憲法学習会つまみ食い(1)
日曜日にむなかた九条の会が催した憲法学習会は、会場いっぱいの五十人あまりの参加者でした。講師の國嶋弁護士は、これまで何度か来ていただいて好評だった方で、わかりやすくて聞く人の立場で話して下さるので、今回もよかったです。
お話の内容も豊かだった上、フロアからの質問も盛り上がったものですから、なかなかいっぺんに書けそうもなく、おいおい紹介することにして、今日は一番私が印象に残ったことをいくつか書きます。
「自分は三十すぎまで一般企業に勤めていて(営業かなんかじゃなかったかな。道理で聞く人目線での話がうまいはずだよ)、海外にもよく行っていた。その中で、日本の常識は決して世界の常識じゃないことを、身をもって知ったのだけど、最近の若い人はほとんど海外に行かないから、それを感じる機会がないのではないかと思う。パスポートを取っている人もめったにいない」
これは國嶋弁護士の雑談の中で言われたことなのですが、本当に驚きました。たしかにお金もないのだろうし、行ってトラブルに巻きこまれたら自己責任とかで責められるからなあ。これも國嶋弁護士の話だったと思うけど、
「外国のニュースはだいたい、世界の、海外の、国際的ニュースを最初に報道する。日本は逆で国内の話題から始まる。これも珍しい」
それではったと思い出した。私は学生時代、自治会活動をしていて、学生大会とかのたびごとに、分厚いレジメ(議案書)を、それこそ鉄筆ガリガリのガリ版刷りで作ってたけど、その形式は、最初が必ず「世界情勢」、それから「国内情勢」、そして「学内情勢」だった。学生大会の場でも、その世界情勢の分析で、反対派の学生と激しく議論していたっけ。
もうすっかり忘れていたけど、私たち共産党系の学生だけでなく、どの派の学生が自治会をやっていても、それは同じだったはずだ。そうなのよねえ、当時の私たちは皆、身近な問題を考えるにも、世界の動き、歴史の流れと結びつけて討論してた。
あのころのレジメって、どっかにまだ残ってないかな。いくら何でも、まさかねえ。
完全におぼろな記憶なんだけど、私は自分が文学部自治会の執行委員長になってから、いつか、その形式を無視して、学内情勢を中心にしたレジメを作ったような気がする。それはよかったと今でも思うけど、でももしかしたら、今の日本の閉塞的なひきこもり現象につながる手助けをしちゃったのかしら。
「判決を出させるよりも、和解をさせるのが、いい弁護士」
これもちょっとびっくりした。そうなんだ。
何だか、雑談の片言隻句ばっかりに感銘受けてるみたいですが、本題もほんと内容よかったんですよ。それはまた書きます。
それから、これは、フロアからの八十歳と言っておられたけど、まだとても若く見えた男性の発言(他の引用もそうですが、記憶で書いていますので、このままのことばではありません)。
「これまでの長い戦いの中で、いつも分裂ばかりさせられて、たがいを攻撃し合って来た。労働運動、原水爆反対、平和運動、皆そうだった。それで本当に時間を無駄にした。今やっとそれがなくなって、それぞれの立場を守りつついっしょに戦えるようになって来たことがすごく喜ばしい。自分はもう八十だけれど、やっとこういうようになったことを、とても喜んでいる」
ああ、そうだった! 私もそれをいつもどこかで感じていたのに、忘れていたのに気がつきました。そうなのです。私の大学時代なんて(小説「従順すぎる妹」でも書いたように)、自民党より、ちがう派の対立する学生運動家たちとの争いの方が中心だったし、国鉄も三池も、原水禁も、いつも分裂し対立していた。私はそれが、とても虚しくて、いやでした。
今はもう、それがない。宇宙人が攻めてきたら地球が団結するように、アベや麻生のようなひどすぎる政治家が出て来たから、そうならざるを得なかったのか、それとは関係なく、立派な志の人たちが賢くなったのか、そこはわかりませんけれど、私はそのことに、とても、いつも、こよなく救われています。
それを思い出させてくれた、フロアの男性に感謝してもしきれない思いです。
今日はここまで。ぼちぼち、行きます(笑)。