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「忘却バッテリー」の二次創作(4、これでおしまい)

最近似たような事件やニュースがいっぺんにどさどさ出てくるものだから、不倫も性犯罪もいっしょくたにあつかわれがちだけど、そりゃ不倫だってしょうもないし、それが許されない職種や立場もあるだろうけど、男女を問わず、相手に強引に性的関係をせまる性犯罪とは雲泥の差があるし、基本的には通じる部分があるにせよ、ことの軽重ははっきり区別しておかなくてはいけないと思う。

その点で中居正広、松本人志といった人々の事件は、協力した人たちや組織の背景も含めて、徹底的に調査し、あいまいさを残してはいけないだろう。

更に大阪かどっかの裁判長が、音声の記録まで残って女性がこれ以上はあり得ないほど明確にやめていやだ痛いと拒絶しているのに、それをポルノなどの同じ媚態ととらえて集団レイプ(更に撮影録音してそれを拡散したバカ)の加害者二人を無罪にしたのは、言語道断、あいた口がふさがらず、あごが外れそうになる非常識さで、下世話なことを言うと、いったいこの裁判長ご自身が、ふだんはどういう性生活を営まれ、どういう文学作品(ポルノを含む)をごらん遊ばしておいでなんだと思わず興味がわくレベルだ。

(1)(2)(3)に続いて「忘却バッテリー」の二次創作について話す。知らない人も多いだろうから言うけれど、あらゆるアニメやスポーツ漫画で、恐れ多くて頭がしびれるほどの、登場人物の男性どうしの性愛場面が描かれるのはファンフィクションでは珍しくもない。前にも書いたように「忘却バッテリー」は、その作品の性質からか、そういう妄想が生まれるのをはばむ何かがあると私は感じていて、実際、数としては少ない方だし、激しい性的描写を描くものは更に少ないような気がする。

それでも、もちろんないわけではない。そして他の作品でもそうであるように、主役も端役も脇役もとりまぜて、ありとあらゆるカップリングが登場している。中でも当然ながら主役格の数人を扱ったものが多い。

私はまだそのごく一部にしか目を通していない。具体的には藤堂と千早が対になる作品をいくつか読んでいるだけだ。だが何となく、他の人物を扱った作品でもほぼ同じ傾向なのではないかと予測する。

(1)からずっと、話を引っ張り続けて申し訳ないが、それらを読んで私が強烈に印象に残り、深い衝撃を受けたのは、ごく単純な小さなことだ。
 前にも書いたように、この種の作品には友情と紙一重のほのかなものから、そっそっそこまで書くんですかと言いたいぐらい具体的で露骨な性交渉の描写もある。その最もリアルで詳細な場面のすべてに、強要がまったくない。それどころか、「いやならすぐに言ってくれ」「途中でもすぐやめるから」といった発言が必ずと言っていいぐらいしばしばなされる。相手の苦痛や嫌悪や恐怖を絶対に生まないように気を配りながら、あらゆる性行為が慎重に進められている。

私は自分の還暦記念の自費出版で『私のために戦うな』という本を出版して、多分そんじょそこらのフェミニズムよりは過激かつ全面的にこまごまと、女性差別について書いた。身の回りや映画や文学のほとんどすべてに絶望しながら。その中で再三指摘したのは、あらゆる文学も映像も、男女の恋愛を男性からのレイプというかたちでしか表現できていないし、私自身、その他の描写を思いつけなかったということだった。

私がそのころから書き続けた作品の中で、女性による男性のレイプを描いたのは伊達ではない(笑)。(ちなみに「A高野球部日誌」「騒がしい朝食」だ。)しかし、それは男女逆転しただけで、立場の強い者からの強要なのに変わりはなかった。それでも逆転させるだけでも意義はあると思って書いた。

