「水の王子」通信(157)
「水の王子 山が」余談 第三話「それぞれの愛」(1)
【若者たちの悩み】
「もう、あれだけはやめてほしい」タカヒコネがぼやいた。
「まったくだ」深刻な顔でニニギがうなずく。
同感、というようにコトシロヌシが力なく笑った。
「ただもう、純然と気味が悪いっていうかだな」タカヒコネがいいつのる。
「あれが気になって、そればかりが耳について」ニニギも肩をすくめた。「何を言われてるのかわからくなるんだよな」
「私も。それが一番困る」コトシロヌシが嘆いた。「この間から何度も言われたことを忘れたり聞き間違えたりして、おまえ身体でも悪いんじゃないかと、とうとう父から言われたよ」
「それだけど、オオクニヌシはいったい気にならないのかな?」ニニギがふしぎがる。「スセリもだ。どうなんだ、タカヒコネ?」
「気にならないんじゃないか。見たとこまるで平気だし。最初のショックが大きかったからかえってどうでもよくなったのかもしれん。そもそも二人の前じゃ、あそこまでしょっちゅうあんな言い方しないしな。おれの前だって、以前はあれほどじゃなかったぞ」
「何だそれは」ニニギが憤然とした。「つまり、おれたちの前でだけ、わざとああしてるって言うのか? もしかしておれたちバカにされてるのか?」
「それか、気を許してるのか」コトシロヌシがつぶやく。「昔に帰った気分になって」
「そりゃ君はもともと兄妹だから」ニニギが反論した。「だけどおれとタカヒコネは幼なじみでも何でもない」
「とにかく、あそこまでやられるとなあ。少しひかえてくれんもんか」タカヒコネが遠い目をした。
「何の話です?」ちょうど店に入ってきたタカヒコが、いつもの人なつっこさで皆の肩に手をかけながら空いている椅子にすべりこんだ。
棚の前からツクヨミが声をかける。「何を飲む、お若いの?」
「いつもの酒と貝の煮たの」タカヒコがしゃきしゃき答えて皆の顔を見回した。「何をそんなに意気消沈してるんですか皆さんは? そうだ、最近タキツたちが開発した、気分がぱっと明るくなる薬があるんですが、皆さん一粒のんでみます?」
「やめとく」タカヒコネが即座に言った。
「まあ今はいいよ」コトシロヌシもほほえんで断る。
「どんなの?」ニニギは興味をそそられたようだ。「のむ気はないけど」
「きれいですよ。薬って見た目もけっこう大事だから」タカヒコは腰の袋から出したふくさを開けて、ばら色のたしかにきれいな丸い粒を手のひらに転がした。「苦くもないし、ちょっと甘いし、すぐにぱあっと陽気になれます。ツクヨミ、店においてくれない? お代はいいよ、今のところは」
「ということは、お試し期間てわけか?」ツクヨミが、酒と貝の皿をタカヒコの前におきながら言った。「この前おまえがそうやって持って来たキノコの粉末はたしかにいい気分になったが、度がすぎて屋根や帆柱や木に登る者が続出して、ぶじに下ろすのに、ひと苦労したぞ」
「分量がね、いろいろと難しいんだよ」
「まあいいさ、おいとけよ」
「ありがたい! 恩に着ます。それで皆さん、何を悩まれてるんです?」
「おまえの声聞いてたら、何かもう全部忘れた」タカヒコネが答える。「ほんとにもう、たしかにその調子のよさは誰かさんにそっくりだが、それだけしかないってのもどうなんだろうな」
「アメノワカヒコさまのこと?」タカヒコは神妙そうな顔になった。「これでもあの方に少しでも近づこうと日夜努力してるんですよ」
「まあおまえはそのままでいいよ」ニニギが料理をつつきながら、ため息をついた。
「そんなに私、たよりなく見えます? 何もそんなにかくさなくても」
「別にかくしているんじゃないよ」コトシロヌシがなぐさめた。「大したことじゃないんだ。スクナビコは知ってるよね? オオクニヌシのところにいる」
「ああ、うん、白髪のおじいさん。と言っても白髪っていうか髪はちょっとしかないけど。タカマガハラじゃ皆、あの人はオオクニヌシのお父さんでタカヒコネのおじいさんだって思ってますよ」
タカヒコネがうなった。
「いけないんですか?」
