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「水の王子」通信(158)

「水の王子  山が」余談 第三話「それぞれの愛」(2)

【コトシロヌシの独白】

サルタヒコがどこかの港から珍しいかたちの寝台をもらって来た。しっかりしたいい作りだったが、いっしょに暮らしていたアメノウズメは、それでもまだ地味すぎると文句を言ったので、サルタヒコは私にもらってくれないかと言ってきた。このごろタカヒコネやニニギが家に泊まって行くことも多いので、もうひとつ寝台があってもいいかと思っていたから、ひきとることにした。
 サルタヒコの仲間たちが運びこんでくれたので、奥の方のへやにすえつけてもらい、お礼の果物など渡して彼らがひきあげて行ったあと、寝台をふいたり、毛皮やふとんを広げたりしていると、ちょうどふらりとタカヒコネがやって来た。
 彼はいつものように勝手に私のいる奥のへやまで入ってきたが、新しい寝台を見ると、ちょっとひるんで「忙しそうだな」と言った。「また来るよ」
 彼はときどき何だかしょげて所在なさそうな顔をすることがある。今もそんな気がしたので私は「めしでも食ってったら」とひきとめた。
 「うん、さっき食べて来たし」彼はやっぱり逃げ腰になっている。
 「まあそう言わず。この前村に来た娘が、桃をくれたから、あれ食べようや」
 何となく彼は覚悟を決めた顔をした。「いいのか?」
 「いいのかって」私は笑った。「ちょうど新しい寝台も作り終わったし」
 手前のへやに戻りながら、「娘って、あのヌナカワヒメの手伝いしてる、短い髪の?」と彼は聞きながら、ちらと寝台をふり返った。「ここに住むのか?」
 「まさか。桃をくれただけだよ。あの寝台はサルタヒコが引き取ってくれって持ってきたんだ。君やニニギに泊まってもらうのに、ひとつほしいと思ってたから」
 「ふうん」
 「どうしたんだよ。もしかして、ここにあまり来ちゃいけないとか思ったのか?」
 「うん、じゃまになっちゃいかんかなって」
 「よせよもう。当分そんな心配ないから」私は椅子に腰を下ろし、桃の皮をむいた。「それで何か話があったのか?」
 「うーん、話ってほどじゃないんだが」彼はため息をついて私の向かいに腰を下ろした。「コノハナサクヤのことなんだが」
 「ああ」私は思い出して言った。「話したのか?」
 少し前、二人で食事をしたときに、彼がサクヤにタケミナカタを(まちがって)殺したことを話した方がいいんだろうなと言い、私も少し考えて、その方がいいだろうと言ったのだった。サクヤはこのごろ、ニニギといっしょに村の将来について私たちと話し合うことも増えてきていて、タカヒコネの体験もすべて教えておいた方が今後のためにはいいだろうと判断したのだった。
 サクヤはまだ会ったこともないタケミナカタにあこがれていて、彼の名を聞いただけでもうっとりすることを、このごろではわりとかくさず口にするようになっていた。そのことで彼女をからかったりしないようにニニギに言われていたので、私たちも気をつけていた。本来なら一番冗談を言ってからかいそうなタカヒコネが、それにしても度がすぎるぐらい、タケミナカタの話になるとぴたっと黙ってしまうのを、サクヤが気づいていたかどうかはわからない。
 とにかくそれで、タカヒコネはサクヤに全部話すことに決めたようだった。
 「話したんだね?」私は桃の実をむいたのを切り分けて、皿にのせてやった。
 「うん、まあな」
 浮かぬ顔である。これはまた何かあったかなと私は思った。

