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「水の王子」通信(116)

「水の王子  山が」第十回

【タカヒコネの独白】(つづき)

老人は天井を見た。「まあよく見ておけ」と彼は言った。「いずれはおまえもこういう死に方をするようになる」
 そうかもしれない、とおれは思った。もっとひどいかもしれない、とも思った。
 「おれも若いときは、したいように生きてきた」老人はかすれた声をしぼり出した。「人も殺した。女も抱いた。恐いものなどなかったさ。そして最後はこうやって死ぬ。そうなるだろうと思っていた。今はもう、ねずみを追い払う力もない。だんだん顔のそばまで来るようになった。遠からずあいつらがおれを食らう。一気に殺してくれたらせめてもだ。その前に死ねたらもっといい」
 おれは老人の乾いた口調がどことなし気に入って、ねずみたちを追い払い、そのままへやを出た。次の日、宿屋にあった酒筒を持って行くと、老人はますます死人に近くなっていたが、目を光らせてうまそうに筒の口から酒をすすった。「これでもういつ死んでもいい」と彼は言った。そして骨と皮だけになった細い指で枕の下から毛皮の帽子をひきずり出し、震える手でおれにさし出した。「やるよ。いい毛皮だぞ」
 「これも盗んだのか?」
 「若いころ、おれといっしょに旅をした獣だ。おれを守って大熊と戦って、ずたずたにひきさかれて死んだ。そのまま埋める気になれなくて、ばらばらになった身体の皮をはいでつぎあわせて帽子にして、残った肉と骨は焼いた。かぶると、ぬくいぞ。使ってくれ」
 おれは礼を言ってうけとった。次の日行くと老人はもう死んでいて、男たちが死骸を片づけていた。おれもその日に、その町を出た。毛皮の帽子は捨てられなかった。ついそのままに持って行った。
 あの寒い夜。あの暗い道。
 町を出る門に向かって歩きながら、おれはたしかにあの老人のような死に方をするのだと思った。別に何とも思わなかった。何も感じていなかった。
     ※
 涼しい夕風が海の方から吹いてくる。おれは我にかえって、やわらかい草地を歩いた。
 本当のことをスセリに話したら、きっとここにはいられなくなる。あの家にも。この村にも。
 そしてまた、あの時と同じような暗い道を一人で歩くのだ。こわれかけた身体をかかえて。あの老人のようになるまでに、そんなに時間もかかるまい。
 いやだ、と突然おれは思った。
 この村にいたい。あの家にいたい。スセリといたい。オオクニヌシといたい。湖を見ながら、光を浴びて。
 びっくりするほど激しく強く、その思いがこみあげて来た。足がよろめくほどだった。
 帽子のしっぽが、またふわふわと、おれのあごをくすぐってゆれる。
 どうしていいのか、わからなかった。本当に、わからなかった。

 

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カツジ猫