「水の王子」通信(121)
「水の王子 山が」第十五回
【空の旅】
「空を飛ぶのって、初めてか?」ツクヨミが聞いた。
「ああ、まあな」オオクニヌシが答える。
「もしかして高いところは苦手なのか」ツクヨミは横目で見ながらくすくす笑った。「さっきからさっぱり下を見ないし」
「それもあるが、おまえの操縦の方が気になる」オオクニヌシは小さな二人乗りの白い船の中で、きゅうくつそうに身をよじり、ツクヨミの手もとを見つめた。「えらく、ぐらつくじゃないか」
「おれがタカマガハラにいたころは、こんな小さな舟はなかったよ。そういう意味では初めてだな」ツクヨミはしめった小さい雲の中につっこみ、急降下してまたふらふらと舞い上がった。「姉上が見たらほしがるだろう。もう少し大きめのをたしか今は使っているが、父と母をのせているから、こんな乱暴な運転はできまい。残念だろうな。お好きだったよ、こういうことをなさるのが」彼はするすると風の流れに乗って舟をすべらせた。「それにしてもタカヒメのやつ、まったくとんでもないものを作らせる」
「それを君にあっさり貸すのに、もっと驚く」オオクニヌシは言い返した。「いったい何と言って説得した?」
「何も言わんよ。あの子はおれの言いなりだ。頼めばたいがいのことは聞いてくれる。仲がいいのさ」
「タカマガハラの未来も思いやられるな」オオクニヌシは舟べりにもたれた。「しかし、たしかにいい眺めだ。この切り立った山肌を、こんなに近くで見られるのはいい」
「実は今、相当に危険な飛び方をしているんだが、気づかないとは何よりだ」ツクヨミはとがった峰を回避した。「それにしてもおまえ、歩いて都まで行くつもりだったのか? いったいどれだけ離れていると思ってたんだ?」
「商人たちの馬車にでも乗せてもらうつもりでいたよ。十日もたてば着くだろうと」
「もっと遠いぞ。まだサルタヒコのじいさんに船を出してもらって、海を行った方がよかったな。遠回りにはなるが楽だ。ネノクニの都も海に面しているし、港ぐらいはあったはずだ」
「今は漁も忙しそうだし、ちょっとそれも気の毒な気がしてな」
「とにかくこれなら今日の夕方には都の見えるところまでは行ける。昔ヤマタノオロチがいた岩山に舟をかくして、そこからは歩いて行こう」
「夜の内にか?」
「まさか。泊まるよ、岩山で。食料はあるし、何なら鹿かウサギでも狩る」
「オロチがいた岩山か」オオクニヌシは思い出すように夕焼けに染まる空を見た。
「あの蛇がいなくなってからというもの、世の中もさっぱりつまらなくなった」ツクヨミはうそぶいた。
「そう嘆かなくてもオロチの血の一部は多分、アマテラスの中にもまじっているぞ」オオクニヌシがなぐさめた。
「ああ、おれは姉上が、その点ちょっとうらやましいよ」ツクヨミはまじめに応じた。「その気があろうとなかろうと、結局はあの人は、おれよりいつも先を行く」