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「水の王子」通信(147)

「水の王子  山が」余談 第一話「最高の友人」(1)

【浜辺の父子】

空は真珠色とるり色に淡く輝いていた。もう冷たくなりかけているが、どこかまださわやかな秋の気配も残している夜明けの風が、浜辺を軽やかになでていた。
 コトシロヌシは、やわらかく輝く海面に向かって小石を投げた。ひとつ、ふたつと石は風を切って飛び、次を投げたとたん、横から飛んできた別の石が、それをはじき飛ばして、二つともがちがう方向に飛んで波間に落ちた。
 ふり向くとオオクニヌシが浜辺をこちらに近づいて来ていた。髪はまだむぞうさに束ねたままで、灰色の上着をはおって、どうやら起きたばかりのようだった。
 「お見事です」コトシロヌシは呼びかけた。
 「まぐれだ」近づきながらオオクニヌシは言った。「自分でも驚いた」
 「石投げを教えて下さったのは父上ですから」
 「おまえの方が今ではうまい」
 そばまで来たオオクニヌシにコトシロヌシは「タカヒコネがゆうべから、うちに泊まってます」と教えた。「まだ寝てますが、そのことをお知らせしておかないとと思って」
 「ありがとう。そうではないかと思っていたよ」オオクニヌシは手で顔をなでた。「あれが話したかもしらんが、ゆうべはちょっと一騒動あってな」
 「聞きました」コトシロヌシはおだやかに返した。「スクナビコがシタテルヒメだったんだそうですね」
 「まったく、まだ信じられんよ」オオクニヌシは首をふって、砂丘にどっかと腰を下ろした。「寝耳に水とはこのことだな」
 「そのことなんですが」コトシロヌシはその近くに片ひざ折ってしゃがみこみ、海を見たまま続けた。「タカヒコネもびっくりして、あなたに昨日話すつもりでいたことを、半分残してしまったようですよ」
 「どういうことだね?」
 「都で兄を殺したことを、あなたと母に話したんでしょう? 本当は、まだそのあとがあったんです」
 「と言うと?」
 「彼は兄を殺すつもりじゃなかったんです。スサノオから兄たちの組織を滅ぼすように命じられて、それを何とかさけようとして、その中の非常に危険でいやなやつを一人排除してしまえば、あとはタケミナカタと自分とで何とか組織をたて直して、残せるのではないかと判断したらしい。それで、そのいけすかない男の家に夜しのびこんで、寝床で殺した」
 「うむ」
 「だがその男も、それを見抜いて予期していた。それで、その夜、兄を自分の家に泊めて、自分の寝台に寝かせていた。闇の中でタカヒコネは、それをその男と思いこんで、声もあげさせずに息の根をとめ、翌日その男がタケミナカタが殺されたと知らせにくるまで、そんなことは夢にも知らなかったのですって」
 入江のずっと向こうの方で船の出発を準備しているらしい、男や女の声がしはじめた。海鳥たちが鳴きながら空を横切る。オオクニヌシは黙っていた。今聞いたことの意味をじっくりと、かみしめ直しているようだった。
 「彼はそれで、もうだめだと思ったらしいです」コトシロヌシは静かに続けた。「兄がいなくなり、その男が組織の中心になれば、まちがいなくスサノオたちの予想以上に、その集団は狂った危険なものになり、都を滅ぼすことが目に見えていた。だから、三人の女とも協力して、彼はその男に罪をきせて処刑し、あらゆる手段でその集団をあとかたもなく滅ぼした。中にはすぐれた者や立派な者もいたけれど、そんなこと言ってはいられなかった。そうやって都を守り、そのあとすぐに、都を去った」
 「私にはわからない」オオクニヌシはつぶやいた。「何よりもだ、なぜそのことを彼は私に話さなかった?」
     ※
 コトシロヌシはせきばらいした。「あなたにだけじゃありません。彼は誰にも話していない。スサノオにも三人の女にも言ってない。あくまで兄を殺したくて、殺すつもりで殺したのだと、ずっと皆に思わせてきた。もしかしたら自分自身にもそうなんでしょうね。そういう自分にふさわしく、草原で悪の限りをつくそうとしていたんじゃないでしょうか」
 「だからだ、それは何のためにだ?」
 「そんな愚かなバカなまちがいで殺されたのだとわかったら、あなたがどんなに傷つくかと思って。それよりは冷酷な支配者や、残酷な悪人に殺されたと思う方が、相手を憎めるだけでも、まだ救いがあるだろうと」
 オオクニヌシははちきれそうに目を見はった。「くだらん。何とも話にならん。いったい本気でそんなことを―」
 「悪人の方が愚か者よりはずっとましだ。そう思っていたと言っていました。自分が愛していた者が、そんな間抜けなまちがいで殺されたのだとわかったら、自分だったら立ち直れないと」
