「水の王子」通信(125)
「水の王子 山が」第十九回
【若い王の思い出】
フナドの家は都のはしの坂の上にあって、岩場の多い港を見下ろしていた。港というより船着き場程度の規模で、泊まっている舟も少なくて、小さい。家の前の庭では二ひきのマガツミを相手にフナドの妻が、奇妙なことばとしぐさで花の苗について何かを相談していた。こちらを見ると立ち上がって来て「オオクニヌシとスクナビコじゃないの? どうしていたんです?」と笑った。「どうぞ入って下さいな」
マガツミたちに手をふって、また変なことばを交わすと、彼女は一同を中に案内した。
外見は他の家とさほど変わらず、何の変哲もないのだが、家の中は広くて立派だった。ふかふかの長椅子に腰を下ろすと、若い息子が飲み物を運んで来た。オオクニヌシが「おじさんのこと覚えているか?」と聞くと、「クマおどりしてた人でしょ?」と答えて、ツクヨミが吹き出した。「そっちの人は、たて琴が上手で」
「あなたたちがいなくなって、淋しかったわ」妻が向かいの椅子に座って、くつろぎながら言った。「どうしたんだろうって、よく皆で話してたんですよ。スセリさまをお守りして旅に出たんだって話だったから、心配はないだろうって言ってたんですけどね。あの小さい坊やたちは?」
「皆、元気にしてますよ」オオクニヌシは安心させるように両手を広げた。「それより、都も変わりましたなあ。マガツミたちが増えてるし、家も立派になってるし」
「どこの家も皆がこうってわけじゃないんですよ。早くそうなるといいんですけどね」フナドの妻は顔を曇らせた。「この人は運がよかったんですよ。城壁の工事がいろいろうまく言ったから、スサノオとタキリさまたちが、この家を下さって、舟も一艘持てましたしね。でもまだまだ、昔どおりにつましい暮らしの人は多いです」
「タキリさまというと、三人の女の人のことですね?」ツクヨミが聞いた。「新しい王を作り出したとかいう?」
「タカヒコネさまね!」妻はため息をついた。「本当にすばらしい方でした。今はどうしておられるんだろう。ずっといて下さったらよかったのに」
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ツクヨミは茶をすすって、「これはうまいなあ」と言った。
「うちの隣りのマガツミが育ててるんだよ。ほしけりゃわけてもらってやるよ」フナドが妻の横に座りながら言う。
「ぜひぜひ」ツクヨミは熱心にうなずいて、若者の方にふり向いた。「君も座れよ。タカヒコネのこと知ってるの? 同じくらいの年だろう?」
「ううん。あっちがだいぶ上かな」若者ははにかみながら首をふった。
「こいつは年のわりに図体がでかくてな」フナドが得意そうに言う。「顔をよく見てやってくれ。まだガキだ」
「タカヒコネさまのことは、ちゃんと覚えてるよ」息子は抗議した。「工事現場にもよく来てさ、気軽に皆を手伝ったりしてた。雪の中でも皆といっしょにたき火にあたって、干魚なんかかじってた。僕らにもおもちゃや木の実をくれたりして、ほんとに面白くて、やさしい人だった」
「何で都を出たのかなあ」フナドがため息をついた。「何か大きな仕事を命じられて、それがすんだらすぐ戻って来るって話だったのになあ。あれからずいぶん年もたつし、スサノオさまも引退してしまわれたし」
「タキツさま、サヨリさま、タキリさまも、あれからどれだけ入れ替わられたか、もう私どももいちいち覚えちゃいませんよ」妻も首をふる。
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「タカヒコネがマガツミだったってことは、皆知ってたんですか?」オオクニヌシが妻に聞く。
「どうかしらね。あなた知ってた?」
「いやあ、知ってるも何も、あのころ都じゃマガツミなんて誰も見たことなかったんじゃないか」フナドが言った。「だから、どうでもよかったよ。聞いたかもしらんが、それがどういうことなのか、わかった者なんかいなかったろ。タカヒコネさまはタカヒコネさまだ。ただそれだけのこった。若くて、強くて、かしこくて、おきれいで、スサノオにもタキリさまたちにも愛されていた。そうだなあ。しいて言うなら、あの人がマガツミだってことを、うすらぼんやり皆が知ってたから、その後いろんなマガツミが出て来ても、ふえても、あんまり気にはしなかったってのもあるのかなあ」