いわゆる腐女子のやおい小説が生まれて発展し、全盛をきわめたころ、男性同士の性描写が欠かせない、それらの漫画や小説を私はかなり熱心に興味深く読んだし、評価もしたけれど、やはり複雑だったのは、登場する男性同士の性交渉が従来の男女の文学と同じように、何らかの意味で強い立場の男性からの、レイプに近い強引さではじまっていることだった。こういう図式や力関係でしか、結局は恋も愛も書けないのかと思いつつ、それでも受け身の男性が描かれることだけでも、少しは前進なのかと思ったりもした。それ以上の発展や進歩を私は思い描けなかった。

藤堂と千早の場合、「いやなら、すぐにやめる」発言をするのは主に藤堂だ。二人の場合、同じ男性でアスリートでも腕力では明らかに千早が劣っているだろうから、そういうことになるのだろう。そこには男女の役割分担が残るのかそうでもないのかそれでもいいのか、などなどと、その他にいろいろ微妙な問題もあるが、とにかくここには、徹底した強要の否定と拒否がある。それも強者の側からの。私は仰天し感動し人類はここまで進歩したかと、それを予測も予想もできなかった自分の未熟や不明を恥じた。

これは、ファンフィクションの世界が生み出したものか。小説や映画など他ジャンルでも発展したものの影響か。もしくは現実の反映か。
 たしかに朝ドラの「おむすび」のヒロインさえ、自分から「結婚して下さい」と恋人に言う時代だし、ライトノベルなどを読んでいても、昔のような強引なレイプまがいの恋がはじまる要素は見ない。それにしても、男性相手の性交渉で、「いやなら即言え、すぐやめる」と相手の意志を秒単位で確認しつつ、初体験をすすめようとする男性をきっちり描く場面は多分そうそうはない。というか見たことがない。立派すぎて涙が出る。言われる側も、いくら相手が強気で知られる千早と言っても、それに特に驚きも感謝もせず、そんなのあくまで当然のような態度を崩さないことにも立派すぎて頭が下がる。

世の中はこうまで変化したのか、と感無量になっていたら、ニュースであのような裁判長やテレビ局やタレントがしれっと出てくるから、もう世の中がすごすぎる。二極化なんてものじゃなく、異星人どうしが暮らしているんじゃないかとさえ思えて来る。

そして、くり返すが、このようなファンフィクションでの「絶対に強要しない、相手がわずかでも拒否したら、どんな進行状態でも即座に中止する」のが、どのくらい現実の性行為に関する常識になっているのかは、むろんわからないが、登場人物のこんな姿勢や発言が独立して唐突に出現するわけもなく、他の文学や現実の日常でも、ある程度は共有される感覚になっている可能性はそんなに低くないだろう。

だとしたら、そのような感覚を無意識に身につけた男女が、最初に述べたレイプ犯や裁判長のように、「拒否するのは媚態」「拒否され抵抗されるのは快感」「相手の居住空間に一人で入ったら性行為を了承したと同意義」などという、古色蒼然かつ異常な常識や感覚を予想できるわけもなく、その落差がどれほどの衝撃や苦悩や悲劇を生み、性格や人生を破壊されるかは、想像するにあまりある。

私は病的も異常も好きだから、「抵抗され拒否されるのは快感」「強要され蹂躙されるのは快感」という嗜好や性癖があっても別に悪いとは思わない。私にだってないわけではない。
しかし、それはあくまで個人的で、同好の士とともに楽しむものだ。煙草を嫌いな人の口に着火した葉巻を押しこめ、酒の飲めない人の口にじょうごでワインを注ぎ込み、ヘビの嫌いな人の首にニシキヘビを巻きつけるのと、まったく同じ、このような行動を、一般的な社会常識や司法判断の基準にすることは絶対に許してはならない。そこの区別がつかないような人間は裁判長や医師にはもちろんなるべきではないし、一般的な人間としての最低限の教育や矯正をまずは受けた方がよい。

という、ささやかな感動と混乱をお伝えするのに、こんだけ長く、この忙しい年末に書いちゃう私も私だが、でも、皆さんどう思います、これって大事なことですよね?

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カツジ猫