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「水の王子」通信(109)

「水の王子  山が」第三回

(作者の説明)

「村に」もそうだったんですが、この小説は書いていて、喜劇か悲劇かよくわからなくなることがあります。深刻かと思うと滑稽で。何だかひとりでにそうなるのが自分でも不思議です。
スクナビコが本当は何者か知っている読者にはタカヒコネの悩みは笑えるでしょうが、彼を介護している方の人たちも、それなりにあれこれと悩みはあります。

この「山が」はまだ未完です。抜けている部分は、この「作者の説明」で補充します。 また以前の事情を詳しく知りたいかたは、お手数ですが、電子書籍で発売中の「村に」をごらん下さいますよう。アマゾンで低い評価をしているのは、著者の私自身です。アマゾンの表記に問題があるからですが、作品は決して悪くありません(笑)。

さて、スクナビコのシタテルヒメは、ただ一人自分の正体を知る母のスセリに、タカヒコネがときどき自分の正体に気づいているのではないかという心配をうちあけます。また、恋多き老女ヌナカワヒメにも悩みが生まれて来ているようです。

【介護者の悩み】

「彼が恐いの、お母さま」スクナビコはゆううつそうに眉をひそめた。
 「何だか得体が知れないのよ。何かのはずみに見抜かれそうでしかたがない。それでかえって不安になって、からかって、いじめて、遊んでしまう。彼はそれですっかり混乱してるのに、それでも正体が見えないの」
 「そうなの?」スセリはふしぎそうにスクナビコを見た。
 湖のほとりには、秋めいた涼しい風が吹いていた。それでも陽射しはまだ強い。そぞろ歩きながらちらと振り向くと、オオクニヌシが家の広い廊下で手すりの前で、気持ちよさそうに大きくのびをしているのが見えた。タカヒコネの寝台は、陽よけのかげになって、ここからは見えない。
 「見る限り、いい人だけどね」スセリは自信なさそうに口ごもった。「そりゃ、たくさんの人を殺して悪事を働いたのはわかってるけど、何だかそうは見えなくて」
 「だから、そこなの。その通りなの。どうしてもそんな風には見えないのよ」スクナビコは歯の抜けた口をかみしめた。「そういう痕跡は残っているのよ。たしかに彼はたくさんの恐ろしい悪事を働いている。身体も心も、ゆがんで、傷ついて、汚れているのがはっきりわかる。それなのに、汚れていないの。どこかとても、まっとうで、清らかだわ。毎日治療しているとわかる。身体がとてもきれいだし」あいまいにうなずいたスセリに向かってスクナビコは手を振った。「ああ、そんな意味じゃないのよ。見てくれじゃない。骨も、肉も、どこか清々しくて、いい香りがする。あの人は善人としか思えない。それも何だかとびきりの。しかもそれを自分で気づいていない。恥じて、かくしているみたい」
 「わからないわね。気づいてないのに、恥じて、かくすの?」
 「だから、そこがね。自分の一番の強さも立派さも、彼は知らない。どうしてか、それを見まいとしている。そこまでは何とかわかるのだけど、それ以上が見えないの」
 照りつける日の暑さにスクナビコは、はげた頭を手のひらでぐるりとなでて汗をぬぐった。
 「今となっちゃね、お母さま。本当のスクナビコが彼にうかうか殺されてしまったのが、わかる気がする。私たち弟子は皆、いつものいたずら心で相手をなめて油断したのだと怒ったけどね。それもたしかにあったとは思うの。でも、それだけじゃなかったんじゃないかしら。タカヒコネの中にある、彼自身も気づいていない正しさや善を予想もできていなかったから、スクナビコは不意をうたれてしまったんじゃないかな。そんな気がして、しょうがないのよ」

