「水の王子」通信(115)
「水の王子 山が」第九回
【タカヒコネの独白】
今朝スセリがうれしそうにおれの寝ているへやに来た。
「いいものを見つけたわ」彼女は両手を後ろにかくして、少女のようにおれに笑いかけた。「ほら、あなたがいつもかぶってた毛皮の帽子」
そして彼女はおれのそばに来て、ぽんとおれの頭に、あたたかくやわらかい灰茶色の毛皮の帽子をのせた。
「がれきの中で見つけたの」彼女はおれの寝台の背に手をかけて、よりかかりながら楽しそうに言った。「泥を落として、気をつけて洗って汚れをとったらね、元と同じにふわふわになった」
「元の通りじゃありませんよ」おれは帽子を頭からとって両手でさわってたしかめた。「もともとかなり汚れていたんで。前よりずっときれいになってる」
「すごく暖かそうね。あなたが狩ったけものなの?」
「いえ、人からもらったんです」おれは思い出そうとした。「山がくずれた時は脱いでたんだな。庭で魚を料理してて暑かったし。たしか、階段の手すりにかけてた」
「そうよ。はしっこの柱にあなたいつもかぶらせてて、何だか見てて、かわいかった」
おれはうなずいた。「これから寒くなるし、助かります。ありがとう」
「どういたしまして」スセリははしゃいだ声を出し、おれのひざの上の帽子を指でちょんちょんとつついて、なでて、走り去って行った。
※
帽子は本当に、よみがえったようだった。スセリの手で命を吹き込まれたように、ふわふわになって、一方に下がった短いしっぽまでが生き生きとゆれた。
夕方、おれはそれをかぶって外に出た。いつか、あまりひと気のない川のほとりにやって来ていた。
木々もなくなってるから、見通しはいい。海も草原も遠くまで見える。あちこちの家にはもう灯がともりはじめていた。
スセリががれきの山でこれを見つけて、おれを喜ばせようとはりきって、くしですいて汚れを落としたり、用心深く少しずつ水でふいたりしている様子が目にうかんだ。おれが驚く顔を思いうかべて楽しそうに笑っているのも。
心が暖かくなると同時に冷え切って行く。幸せなのに気持ちが沈む。
スセリはまだ、おれが彼女の息子を殺したことを知らない。
知ったらあの笑顔も声も、きっと消えるか、変わってしまう。
言わなければならないことはわかっていた。けれど、どこまで話せばいいのか。オオクニヌシにだっておれは、細かいことは話していない。本当のことを言ってはいない。何かを告げても結局は、はんぱな嘘になるのなら、いっそ言わない方がいいのか。でも、そのかわりおれはずっと本当なら与えてもらえないはずのスセリの笑顔や優しさを、受けとめ続けていなければならない。
ほかほかと全身を暖めてくれる帽子の、ゆれるしっぽの先をほおに感じながら、おれはいつか、名前を忘れた町の、暗い裏通りを歩いていた。
※
盗賊になってもう何年もたっていた。たまたま、そのときおれはへまばかりする足手まといの手下たちを皆殺してしまって、一人で気軽に盗みや殺しを働いていた。その町の金持ちたちは意気地がなく、脅せば宝玉でも娘でも何でもよこした。おれはいい宿屋に泊まり、市場で手に入れた、いい酒と食い物で、気軽なぜいたくな暮らしをしていた。
それにもあきあきして、そろそろよその土地に移動しようかと思ったとき、ふと気まぐれで、荒れ果てて崩れかけた家の二階に上がってみた。
盗むようなものは何もなかった。悪臭とがらくたの間を、ねずみが走り回っていて、くずれかけた寝台でやせこけた老人が一人死にかけていた。
おれが入って行くと老人は目玉だけ動かして、おれをじっと見た。「何をしに来た?」と彼はぜいぜいあえぎながら言った。「見ての通りだ。何もないぞ」
「そのようだな」おれは言った。(つづく)