「水の王子・都には」は、その時の私の状況や心境を、象徴的に描いた童話?です。

だから、このようなタグで「遅すぎる」とか、気軽に言ったりからかったりする人たちのコメントを見ると、むしろ、おまえみたいな薄っぺらい生き方してるやつには死んでもわからんだろうと言ってしまいそうになるぐらい、憎しみに近いものがこみあげる。

何かを信じて、自分を捧げて、献身的に未来や世界のために生きようとしてたくさんのものを犠牲にして、それを悔いない日々を送った。宗教であれ、思想であれ、そういうものと向き合い、自分を確かめながら毎日を過ごしている人たちが、それから離れようとする時の絶望と希望が、どれだけわかっているのでしょうか。時にはそれは、愛する人との訣別以上に恐ろしく、つらいものです。

生まれ変わろう、生き直そう、そういう模索や決断をしようとしている人に対して、軽いコメントしかできない、思いつけない人たちの方が私は無気味で、恐いです。一生近づいてほしくないです。

その上で、この現状の中で、公明党を支持してきた人たちが、その役割や現実を直視し、もし支持を続けるのであれば、ぜひ怒りや疑問や不満の声を、学会や党に届けて下さることを願います。
もしかしたら、今一番苦しい戦いをしているのは、そういった方々かもしれません。
そして、今一番大きな力を手にしているのも、その方々かもしれません。

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カツジ猫