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「水の王子」通信(107)

(これまでのあらすじ)

ナカツクニの村が崩壊したとき、地下のがれきの下で、オオクニヌシは元盗賊の若者タカヒコネが、自分の息子タケミナカタを殺したと知っていたこと、そのことで自分がかけた呪いがタカヒコネを死に向かわせていることを後悔していることを告げる。元はスサノオの都の若い王だったが、その後草原で悪の限りをつくし、村に来てからはオオクニヌシと村を苦しめる若者キノマタたちを防いで、村のためにつくしていたタカヒコネは、かつて知り合っていたタケミナカタを殺したと認め、自分はもともとヨモツクニの生物マガツミで、都で人間に改造されたことも教える。アメノウズメの鏡が割れたことで、がれきの山は崩れて彼らは救い出されるが、村の背後にあった山はなくなって、村人たちはタカマガハラの人々の手も借りて、村の再建にとりかかる。あー、まるで歌舞伎なみの、ややこしい説明ですね。
以下、本文の始まりです。なお、いろんな個人の独白と、普通の小説部分とが入り混じっています。そのややこしさも、お楽しみを。と、開き直る。
 なお、詳しく知りたい方は電子書籍で発売中の「水の王子・村に」をごらん下さい。

 

「水の王子  山が」第一回

【オオクニヌシの独白】

おいで、と私はあのとき言った。こっちにおいで。
 彼が暗闇の中で、自分がかつてはマガツミで、私の息子をはじめとしたたくさんの人を殺して(それは人間になってからだが)気がついたらこの村に来ていた、と話して、ことばを切ったとき、そのあとに続いたわずかな沈黙の中で、私が口にしたのはそれだ。それ以外に言うことは何もなかった。
 彼が動いて、そばに来た気配がした。手探りでさわった腕も指も氷のように冷たかった。私が上着を脱いで肩にはおらせて包むと、彼が口の中で「こんなことをしてもらう権利は、おれにはありません」とつぶやくのが聞こえた。
 「私も君にこんなことをしてやる資格はあるまい」私は答えた。「おたがいさまだ」
 彼の身体から次第に力が抜け、私が昔、息子によくしていたように、ひざの上に頭を乗せて横たわらせたころには、半分眠っていたようだった。
 がれきが崩れて、まぶしい光がさしたときも、かすかに動いただけで目をさまさなかった。タカマガハラの兵士たちとともにかけつけて来たスセリとスクナビコが私たちを見てうれしそうな声をあげたが、スセリはあとで、「タケミナカタがいるのかと思ったわ」とその時のことを言った。「まるで昔と同じだった」
    ※
 タカマガハラの兵士たちががれきを片づけ、私たちの家を建ててくれる間、村人たちの中を回って私も手伝えることをした。アマテラスには、私の家は後回しでいいから、他の者の住まいを早く作ってくれるよう頼み、彼女はそれを受け入れてくれた。コノハナサクヤとイワナガヒメとニニギが目覚ましい働きをして、しっかりしているが画一的ではない楽しげに小ぶりな家が、がれきの間に次々に建った。
 医者のヌナカワヒメがほぼ無傷だったのもありがたかった。スクナビコと協力して彼女は洞穴の中に残って無事だった資材や薬を使って、病院を再開し、多くのけが人の治療にあたった。私とスセリも毎日そこを訪れて、他の病人とともに彼の様子も見た。彼はいつもに比べると大人しかったが、青白い顔で冗談を言っては回りを笑わせて元気づけていた。
 都ではいい王だったのではないかと、あらためて感じた。前からときどき、そう思うことがあった。荒々しさやふてぶてしさ、えげつなさとともに、暖かさと弱い者への目配りが骨身にしみついている。それはスサノオが育てたものか、都の三姉妹が作ったのか? またはマガツミの本質の中に、そういう本質もあったりするのか?
     ※
 新しい家が湖のそばに出来てからほどなく、私たちは彼を洞穴から引き取って、スクナビコと四人で暮らし始めた。まだ暖かだったから、廊下の寝台に寝かせていた。スクナビコは彼の傷は治ると保障し、ヌナカワヒメもよく訪れて二人で手当てをしてくれた。治療は苦しかったはずだが、彼は文句を言わなかったし、声さえあげることがなかった。大丈夫なのかと一度聞くと、ふてぶてしく鼻で笑って平気ですよあれぐらいと言い放った。
 そんな時は不敵な笑顔だったし、食物や飲み物を運ぶ私やスセリにも親しげに笑いかけたが、どこかよそよそしく冷たくなった感じもした。「あたしたちには気を許しているんでしょ」とスセリはのんきだった。「元気なふりをしなくてもいいと思ってるのよ」
 そうかもしれぬが、そうとばかりも見えなかった。彼は幸福そうなのに、悲しげに見えた。身体は回復しているのに、気分は日々に沈んで行くように見えた。

