「水の王子」通信(131)
「水の王子 山が」第二十五回
【夜な夜な考えても】
「さっきオオクニヌシがいきなりタカヒコネのことを言い出したから、驚かれたかもしれないな。私にもとめるひまがなくってね」ツクヨミは笑った。「あなたもなぜだかおわかりにならなかったんじゃないですか? あなたのさっきの首をふりながら笑った表情が、タカヒコネにそっくりだったからですよ。顔立ちや身体つきは似ていないのに、まとっていた雰囲気がそっくりだった。苦しげで悲しげで、何かを忘れようとして、けれども忘れられないで」
スサノオは苦笑いした。
「そして、もっとわかったのは」ツクヨミはたたみかけた。「彼とあなたが、どんなに仲のいい親子だったか、どんなに愛して、信じあっていたか。知らず知らずにたがいのしぐさや表情を、なぞりあってしまうほどに。まちがいなく、彼はあなたの息子だし、あなたは彼の父親だ」
スサノオがゆっくり首をふった。
「そうだったとしても、今はもうそうではない」
「彼はあなたにとって、この都にもひとしい存在だった。それを失ったと思ったとき、あなたは都も手ばなした。すべての夢も目的も手放して、ここに一人でひきこもった」
「これも私の夢だった。嘘ではないよ」スサノオは言った。「この暮らしも悪くない。都がどうなろうと世界がどうなろうと、何の責任も感じないでいられる幸せも、あなたは知っているだろう。私より長く生きてきたのだからな」
皮肉はこもらない、安らかな口調だった。
※
「もしかして、私はあなたから」オオクニヌシが両手を顔からはなして、スサノオを見た。「スセリもタカヒコネも奪ったのだろうか?」
「それだけはちがう」スサノオは強く首をふった。「ひきとってもらったと言うべきだろう。二人が君のような人間といっしょにいると思ってこそ、私はここで安らげるのだ」
「それならせめて、タカヒコネを救ってやってくれ」オオクニヌシはたのみこんだ。「何もかも話してくれなどとは言わない。そんなぜいたくは望まない。話したいこと、話せることだけでいいから教えてくれ。彼はなぜ都を出たのだ? いったい、何があったのだ?」
「オオクニヌシ。兄上」スサノオは沈んだ声で答えた。「正直なところ、私にもわからないのだ。忘れようとしていたわけじゃない。むしろ、いつも考えていた。どうすべきだったか、何が正しかったか。ここで一人で、夜も朝も昼も、心をすませておだやかに。もしそれで何かがわかれば、今からでも、いつでもすぐに、私はまた三人の女たちの相談役にも、人々の指導者にも戻るだろう。しかし、それがわからないのだ。この都の進むべき方向が、未来が私には見えない。だからこうしているしかない」
※
「それは君の人生と、未来だ」ツクヨミが言った。「都の未来でもある。それに口を出す気はない。好きなようにしてくれていい。ただ、今の君が思い出せること、知っていることだけを私たちにも教えてほしい。決して悪いようにはしない」
オオクニヌシがあきれたような顔をした。「ヨモツクニのツクヨミにそう言われてもな」と彼はつぶやいた。「いいようにはしない、と言われたのなら、まだ信じられようが」
スサノオはにやりと笑って、身体の力を抜いたようだった。ツクヨミは苦笑しながら片手を上げ、オオクニヌシも笑った。
「いや、話そのものは単純なのだ」スサノオは言った。「ただ、真実を誰も知らないだけだ」
二人は神妙な顔をしようとしたが、うまく行かなかった。
「ええと、それは」ツクヨミがためらいながら聞いた。「つまり、どういうことなんだ?」
「そのときの三人の女と、私とタカヒコネしか知らない事実ということだ。その時の三人の女はかなり老齢で、まもなく皆入れ替わり、そしてもう今ではたしか死んでしまっているはずだ。つまり、私とタカヒコネしか、その時の事情を知っている者は今はない」
「それが都の歴史の中での秘密というなら」オオクニヌシは言った。「私たちもその秘密は守る。タカヒコネを救うため以外には使わない。絶対に誰にも口外しないと誓う。どうか聞かせてくれないか。いったい、何があったんだ?」
「単純な話だ」スサノオはくり返した。「むろん、私が何度も思い出して整理しようと、頭の中でまとめ直し続けたせいもあるのだろうが」