【どんな夫婦?】

「何でおれが関わると、こんなに何もかも話がややこしくなっちまうのかなあ」タカヒコネは桃をかじりながら嘆いた。「どうしてなんだか本当にわからん」
 「そりゃ君が人よりも一生懸命生きてるからだろ」コトシロヌシはあっさり言った。
 「まさか」タカヒコネは上半身をぐだぐだにして椅子にもたれた。「本気で言ってるんじゃないよな」
 「本気だとも」コトシロヌシはちょっと考えこんだ。「まあ、そうだな。つけ加えると、一生懸命生きすぎて、限界に達したときの投げ出し方もすごすぎるのかな。その差が大きいから、とっちらかった後始末にも時間がかかるんだろ」
 タカヒコネはしばらく黙っていた。それからふっと言った。
 「おまえ、どっかタケミナカタに似てる」
 コトシロヌシは笑っただけで、そう驚いた風もなかった。「そう言えば、兄にそう言われたことがあったっけ。一度だけだが」
 「タケミナカタに?」
 「ああ。おまえはおれに似ているよ。いつかきっと誰かがそう言うよ。父や母や妹じゃなく、おれのことをよく知っている誰かが。たしかそう言った」
 「子どものとき?」
 「大人になりかけのころかな」コトシロヌシはまばたきした。「おれはおまえこそ時々兄に似ていると思うぞ。どこかどうかはうまく言えないが」
 タカヒコネが黙っていたので、コトシロヌシは話を戻した。「それでサクヤがどうだって?」
 「ああ、それな」タカヒコネはゆううつそうだった。「あのさ、知っといてほしいが、おれはかなり覚悟もして、真剣に話したんだ。ひっぱたかれたり、けっとばされたり、ののしられたりするのは予想してたし、二度と口をきいてもらえなくても、何なら殺されてもしかたがないって思ってた」
 「だから、君のそういうところが…」コトシロヌシは言いかけてやめた。「まあいいよ。それで?」
 「許してくれとたのむ気はなかった。許してもらえることじゃないし、許してほしいとも思わなかった。だからわびたりはしないで、ただありのままを」
 コトシロヌシはうなずいた。「うん」
 「そうしたら―」
 「どうなった?」
 「うん、たしかに彼女はとても驚いて、しばらくおれを見つめてた。あの、吸い込まれそうな、でかい目でさ。おれは、ちっともびびらなかった。どうせもう、殺されたってしかたがないと思ってたし。でもホスセリの前ではいやだなと、ちょっと思ったりもした。やっぱりそういうの、子どもは覚えているだろうし」
 「そんなこと気にしないで山ほど人を殺したんだろ、子どもの目の前でも何でも」
 「でもその時は子どももいっしょに殺したしな」
 「ああそうか」コトシロヌシは軽く眉を上げて友を見つめた。「そりゃよかったな。それでサクヤはどうしたって?」
 「何だかいきなり話をかえてしまったんだ。唐突なんてものじゃなかった。鹿の肉がほしいけど、狩りに行くあてがあるかとか、酒を作るのに使う何とかいう木の実は今でもどこかに木があるだろうかとか。おれが何とか答えている内、ニニギが帰ってきてさ、いっしょに飯を食おうと言うから、そこで夕飯ごちそうになって、その日はそれで、それっきり」
     ※
 コトシロヌシは棚から下ろした酒をついだ。「その日はってことは、その次があったのか」
 「何日かして、墓地に遊びに行くんだけどいっしょに来ないかと誘われた。ニニギはサルタヒコと漁に行くとかで。あそこの崖のはしからつき落としたら死体はうず潮に流されて、あっという間に沖に出ちまうから、そう悪い話じゃないと思った。人知れずおれを殺そうと思ってるんだとしたらだな。うっかり抵抗してしまわないように武器も持たずに出かけたよ」
 「父母が聞いたら嘆くだろうよ」コトシロヌシの口調は厳しかった。「君は自分を愛してくれている人たちのことは、ほんとにそんなにどうでもいいのか?」
 「私はそれに値する人間じゃない」
 「まあ、その話はあとにしよう」コトシロヌシは言った。「君がここにこうしているってことは、崖からつき落としてはもらえなかったんだな?」
 「おれは本当にコノハナサクヤがわからない。これまで会ったどんな女ともどこかちがう」タカヒコネはさじを投げたように言った。「その日はよく晴れていた。墓地は光にあふれていた。海も空もまっ青でさ。コノハナサクヤは何だか興奮していてさ。ほほを染めて、目を輝かせて、本当にきれいだったよ。衣がうずまくようにふわふわしていて、抱かれたホスセリもにこにこしててな」
 「連れて来てたんだ?」
 「とびきりかわいい服着せて、髪も結わせて、自分ももちろん結ってたし、そしてお弁当作ってきたから食べましょうってさ」
 「どうせ君はそこで、そうか毒でも盛る気だと思ったんだろ」
 「覚えてねえよ。何かもう夢の中にでもいるみたいで、その日の午後ずっと、おれたちはそこで過ごした。夕方になると、そろそろニニギが帰るから戻りましょうかとサクヤは言って、おれたちは引き上げて、橋のところで別れた。その数日後は畑に野菜をとりに行くからと誘われてまた―夕食にも何度か招かれた。いくら何でもだんだんに、おれにはサクヤが、おれを殺す気も縁を切る気もないってわかって来た。それどころか明らかに以前より彼女はおれのことを大切にしてるし、近づきたがってる。とてもさりげなくて目立たないから、初めのうちは気づかなかったが、彼女タケミナカタのことを知りたいんだ。背の高さとか声の大きさとか、いろんなくせとか、しぐさとか」
 「それは―なるほど」コトシロヌシは黙りこんだ。その黒い澄んだ目に力がこもってきらきら光ったのは、もしかしたら笑いをかみ殺していたのかもしれないが、そうではなかったかもしれない。
 「まちがえて彼を殺してしまったとき、そのときの手応えはどうだったとか、近寄ったときの香りとかでわからなかったのかとか、そんなことまで聞かれちまって何かもう」タカヒコネは髪に両手の指をつっこんだ。「どうしていいのかわからなかった」
 「それはさすがに、ちょっとひどいな」コトシロヌシは真顔になった。
     ※
 「オオクニヌシはおれに言った」タカヒコネはつぶやいた。「生きてる限りもう二度と、おまえに人は殺させないと。おれはうれしかったし、ありがたかったよ。でもな、ひょっとしたら今おれは、人を殺すよりひどいことをしてるんじゃないかと思うんだ」
 「そうなのか?」
 「だって、ホスセリの前で、サクヤがタケミナカタにうっとりするのに手を貸してるんだぞ。何だかまるで、あのおっちょこちょいのタカヒコが見せびらかしてた薬になったような気分だ。おれの身体と声を借りて、サクヤがタケミナカタと愛し合うのに使われてるようで、ぞっとしないか、そういうの」タカヒコネは吐息をついた。「ニニギはどうして平気でいられるんだろう?」
 「平気でいるって、知らないんだろう? そもそも彼は、そういうことになってるのを」
 「どうかなあ」タカヒコネは首をふった。「いっしょにめし食ったりしてる時でもサクヤ、特にかくしてないもんな。おれの話すタケミナカタの姿やことばに、うっとり耳をかたむけて、とろんとした目をして。ニニギはそれを、にこにこ見てる。ほんとに、どういう夫婦なんだ?」
 「まあきっと、あれはあれでいいんだろうさ。おたがい、それで満足らしいし」
 「イワナガヒメとツクヨミの夫婦の方がまだわかる」タカヒコネは口走ったあとで「…ような気がする」とつけ加えた。

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