「水の王子」通信(104)
「水の王子」の登場人物は、ほとんどすべて私自身がモデルですが、ハヤオだけはちがいます。この少年はどこからどこまで、まったく私じゃありません。回りに影響されやすく、周囲や多数にすぐ同化し、それを世間の常識、正しいモラルと信じ込んで、すぐ一体化し、回りにそれを押しつける。それに自分でさえ気づいていない。
これは私を受け入れて、いっしょに生きてくれた、私の親友をはじめとした友人知人、世間の人すべての化身です(笑)。さぞかし私にとまどって不愉快にもなったと思いますが、それでもがまんしてつきあって下さったのに、驚きつつ感謝をこめて描いた、私における「他者」すべての姿です。
第一部あたりでは顕著ですが、書いていて、すぐにつくづく気づいたのは、私って何ていやな、つきあいにくいやつだったんだ、よくもまあ、皆は私を受け入れてくれたよなあという、海より深い反省でした(笑)。私は本当に幸福で、恵まれていたのだと実感します。もう死んでしまった人もふくめて、私の友人知人たちに、あらためて尊敬と感謝のことばしかないぐらい。
そして、一人の人間として、当然私自身の中にも、ハヤオみたいな部分はあるわけです。ヒルコにつなぎとめられつつ、彼はアマテラスにのめりこみ、都にのめりこんで行きます。そして、都でヒルコを失い、海のかなたの島で再びめぐりあって取り戻すまでのハヤオの努力と苦しみは、そのまま、空想の世界を失っていた私の青春時代の軌跡です。
彼を好きなのは、自分の出自とか過去とか、未来の運命とかにまるで興味も関心もなく、とことん今しか見てないところ。これも私に共通する部分がないわけじゃなく、私は中学や高校の時、進学させてもらえるのかどうか、いっさい気にせず考えず、就職クラスの友人たちと特にちがった未来も予想してなかった。親もまた、私の未来について一言も相談しないし示唆もしないし、先のことは何も言わなかった。大学に行くことなど考えなくても当然なのに、そうならなくて、いきなりどっかの工場に働きに行けと言われても、当時の私は少しも驚かなかったと思う。
結婚問題もそうで、家族からも親族からもみごとに一度も結婚しろとか子どもを作れとか私は言われたことがなかった。期待さえ感じたことがない。母も叔母にいたっては、むしろ私がいつまでも家にいてそばにおいておけた方がいいと思っていたのかもしれない。祖母は一時ちょっと私の幼なじみと私との仲を深まるといいなと思っていたようですが、ものすごくかすかな感触でしか私にそれは伝わらなかった。叔母と叔父は一度私が三十過ぎたころ「え、もうそんな年?」と真剣に驚いていたことがあり、私は何だか家族から、賢いペットやよくできたロボットや何かのように思われていたふしがある。めちゃくちゃかわいがられていたけど(それでも祖母は一度母への手紙で、よその家庭にふれて「ここでは子どもは王様のようです。私たちは耀子に厳しすぎました」と書いていて、私はへーっとのけぞった)、普通じゃないし特別と何となく皆が認めていたのかもしれないし、祖父母や母や叔母夫婦など、私の所属や責任範囲が誰もあまりはっきりしてなかったのかもしれない(笑)。
言いかえれば、あらゆる未来に対応できるように周囲は私を育てていて、近未来も遠未来も具体的なことはいっさい気にしなかった。私もそんな風に生きていた。何かをめざすとかじゃなく、どうなっても大丈夫なように、世の中も自分もしておきたくて、そのために今できることをせっせとやっていたみたいな。
今も私は神仏や先祖に何かを祈るとき、「こうして下さい」「しないで下さい」と祈る以上に「どうなってもやっていけるようにして下さい」と願うことが多いです。
ヒルコと同じにハヤオもまた私の中に居続けるでしょう。ヒルコが読書や空想から生まれたように、ハヤオは私の祖先や家族、周囲や社会が私にくれた存在です。どちらも大切にしなければなるまいと思っています。