弔意の強制
いくら何でもこれはもう、狂気の域に達してる。
弔意表明の指示なんて聞いたことがない。
私が国立大学の学長で、これに従わなくてはならないんだったら、さしあたり中村哲さんをはじめとした、志村けんさん、野村克也さん、弘田三枝子さん、宍戸錠さん、大林宣彦さん、岸部四郎さん、横田滋さんなどなど、あらゆる人にまったく同じように弔意を表明してやる。あ、でもあんな元首相と、こんな立派な方々を同じにするのは失礼すぎるか。
とは言え、失礼と言うなら、人の死をこのように利用するなんて、いくら中曽根氏にだって失礼というものではないかな。私がもし少しでも中曽根氏を尊敬したり愛したりしていたら、こんなことにはきっと耐えられないにちがいない。
そういう人はいなかったのか。誰かとめなかったのか。故人に対しても失礼だと。
いなかったのだとしたら、そういう点では、つくづく気の毒な、不幸な人だ。
国旗や国歌を強制して処罰すると聞いたときにも、すぐに感じたのは、なんという、国旗や国歌に対する冒涜だろうということだった。
そして、昔から文学では、ゲスラーの帽子に典型的なように、こういうことをする人は絶対に悪役と決まっていたものなのに、童話さえ読まないんだろうか、と、それも不思議に思った。
やれやれ、本当に、振り向かされそうでうんざりだ。