「水の王子」通信(129)
「水の王子 山が」第二十三回
【スサノオの暮らし】
スサノオの家は、高い四角な石造りの建物の中にあった。その建物は斜面によりかかるように建てられていて、高い階の裏口は坂道の途中に直接続いていたが、通りからの正面の入り口からは、くねった狭い階段を登って行くようになっていた。スサノオの住んでいるのは、その両側に並んだ奥の方の一室で、あまり日もささない、ひとへやだけの空間の中に、小さな寝台と食卓と、古びた木の器を並べた棚と、石を削ったような調理台だけがある。粗末な服がいくつか壁にかかり、大きな火桶の中の白い灰の中に火のついた小さい炭がいくつか重なっていた。
それでもへやはきちんと片づき、家具はきれいに磨かれて何から何までさっぱりしている。大きなマガツミの背中から飛び降りた小さいマガツミは、人なつこげにスサノオのひざに抱きついた。
「元気だったか、スサノオ?」マガツミは叫んだ。「客を連れて来たぞ。茶と木の実も少しだが持って来た」
「それはありがたいな」スサノオは太い、よくひびく声で言った。「タキツばあさまはお元気か。足の調子はいかがかな?」
「サヨリばあさまのことかい。まあまあなんじゃないかねえ。今度ここにも来るって言ってたよ。それはそうとね、この前の話だけど」
大きなマガツミは否応なしに、小さなマガツミをつかまえて肩にのせた。「今日は帰る。私たちまた来る。タキリばあさまもつれてくる」
「こら待てこら待て」と言っている相手にはかまわず、大きなマガツミは扉を押し開いて出て行った。
身体を開いてそれをよけて見送ったオオクニヌシとツクヨミが目を戻すと、スサノオは棚から下ろした鉄のなべに水桶からくんだ水を入れて、火にかけようとしていた。
「私がやります」オオクニヌシが近づいた。
スサノオは笑った。「慣れているよ。ここは意外と便利がいいんだ。裏の入口から外に出るとすぐ、滝のように細いきれいな小川が流れていてな。水をくむにも不便はない。小さな庭だが野菜もとれる」
「私を覚えておいでですか?」オオクニヌシが静かに聞いた。
「娘が愛した男の顔は忘れんよ」スサノオはおだやかに応じた。「そちらのお友だちもな。お名前は聞いていなかったようだが」
「ヨモツクニのツクヨミ。あなたの兄です」ツクヨミはかすかに笑っていた。「もっとも生まれてこのかた、一度もお会いしていないが」
※
スサノオはツクヨミをじっと見た。
「お会いしたことはないが、姉上に似ておられる」
「時々言われますね」
「とにかく座ろうか」スサノオは木の長いすを手で示した。
どこか壁の向こうから赤ん坊の泣き声がしている。もっと遠くから、子どもたちの騒ぐ声もする。
「ここには家族がひとへやに住んでいる者が多くてな」スサノオは言った。「もっと広いところに皆が住めるようにしようと、三人の女たちも工夫はしているようなのだが」
「あなたはもう、口を出されないんですか」
スサノオは黙って笑って首をふる。
ああ、とオオクニヌシが低い声をあげた。
ツクヨミが何か言いかけ、そして首をふってやめた。
どうかしたかね、と言いたげに二人を見たスサノオにオオクニヌシは低くはっきりと告げた。
「タカヒコネは今、私たちの村にいます。私の家でいっしょに暮らしている。もちろん、スセリもいっしょです」
※
スサノオの顔の表情は読めなかった。一瞬の内に都の王だったときと同じ仮面をつけたようだった。何をどこまで話そうか聞こうかと目まぐるしく判断しようとしているようだった。
「元気でいるのか」ようやく彼はさりげなくたずねた。
「残念ながらそうとは言えない」オオクニヌシは答えた。「私のせいでもあるのだが、身体をこわして一時は命も危なかった。しかし今は回復してきている。元ほど元気にはなれないまでも、普通に生きては行けるだろう」
スサノオはオオクニヌシから目をはなさなかった。「だが幸せではないのだな」
オオクニヌシはうなずいた。「それは身体のせいじゃない。少しずつだが順調に、彼は回復して行っている。皆に愛され、大切にもされている。昔、ここでそうだったように。問題は心だ。元気になって、幸せになるほどに、彼は苦しんで、つらそうになっている気がする」
「聞いてみたのか、その理由を?」
「それとなく聞いても答えない。彼自身にもよくわかっていないのかもしれない。何に苦しめられているのか、何と戦っているのか」
スサノオが静かに目をそらし、とっくにわいていたなべの湯を器に入れて茶の葉を加えた。
「このままでは彼はきっと」オオクニヌシは言いかけて首をふった。「いや、私にもわかりません。彼がいったいどうなるのか。まったく見当がつかないのです」