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「水の王子」通信(127)

「水の王子  山が」第二十一回

【老女は語る】

「予想してないこともなかったが、この都じゃタカヒコネの人気は昔のスサノオ以上だな」フナドの妻と息子が野菜のかごを家の中に運び込んでいる門口で、ツクヨミがオオクニヌシにささやいた。「いったい彼が草原であれだけ流した悪名は、全然伝わっていないのかね。本人が聞いたらさぞかしはりあいがなかろう」
 「君も言っていた通り、草原と言っても広いからな」オオクニヌシはうなった。「それより、タカヒコネが今私たちの村にいることを言ったものかどうか前もって決めとくんだったよ。ゆうべはたいがい冷や汗ものだった」
 「今日はどうする?」
 妻が入り口から手招きしたので、二人は入って行った。
 フナドの家に比べると小さいが、居心地よさそうな住まいだった。壁ぎわの料理場で大きな身体のマガツミが一人、せっせと何かをきざんでおり、窓の下の棚には、足が一本で手が三本のマガツミが気持ちよさそうに寝転んでいる。あちこちの小さいつぼに花が飾ってあり、白髪の小さい老女が両手をにぎりあわせるようにして食台の上で手を組み、おだやかな目でこちらを見ていた。
 「こちらはもと三人の女のお一人だった方です」フナドの妻は空になったかごをかつぎ直しながら言った。「聞きたいことは何でも聞いて下さいって。道は覚えておいでですよね? お話がすんだら、どうぞ帰っていらして下さい。食事と寝床は用意しておきますよ」
 「ありがとう。時間が余れば城壁に行ってひと仕事してから戻ります」
 妻は笑って、息子の手を引き、出て行った。
 老女は黙って、片手で向かいの椅子をさす。
 「座っちゃどうだい、お二人さん?」棚の上のマガツミが、よくとおる、はっきりした声ですすめた。
     ※
 「何とお呼びすればいいのでしょう?」腰を下ろしたオオクニヌシが、まず聞いた。「あなたのことを。タキツさまか、それとも…」
 「サヨリとでも、タキリとでも、お好みのままに」やわらかいかぼそい声で、歌うように老女は答えた。「実のところ私も、よく覚えておりませんのですよ。何しろもう昔のことですもの」
 「私たちがいたころですか」ツクヨミが聞く。「アマテラスが死んだとか、ヤマタノオロチがよみがえったとか言われていたころ?」
 老女はゆっくり首をふった。「それよりもずっとあとのことでしょうよ。私はまだとても若い、まるっきり少女のようなものでしたから。そして一番年寄りになるまで三人の中のひとりでしたよ。タカヒコネがいたころと申し上げたら、おわかりになりやすいでしょうかしら」
 「彼を作ったお一人ですか?」
 「いいえ、あなた。もう彼はかなり育っておりましたよ。それは愛らしい、利発な子どもでしたっけ。やがて少年から若者になり、私たちやスサノオとともに都のあれこれを決めるようになりましたのよ」そして老女はため息をついた。「間もなくいなくなってしまいました」
 「じゃ、彼がどうやって作られたか、どんなマガツミがもとになったかも、ご存じない?」
 「さて」老女は考えこんだ。「いっぴきだけということはなかったでしょうね」思い出すように彼女は目を閉じた。「何びきか使ったと聞いたように思いますよ。そうですね…ひよわな動きのものは使わなかったと言っていたように思いますわ。それから、ヨモツクニの色やかたちに染まりはじめていそうなものも使わなかったはずですよ。透き通った、できるだけ透明なものを選んだようです」その声は次第に、どこか夢見るような響きを帯びた。「ほのかな光を残しているもの。長い闇の中にいたのに、消えない光を宿しているもの。かしこく、すばやく動くものより、やさしく、まじめで、のろいもの。ああ、それから、たしか、くすぐると笑うもの、つっつくと怒るものを選んだというのではなかったかしらねえ」