【ヌナカワヒメの訪問】

そんなある日、忙しい仕事の合間をぬって、ヌナカワヒメが一人で私を訪ねて来た。私たちは古い友人で、村についてのあれこれをいつも相談していたから、昔、口さがない人々の間で噂の種にされたこともある。妻のスセリはまったく気にしていなかったが、ヌナカワヒメの方はやや意識していたようだった。初老に近いのに、ふっくらとみずみずしい身体つきと暖かい表情が魅力的な女性ではあった。
 息子のタケミナカタが旅に出るとき、彼に黙って私が飲ませた薬は、ヌナカワヒメに頼みこんで作ってもらったものだ。誰かに殺されたら、その殺した相手の身体をむしばんでやがて死にいたらしめる、その薬を私に渡したことを彼女は後悔していたようだった。タカヒコネの傷が治らず、身体が弱って行くのを見て、タケミナカタを殺した結果だと気づいたのも、おそらく私より早かったろう。
 いつものように率直に、彼女は私に告げた。
 「あなたにもわかっておいでね、オオクニヌシ」彼女は湖のほとりの小道を歩きながら私に言った。「タカヒコネの今の状態の原因が何かということは」
 「ああ、しかし、解せないのは」私は言った。「彼が少しずつだが回復してきているように見えることだ」
 「あなたはそれを喜んでいるのね。私もよ」ヌナカワヒメは言った。「どんな事情があったにせよ、タカヒコネに死んでほしくはなかったわ」
 「あなたにも、この結果は意外だったのか?」
 「治療が成功しているのは私のせいじゃない。スクナビコの能力よ。薬も手ぎわも私などとはけたちがい。ただ、もし、タカヒコネがこうなっている原因をはっきり彼に伝えたら、もっと効果が上がるし回復も速いのではないかと思うの。私があなたに渡した、あの薬のことを教えたら、もっと的確な処置がきっとできるかもしれないわ」
 「君はまだ教えてないんだね?」
 「どう伝えたらいいのかわからないのよ」ヌナカワヒメはため息をついた。「私とあなたのしたことを、知られるのは、私は別にかまわない。タケミナカタを殺したから、彼がこうなっているとわかっても、スクナビコは特に気にもしないと思う。治療のための知識として以外の関心はきっとないでしょうからね。そういう人よ」
 「同感だね」私は言った。「そして私もかまわないよ。そのことを彼に知られたとしても」
     ※
 ヌナカワヒメは私を見て、昔よく見せた、あいまいな笑いをにじませた。
 「スセリにはどう話すの? まだ何も言っていないんでしょう? タカヒコネがタケミナカタを殺したことは」
 「そうか」私も思い当たった。「なるほど。あなたの言うとおりだ」
 「彼女に知らせないままで、私たち三人が知っているというのは、どうなのかしら。いくら治療のためとは言っても」ヌナカワヒメは首をふった。「私が彼女なら、そういうのは、いやよ」
 「それはそうだが当のタカヒコネが話していないことだからな」私は言いながら、これは相当難しい問題だということがわかりかけていた。
 「彼の命を助けるためなら、どんな資料も情報も、スクナビコには伝えておきたい」ヌナカワヒメはそう言った。「でも、あなたがた家族のことを思うなら、スセリに黙っていたくはない。息子を殺した人間の名を。けれど、たしかにあなたが考えている通り、タカヒコネに知らせないで、スセリに教えるというのも、それはそれでいやだし、タカヒコネに前もってスセリに話すとか話せとか言うのも、彼の今の心と身体の状態が、それでどうなるのか、予想がつかなくて、恐すぎる」
 「ううむ、ヌナカワヒメ」私は思わず腕組みをした。「これはやっかいな問題だぞ」
 「そうよね。いくら考えても、私にはどうしたらいいか、わからなかった」
 それから少し話したが、結局のところ、これという結論は出なかった。
 「さしあたり、こうしよう」私は提案した。「あなたが医者として、必要と判断したらスクナビコに全部話してしまってくれ。しかし、そのことを私には知らせてくれなくてもいい。私と相談したことも彼には言うな。私は何も知らないことにしておいてくれ。それでどうだろう?」
 ヌナカワヒメはしばらく宙を見て、私のことばを吟味していた。
 「そうね。それしかなさそうね」やがて彼女はうなずいた。「スセリにも言わずにおくのね?」
 「そちらは私が決める。タカヒコネの様子を見て、可能なら彼と話し合って。しかし、スセリに言ったかどうか、それは私もあなたに告げない。それなら何とかなりそうな気がする」
 「そうね。スクナビコにも、スセリやあなたと、このことは何も話さないよう言っておきます」
 「必要ないと思うがね。彼も医者なら、あなたに聞いたことを口にしはしないと思うよ。タカヒコネに対してさえもね。もちろん、あなたの判断で、そのことを念を押してもらうのはかまわないが」
 ヌナカワヒメはうなずいて、いつもの暖かい微笑みを浮かべ、私の手を軽く握って、湖の上にただよう紫色のもやの中に歩み去って行った。

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カツジ猫