私を一人にしておいて
ここしばらく体調がぱっとしないで、ごろごろしていた。そのかみのダイアナ妃が死の直前に言ったことばが、「放っておいて」「私をひとりにして」じゃなかったかと思うが、私はこんなときに、つくづく一人暮らしでよかった天涯孤独(でもないが)でよかったと思う人間で、具合が悪くて苦しいときほど、絶対に誰にもそばにいてほしくない。大丈夫ですかとかがんばって下さいとか言われたら、それだけでもう、あんたに何の関係がある、としか思えなくて、もうその相手をくびり殺したくなる。
20年ほど前に子宮筋腫の手術で入院したとき、見舞いに来たら絶交する、と同僚も友人知人も脅かして、だれも近寄せなかった時もそうだったが、結局病気や苦難と言うのは、自分だけで全身で立ち向かわなくてはならないもので、そのための集中力や精神力を一ミリも他のことに割きたくはないのだ。こっちがしてほしいことは、その都度頼むし、感謝もするが、それ以上のことは、とにかくもう、何もしないでいてほしい。
弱ってるときに助けてもらって親密になる、心を許す、距離が縮まるというのが多分普通の人らしいが、私はまるで反対で、むしろもう、人の弱みにつけこんでここぞとばかりに距離をつめるな卑怯者と烈火のごとく怒り狂って、思えばこうやって病気や困難のたびごとに、友だちと絶交してきたような気がするなあ(笑)。私にべたべたさわるなら、せめて死体になってからにしてと言いたくなる。野生動物の感覚に近いのかもしれない。
だから孤独死なんか全然恐くないし、みっともないとも思わない。だいたい小学生のころから、皆に回りをとりかこまれて別れを惜しまれて死ぬのが思っただけで総毛立って、ぜひとも見知らぬ土地で行倒れになって無名墓に放り込まれたいと夢見ていた。公開広場で死刑になって皆に見られるのがいやだから犯罪は犯すまい(いつの話だ)と決意して、まっとうに生きて来たぐらいだ。抵抗運動やなんかして処刑される決意をするのは、だから私にとっては大変に最大の犠牲と献身だったのだよ。
まあこんな憎まれ口をたたけるほどには元気なのだが、コロナも蔓延しているというし、めったに外に出たり無理をしたりはできない。とか言いつつ、美術展や映画に行く計画を心のどこかで立てている。まあ、テレビでも高校野球やらオリンピックが始まりそうだが、どーせオリンピックはまた国威発揚のメダル競争でうんざりしそうだし、高校野球はこの熱波の中、子どもにあんなことさせるなんて、見ていてひやひやするばかりだし、どれもこれも何だかなあ。大相撲とプロ野球でも楽しんでおくか。
バイデンさんが撤退するのか。まあ、トランプに勝つためにはどんなことでもしてほしいから、何とかいい代わりの人を見つけてほしい。この前、プロ野球を見ていて、ソフトバンクのベンチが映ったら、半分ぐらいが新人すぎて、誰が誰だかわからなかった。入れ替えってやっぱり大事なのだと変なことに感心した。
庭では暑さにも豪雨にもめげず、私が鉢に挿しておいたバラのいくつかが、けなげにきれいな花をつけています。