 「私が救われたとは思わなかったのか?」オオクニヌシのまなざしには、やわらかいふしぎな輝きが漂いはじめていた。「彼に私の息子を殺すつもりなどなくて、ただの間抜けなバカなまちがいで息子が死んだのにすぎなかったとわかったら、どんなに私が幸せになるか、彼は予想もしなかったと?」
 コトシロヌシは静かに笑って首をふった。「きっと、そうでしょうね。予想もできなかったんでしょう」
     ※
 「だが、それを昨日私に話そうと決めたんだな?」オオクニヌシは言った。「なぜだ?」
 「なんか、ツクヨミに見ぬかれたらしいですね」コトシロヌシは説明した。「そして、舟の上でおどかされたようです。おまえが言わなきゃ、おれが言う。そして、ひとにぎりのマガツミにしてオオクニヌシの手のひらにのせてやる、とか何とか」
 「彼にそんなことができるのかね?」
 「わかりません。タカヒコネはできると思ったんじゃないですか。とにかく、それで彼はあきらめて、死ぬ気であなたに話しに行ったら、中途でそれどころではなくなって―」コトシロヌシはことばを切って父を見つめた。「何です?」
 「いや、まあいい」オオクニヌシは考えこんだ。「それで昨日、君にそれを話したのか?」
 「私と、ニニギにですね。たまたま食事に来ていたから」コトシロヌシは続けた。「彼が兄を殺したことを話したので、私はつい、その集団のどこがいけないとスサノオたちは考えたのか、どこに問題があったのかと、根掘り葉掘り聞いたんです。彼がつらそうなのにも気づかなくて」
 コトシロヌシはため息をついて、拾った小石をもてあそんだ。
 「私は村の将来が気になっていました。都や草原やタカマガハラの将来も。それでつい、情報がほしかったものですから。途中で気づいて彼に謝り、聞いた理由も説明しました。そうしたら彼は、覚えていることはすべて話すと約束してくれて、その前に自分のことを知っておいてほしいと言って、今の話を全部教えてくれました」
 オオクニヌシはうなずいた。何度も、何度も。
 入江の向こうで船が次々帆を上げた。ばりばりと風がそれをはためかせた。オオクニヌシはその帆のように胸をはり、深く息を吸いこんでから、何だか奇妙な目つきでコトシロヌシを横目で見た。
 「それで、その」彼は言った。「笑わなかったんだろうな?」
 コトシロヌシは顔のすじひとつ動かさず、声の調子も変えず、何一つ聞き返さず、「ええ」とまじめにうなずいた。「笑いませんでしたよ」
 「ニニギも?」
 「彼ですか。同情して、感動していました。心から」
 「そういうところが、あの男はいいんだな」
 「まったくです」
 父も子も、ちらとも表情も声も変えず、まじめな調子を崩さなかった。しかし、どこかどちらも、今にもはじけそうな笑いを押し隠してもいるようだった。いったんたがが外れたら、それこそ二人で砂の上に転げ回って笑い続けてとまらなくなるのがわかっているから、そうしているようでもあった。
 どうやら、その衝動をのりこえたらしいと判断したのか、オオクニヌシが肩を落として、ふっと息をついた。「まったく、どこまでバカなんだ、あの男は」
 「同感です」コトシロヌシも海を見ながらあっさり応じた。「兄とさぞかし、気があったことでしょう」
 「スサノオが言っていたからな。兄弟か恋人のようだったと」オオクニヌシはコトシロヌシの横顔を見た。「おまえ、ひょっとして、それが心配で来たのか?」
 「杞憂でしたか?」コトシロヌシは聞き返した。
 「あれの、その話を聞いて私が笑い出すとでも? だから前もって聞かせておこうと?」
 コトシロヌシはうなずいて父に目を戻した。
 「きっと、とても幸せになって、喜びを隠しきれないのではないかと。それで思わず笑ってしまわれたら、彼がさぞかしまた混乱して、傷ついて、父上がまた苦労されてもいけないと」
 「図星だな」オオクニヌシは認めた。「よく来てくれた」
 「そろそろ二人が目を覚ますでしょう」コトシロヌシは立ち上がった。「貝でも拾って帰ります」
 「冷酷な支配者。残酷な悪人。ずっとそれを彼の中に探していたが、どうしても見つけられなかったわけがやっとわかった」オオクニヌシはつぶやいた。「負けず嫌いで生真面目な子ども以外に誰もいなかったのだからな」
 「それは少々、彼をなめすぎておいでです」コトシロヌシは笑った。「私は彼が好きですが、油断はしていません。彼自身でも気づいていない危険な何かが彼の中にはあるかも知れない」
 「マガツミだからか?」
 「それだけではなく。まあ、それを言うなら私たちは皆そうなのでしょうが。いつ誰がどうなるかなんて誰にもわかりませんからね」
 コトシロヌシは手にしていた石を海に投げた。軽やかに波の上をそれははずんで飛んで行った。

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