【マガツミ問答】
    
 その数日後の、また暑い日の午後だった。スクナビコはヌナカワヒメと崖の上を見上げていた。
 「だいぶん元にもどりましたな」彼は言った。
 「あら、まだまだですよ」額の汗をぬぐいながらヌナカワヒメが言う。「薬草園は壊滅ですし、洞窟の中に残っていた種や薬草を細々とふやして行ってる状態ですからね」
 二人の前には巨大な岩が黒々とそびえていた。てっぺんまではかなりある、その岩には巨大な洞窟があって、その中に人々が寝泊まりしているのがわかった。この低い岩山は崩れてなくなった山の、いわば根っこか木の切り株といったところで、上部には中途で折れた巨木がいくつか突き刺さるように残っていた。
 「本当に助かりましたよ、スクナビコ」ヌナカワヒメは感謝した。「薬草の代わりになる虫や土をあなたが教えて下さらなかったら、もっともっとここは大変になるところでしたから。おかげであの日、ここに運び込まれたけが人の中で死んだ者はほとんどいません。皆、順調に回復してきています」
 「あんたとお弟子さんたちの腕がいいからじゃよ」スクナビコはほめた。「見ていて、ほれぼれしますわい」
 「そう言っていただけるとうれしいですけど」ヌナカワヒメは笑った。
     ※
 夏も終わりに近づいていた。しかし陽射しはまだ強い。洞窟の前を流れる川のほとりに腰を下ろして、ヌナカワヒメは手で水をすくって飲んだ。スクナビコもそれにならう。のめって川に落ちかけたので、ヌナカワヒメは後ろから帯をつかんで、ひき戻した。
 「ほい、ほい、かたじけない」スクナビコはそのまますとんと、やわらかい草の上に腰を下ろしてあぐらを組んだ。「おお、いい風が来ますのう」
     ※
 「一番心配だったタカヒコネも、オオクニヌシとスセリにひきとられてから、ずいぶん元気になりましたし」ヌナカワヒメは灰色の短い髪をかきあげながら言った。「あれも、あなたの治療のおかげね。私ときたら前に彼に、あなたの命は一年もたないと言ったというのに、とんだ恥さらしですよ」
 「あんたも治療を手伝って下さっとるじゃないですか」スクナビコはのんびり手をふった。「忙しいのに、いつも来て下さって。名医二人に手をつくされて、よくならなかったら彼も恩知らずというものです」
 「そう言っていただけるなら」ヌナカワヒメは笑って、ふっと考える目つきになった。「それに彼、よくよく丈夫なのでしょうね。がまん強いのにも驚くけど。何をされてもほとんど文句を言わないし」
 「わしのことを恐がっておるのじゃろ」スクナビコはくつくつ笑った。「理由はとんとわからんが」
 「それにしても腐った肉を切り、骨を削る治療ですよ。なのに声一つ出さないのだから驚いてしまう。ひょっとして、あまり痛みを感じない身体なのでしょうか」
 「そんなこともあるまいて」スクナビコはひげをなでた。「一度わしに文句を言うたよ。傷をぬいあわせた後で、痛みをとめる薬をやると、そういうの普通は前もって飲ませるもんじゃないですかとな。もっともじゃが、切ったり削ったりして、どれだけ痛がったり苦しんだりするか見ながらでないと、治療の方法がいまいちわからんのでなと言うと、あきれたように黙ってしまった」
 「でも時々本当にもっと我慢しないで反応してくれたらと思うことがありますよ。まるで…」ヌナカワヒメは口ごもった。「そうですね…どういうか…」
     ※
 川はさざめくように二人の足もとをせせらいで流れて行く。ヌナカワヒメは暗い顔になっていた。「いえね、ちょっと思い出すことがあって」
 スクナビコは草を指でもてあそんだ。「いい思い出じゃないようですな」
 「そうですね」ヌナカワヒメはためらっていた。「申し上げたことありましたかしら。私に医者の技を教えてくれたのは、少女のころにお仕えしていたお妃です。ご立派な方で、たくさんの弟子もいました。ほとんど女性でしたけどね。私たちは傷の手当てや薬の使い方や、いろんなことを学びました。それは詳しく…具体的に」

