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「水の王子」通信(137)

「水の王子  山が」第二十九回

【消された未来】

タカヒコネは顔色ひとつ変えなかった。黙って湖面を見つめていた。ただ舟べりを握った手に力がこもって、指の節が白くなった。
 ツクヨミはそれを見ていた。「おやおや」と彼はからかうように言った。「やっぱりそうか。まちがえたんだな」
 「私は何も言っていない」タカヒコネの声は低いが乾いてはっきりしていた。
 「いったい誰とまちがえたんだ?」ツクヨミはかまわず聞いた。「闇の中で君がタケミナカタと思って殺したつもりになっていた、その男とは誰なんだ?」
 弱い風が出て、舟の回りにさざ波が立った。タカヒコネはあいかわらず動かない。ツクヨミは笑った。
 「往生際が悪いな。おまえが何も言わないなら、オオクニヌシにおれがこのことを話すぞ。それとも都にまた行って、三人の女とスサノオに、ことの次第を根ほり葉ほり聞く。そう苦労しないでもわかるだろうよ、それが誰かぐらいのことは」
 「組織の中心人物の一人だ」タカヒコネが唇だけを動かした。「タケミナカタと同じぐらい人気があって皆をまとめていた。タケミナカタとも仲がよかった。しかし信用できなかった。いつも敵を作っては皆をまとめたがり、スサノオや三姉妹や私と、仲間を対立させようとし、その一方で私にとり入り、接近し、タケミナカタとの信頼関係をこわそうとした。嘘も平気でつく男だ。自分を目立たせるためだけに乱暴な行動を提案し、しかもそれは人にやらせた。タケミナカタをひきずり下ろそうと必死だった。タケミナカタは気にしてなかった。あんなやつだからしかたがない、いいところもあるさと笑っていた。たしかに頭はよかったし抜け目もなかった。だが、すべては自分のためでしかなかった。私の目にはそう見えた」
 ツクヨミは黙って、ゆっくりかいを動かした。
 「私はあの集団をほろぼすことには反対だった。父の命令には従ったが、まだ望みはあると思っていた。何か方法はないかと考えて、結局、あの男を葬って、タケミナカタが仲間をまとめてくれれば、多分うまく行くと判断した。だいたい、危険な存在とスサノオたちに思われたのも、あの男が役に立たない激しい反抗をあおったからだったし。それで、あの男の家に行き、彼の寝床に行って殺した」
 「だがそれは彼ではなかった」
 「タケミナカタがその夜、彼の家に泊まって彼のへやに寝ていたのはたまたまだったかもしれない。私たちはしばしばおたがいの家に泊まったし、寝床を使うこともあったから。だが私にはわかる。あれは偶然なんかじゃない。あの男は私の計画を見ぬいていた。そういうところは鋭い男だった。わざと私に殺させたんだ。翌朝、彼がタケミナカタが殺されたと知らせに来て、私を見た様子で、私にはそれがはっきりわかった」
 「君は彼を許さなかった」
 「許すも許さないも」タケミナカタはかすかに笑った。
 「タケミナカタがいなくなり、彼が中心になったら、あの集団はあまりに危険だ。少々すぐれた者や立派な者がいたとしても結局は彼に支配される。一刻を争って、すべてを滅ぼすしか、もう方法がなかった。もちろん私の憎しみがまじっていなかったとは言いきれない。もう私にもわからない」
     ※
 「なぜそのことを」ツクヨミはおだやかに聞いた。「オオクニヌシに話さなかった?」
 「誰にも言ったことはない。当然、彼にも言わなかった」
 「タケミナカタを殺すつもりはなかったのに、だまされて、まちがえて、殺してしまったということを聞いたら、彼だって、救われたとは思わんのか?」
 「どこがだ? 自分の大切な息子がそんな愚か者のバカなまちがいで殺されたとわかったら、私だったら立ち直れない。救いようのない悪人や、冷酷な支配者に殺されたと思った方がまだずっとましだ。相手を憎めるだけでも」
 「オオクニヌシは君を憎まなかった」
 タカヒコネが初めて身じろぎした。「あの人は本当にどうかしている」
 「もしかして君が都を出て悪の限りをつくしたのも、それが理由じゃあるまいな?」ツクヨミは冷たく言った。「君は自分のあやまちを認めたくなかった。バカな、うっかりまちがいを。初めからタケミナカタを殺すつもりだったということにしたかった。自分でもそれを信じたくて、それにふさわしい人間になりきろうとして、せっせと悪事を重ねたのか」
 「愚か者より悪人の方がずっとましだ」タカヒコネはつぶやいた。「自分にも、他人にも」

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カツジ猫