動物たち
終活レポート第三弾です。
老後の計画や、災害時の避難計画の話が出るたびに、何か考えようとしながらも、「飼い猫をどうするか?」という課題で即座に行き詰まり、「まあその内に」と先延ばしすることを長年くり返して来た。特に、死ぬまでのいろんな予定を考えるとき、今飼っている猫のカツジが死ぬときが、それ以前とそれ以後をわけるエポックメイキングだなということが、いつも大前提になっていた。
そのカツジが先月急に体調を崩して死んだ。見た目は子猫の時同様、若々しかったが十六歳の高齢だったし、苦しむでもなく、本人も死んだと気づいてないんじゃないかと思うほど、眠るように亡くなったので、まあ大往生と言っていい。
そうやって、同居人のいない生活が思ったより急に訪れた。もともと、自分がペットより先に死ぬのはいやだったから、もう猫も何も飼わない気でいたところに、ひょんなことからカツジと暮らすことになって、十六年間楽しかったが、それは動物を飼わない暮らしが思ったより先延ばしされた、思いがけないお恵みの、ありがたい期間でもあった。
動物を飼わないで、一人で暮らした期間は、大学生だった四年間と、院生時代の少ししかない。幼いときから、犬や猫やヤギや、リスにウサギにニワトリ、メジロにウグイス、カナリアに十姉妹と家にはいつもさまざまな生き物たちがいた。院生時代も、最初はハムスターや文鳥や金魚や亀を飼っていたこともある。文鳥は逃げ、ハムスターは行方不明、金魚は旅行前に店に引き取ってもらい、亀は近くの川に放した。そして、やがて初代猫のおゆきさんが現れて、熊本の大学に就職し、名古屋の大学に移動し、福岡の大学に戻って来た私とずっといっしょに十七年暮らした。
それ以後も猫は多く飼い、唯一の犬だった純白のスピッツのバロンも十四年を生きた。私が最高に愛した猫のキャラメルを初め、彼ら彼女らも次々去って、最後にカツジが残っていた。
おそらく生まれて初めてと言っていいかもしれない、私の本当の一人暮らしが今、始まろうとしている。新鮮と言えば新鮮だ。何がどう変わるのか、私にもまだよく見当がつかない。
これから死ぬまで私が心しておくべきことは、もううっかりと、生き物を飼ったりしないように自分を律しておくことだ。この点だけは、いくら決意していても、何が起こるかわからないし、正直自分に自信がない。しかし、人間も含めた、どんな相手との愛にも私は今後は縛られたくない。この実感を大切にしたい。
私が幼いころ、家族は動物たちをかわいがり世話しながら、同時に殺して食べていた。ヤギの切られた首が物置きの石段に置かれ、首をしめられてばたつくニワトリが庭のみかんの木につるされていた。彼らの肉は料理され、私たちは食べた。
増えすぎたり飼えなかったりする個体もあっさりと殺処分された。私自身も、高齢の母が猫を増やしすぎて家を崩壊させそうになっていた時、多くの猫たちを捨てたし、自分の暮らしの中でも、飼えないと判断した子猫は自分の手で殺した。今の時代、それがどれだけ非難され攻撃されるかも知っている。できればそのようなことをしないですむシステムを作ることもめざしたいし、協力したいとも思っている。
それでも私は、自分が殺すのはいやだからと保健所に持って行く人、ましてや他人の家や庭に置いて行く人などの薄汚い優しさもどきに比べれば、わが手で殺す方がはるかにましだと考えている。そうやって、自分が見えないところで他者によって殺してもらおうとする人たちを、私は誰より軽蔑し、憎む。充分な配慮もなく、猫に無責任に餌を与えて、地域の猫への憎悪を増やす人たちも同様だ。私は、それらの人たちの甘ったるい善意から、自分の生活を守ることにまったく迷いは感じない。
人はしばしば私を優しいと決めつけ、愛情深いと見間違う。私は人が何かに、誰かに裏切られたと思うのは、ただ自分が都合よく望んでいたかたちと相手がちがっていたからに過ぎないだろうといつも思う。実際には私はたいがいの人間よりも冷たく厳しく、甘く見られたりなめられたりしたら、笑って黙って相手を永遠に見限る。その心を持ち続けることが、今後はますます重要で必要だろうと考えている。
…と、こんなことを書くのも、多分この方面の防御が私は一番弱いから、よくよくつけこまれないようにしておかなくてはならないからだ。
更についでのついでに言っておくと、この冷たくて無情な私ほどの愛情も優しさもないような人が、したり顔で、私のこの文章を読んで力づけられ、「自分もそうしよう」とか「そうなりたい」とか思うとしたら、それはもう百億光年早すぎるとだけは、重々念を押しておく。お願いだから自分の無慈悲と無責任と鈍感さと冷たさの言い訳に、私の言説を利用しないで。私の生き方をそんな風に汚さないで。