 「妙に何だかわかるところがたまらんな」ツクヨミが一人言を言った。
 「あとはとにかく、かわいがった。三人の女だけではなく、回りにいるすべての人が、ひたすらに、愛して、いつくしんで、大切にしたと」
 「そのころ、あなたがいらしたころには、他にはマガツミからできた生き物はいなかったのですね?」
 老女は首をふった。「小さいものなら、いくらかおりましたよ。虫のようなものや、鳥や動物のようなものならば。彼は仲よく遊んで、大切なおもちゃのように大事にしておりましたけれどね。自分と同じものだとは、きっと感じていなかったのではないかしら。本物の虫やトカゲや蛇なんかも、彼は殺しませんでしたからね。狩りを教えるのに一番苦労したと、スサノオがよく申しておりました」
     ※
 「彼が都を出てしまったいきさつというのも」オオクニヌシは尋ねた。「知っておられるのでしょうか?」
 「あまり、よくは」老女は深く息を吸った。「もうそのころは私は若くなかったし、あとの二人が熱心にスサノオを支えようとしていましたし、タカヒコネのこともかわいがっていましたし」老女はひっそり、笑った。「これはね、私の弱点ですの。昔から兄弟姉妹とも友だちとも、何かをはりあい、奪い合うのがそれはもう、下手でして。そういう心がまじりこむと、正しい判断ができなくなると、いつも思っていたものでした。若い二人の仲間がスサノオやタカヒコネのそばにいて、先を争って二人を大切にしようとしているのを見ますとね、そこに割って入る決心がどうしてもつきませんでした。むしろ、思ったものですよ。こんなにスサノオとタカヒコネを大事にしようとしてくれる二人がいるのですから、私は安心していてもいいのではないかしらん、と」
     ※
 「そう、私はもっと戦うべきでした」二人の返事を待たずにかぼそい優しい声で老女は続けた。「あの子を守って、スサノオさまの近くに、もっといるべきでした。それがお二人と、この都を守ることにもなったのでしょうに」
 髪のぼうぼうと長い大きなマガツミが、飲み物を運んできて三人の前に形も色もちがう大小さまざまの湯のみを、ことこととおいた。「ありがとうね」と老女がほほえんで礼を言い、オオクニヌシは「あれ? ちがったら悪いが、あんたは昨日、城壁にはりついてた人じゃないか?」と聞いた。「皆が泊まる小屋のそばで」
 「へ?」大きなマガツミは鐘のとどろくような変な声で応じた。
 「いや、ちがってたらすまん。何だか首のつき方が似てる気がしたもんだから」
 「いた。そこにいた。多分、私」マガツミはそれだけ言って戻って行った。途中でふり向いて、つけ加えた。「今日は、お休み」
 「私たちもさ」オオクニヌシは言った。「まあ、あんたはここで働いてるんだから、仕事中なわけだが」
 「ふふふふふ」マガツミは笑った。「ふふふふふ」
 さすが、と言いたげに首をふったツクヨミは、再び老女に目をやった。「それは、どういうことですか?」
 「そのころには、マガツミの数ももうふえていました。この人たちのような大型の者も、しゃべれる者もおりました」老女は言った。「そのことも、その他のあれこれにつきましても、都はいろいろ変わろうとしておりました。さまざまな意見のちがいもありましてね。今もそういう問題がなくなったわけではございません。一口には申せませんが、たとえばね」いつの間にか棚を下りて、するするとひざにすり寄ってきた一本足のマガツミの、ぶよぶよの頭を老女はなでた。
 「この子は力仕事はできません。そのかわり、計算や記憶は私どもよりずっとすぐれておりますの。議論も弁舌も巧みですし。他にも音楽が得意な者、料理が上手な者、掃除がうまい者など、たくさんの種類のマガツミがおります。ですけれど、それは正しいことでしょうかしら? 私ども人間の暮らしに都合のいいような生き物を、次から次へと作りつづけることが?」

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