「いけなくもないが、おれのじいさんになるなら、なりきってほしいと思うだけだ」
「どういうことです? 見た目? 中味?」
「しゃべり方」
「はあ?」
「君はスクナビコとよく話してる?」ニニギが聞いた。
「そりゃもう、あの人、医学にはめちゃ詳しいから、お話を聞けば勉強になりますし」
「そら見ろ、やっぱりあいつは人によって使いわけてるんだ」タカヒコネが卓をたたいた。
「どういうことです?」
「スクナビコ、君にはどういうしゃべり方してる?」
「どうって、ふつうの。ふぉっふぉっふぉっ、お若いの、って感じですかね」
「だから、それならいいんだよ」
「皆さん方にはちがうんですか?」
「あら、まさか」
「ねえ、あなた」
「ちょっともう」
「やだ、やめて」
三人の若者は口々に言って、誰からともなくため息をついた。
※
「何ですかそれ?」タカヒコはぽかんとしている。
「やっぱり君には言わないんだ」コトシロヌシが確認した。「つまりそういうことなんだよ。若い女の口調でしゃべる」
「若い女の子だよ。サクヤやイワナガヒメだって、あんな口調じゃしゃべらない」
「キギスだってちがいましたよ」コトシロヌシが言った。
「それがそんなに問題ですか?」タカヒコは丸薬を小分けして包みながら、首をかしげた。「あの人もともと若い女の人だったんでしょ?」
「そのことは君も知ってるんだな?」
「妹に聞きました」
「てことは、タカマガハラでは皆知ってるのか」
「そうでもないと思うけど。あ、ツクヨミ、これお願いしますね」
「あいよ、酒のお代わりは?」
「もらいます」タカヒコは薬の袋をツクヨミに渡し、卓に身体をくっつけて酒をすすった。三人の顔をのぞきこんで、ちょっとささやき声になる。「あのですね、どう思います?」
「そりゃ、やめた方がよかろう」コトシロヌシがくすくす笑った。
「同感」タカヒコネが賛成する。
「もう! せめて聞いてからにして下さいよ」タカヒコはぼやいた。
「だって君の話はいつもとんでもないんだから」ニニギも言う。「今度は何なの?」
「そんなに大したことじゃないんです。だけど大事なことなんです」
「だからさあ―」
「どうせ大したことじゃないなら、早く本すじに入れよ」
タカヒコは向こうで客の相手をしているツクヨミの方をちらと見た。「タカマガハラのタケミカヅチは皆さんご存じですよねえ」
「歴代の将軍に使えた副官で有名な戦士。ここに連れて来ていいかってんなら、別にかまわないんじゃないか?」タカヒコネが言った。「どうせそうなんだろ、君の相談したいことって」
「ああ、そうなんです。その通り。このごろヨモツクニもあまり姿を見せないし、彼もちょっとひまみたいで。私とよく、あちこちの村や町を見て回るんですが、ほら、私、よくワカヒコさまとまちがえられるんですよね」
「うん、それは知ってる」
「このごろは、もうめんどうくさいから、あまり訂正もしないんですけど」
「ちょっとそれ、恐くないか?」
「まあ別に今は戦いもないし。そんなことはまあいいとして、そういうときにタケミカヅチとよく、ワカヒコさまのこととか話すんですよ。これがもう、面白いというか、一人で聞いとくのもったいなくて、皆に聞いてもらったら、きっとすごく楽しいと思うんですよ。ただ、ここツクヨミの店だから、そこんとこちょっといいのかな、って」
「ツクヨミももう今さらタカマガハラと戦う気もないだろうし、気にしないと思うけどね」コトシロヌシが答えた。「それよりタケミカヅチの方は、それでもかまわないって言ってるの?」
「あの人あんまりそういうこと気にしませんよ。仕事で戦ってきたけど、ヨモツクニが憎いとかそういうんでもないみたい。すっごく、さばさばしてるっていうか」
「ふうん」
「たしかに私たちもワカヒコのことだけじゃなく、彼の話はいろいろ聞いてみたいな」コトシロヌシは言った。「どうする、ニニギ、タカヒコネ?」
「おれは君に従うよ」
「私も別に異論はないさ」
「ああよかった」タカヒコはにっこりする。
その涼しげな笑顔がアメノワカヒコそっくりで、三人が何となく複雑な表情になっているのには、まったく気づいていないようだった。