「動物を使ったりして?」スクナビコは聞いた。「わしらはやりませんでしたが、そうやって技をみがく人たちもおりますな。別に悪いことではあるまい」
 「どうでしょうかね」ヌナカワヒメは吐息をついた。「動物だけじゃなくて私たち、ときどきあれも使ったんですよ。ヨモツクニの…マガツミたちを」
 「まあ、動物みたいなもんですからな。それ以下だっちゅう人もいる」
 「そうですね」ヌナカワヒメは苦笑した。「すきとおって…ぶよぶよして…でも身体のつくりや反応は動物よりずっと人間に近かったから…勉強になりました、とてもね…」
 彼女は低くまた吐息をついた。
 「あのときは何とも思わなかった。本当に、私たちの誰も。マガツミたちがどんなにおびえても苦しんでも叫んでも…ただ、勉強になると思うばかりで…彼らを切ったり、焼いたり、他にもいろんなことをしていたんです」
 「それがマガツミですからな。そのように扱われるのが」
 「そうですね。誰も変とは思わなかった。私たちはお妃を中心に人々から頼られ、尊敬されていました。すぐれた医者の集団として。それが王に嫉妬されて憎まれて、結局お妃さまもその弟子も皆死刑になったのです。私は幼かったから、お妃たちが守って、逃してくれました。王は暴君とずっと思っていたし、今もそうですけどね。ただ王はひょっとして、私たちのしていることが残酷で、とても不気味に見えたのかもしれません。このごろ、ときどき、そんな気がする時があるのです…」
     ※
 スクナビコはしばらく黙っていてから口を開いた。
 「タカヒコネの話でしたな」
 「そうでした」ヌナカワヒメはうなずいた。「マガツミたちは、おおむね、とても我慢強かったんです。彼らがマガツミになった経緯はさまざまだし、もちろん個体差もあります。しかし中には本当にどんな痛みにも苦しみにも耐え抜いて、声ひとつあげずに死ぬ者もいました。そのころ、私たちは、それを個性とか感じなかった。強さとも思わなかった。ただ鈍いのかと思って、気にもしなかった。彼らに意志や…忍耐力や…意地や誇りがあるなんて…」
 「誰にも本当のことはわかりますまい」スクナビコはひっそり首をふった。「ただたしかにな、そう感じられるのはわかります。タカヒコネにはどこか何か予測できないものがある。身体のつくりも…心の動きも」
 ヌナカワヒメはスクナビコを見つめた。
 「彼はマガツミなのでしょうか?」
 「何とも言えませんな」スクナビコは首をふった。「今のところはまだ何とも」
 「私は彼が好きですわ」ヌナカワヒメは言った。「だから、マガツミかもしれないと思うと、つらくなるんですよ。昔の私が彼にひどいことをしてしまっていたような気がして」
 「そうじゃとしても」スクナビコは言った。「気にすることはありませんて。マガツミは人は殺さん。手助けぐらいはしますがな。自分から殺そうとする意志はない。タカヒコネは村に来るまでに山ほど人を殺し、悪事も働いておる。その点では彼はたしかにマガツミではない。れっきとした人間じゃよ」
 「安心できるおことばですこと」ヌナカワヒメはため息をついた。
 「いやいや、気をゆるめちゃいけませんぞ」スクナビコは指を立ててふった。「もしこの村にまたヨモツクニに似たものがよみがえるとしたら、それは彼かもしれませんて。それとも彼がそれを防ぐ上で大きな役割を果たすのか、まだどちらともわかりませんが」
 ヌナカワヒメの顔がひきしまる。「注意深く見守らなければならないってことでしょうか」
 「さしあたり、わしとあんただけでもな」スクナビコは言った。「オオクニヌシは彼をでれでれに甘やかしておるし、スセリも似たようなものじゃから」
 ヌナカワヒメは苦笑して、それからふとスクナビコを見つめた。
 「ずっといて下さいます? この村に」
 「さあ、そうしたいとは思うとりますが」
 ヌナカワヒメは崖の上にからまったつる草の白い小さい花をみつめた。「私は自分の弱点を知っている」彼女は言った。「好きな男には甘くなる。マガツミへの罪悪感もありますし、タカヒコネがそれに気づいて、私を利用しようとしたら、いちころだわ、きっと」
 スクナビコはほっほっと笑った。「そこがあんたの魅力じゃろうて。誰とても弱点はあるものじゃよ」
 「ふしぎです」ヌナカワヒメはつぶやいた。「お話していると、ときどき…お年も何もかもちがうのに…お妃と話しているような気分になることがありますわ。昔のことを思い出してしまう。小さな女の子に戻って行くような」

(作者の説明)

やばいですね、いろいろと、ヌナカワヒメも(笑)。それにしても、この一回分は長すぎた。今度からはもっと短めの連載にします。
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