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「水の王子」通信(167)

「水の王子  空へ」第六回

【真の支配者】

「あのですなあ。そこがですなあ」タケミカヅチは少しひげののびたあごをさすった。「どうも何とも言えんところでして」
 「どういうことだい?」
 「私はただの将軍付きの副官の武人でして」タケミカヅチはいきなりへりくだった。
 「それは知ってるよ」ニニギが言った。
 「タカマガハラの中心の方々、タカミムスビさまやタカギノカミさまには、お目にかかったことも、お話をしたこともございません」
 「そうだろうね」
 「それですから、お二人やその回りの方々、オモイカネさまやクニトコタチさまのお人柄もよくは存じ上げないわけでして」
 「だから?」
 「いや、むずかしいですな。どう申し上げたらよいものか」タケミカヅチはしばらく考えこんでいた。「あのですな。これは私が長いこと身近にお仕えしすぎたのかもしれんのですが、十年近くにもなりますと、ときどきふっと、ですな。あの方のお考えと自分の考えの区別がつかなくなりそうになることがありましてな」
 「主従が一体化しちゃうってやつ?」それまでおとなしく耳をかたむけていたタカヒコが、そろそろがまんできなくなったように口をはさんだ。
 「それならよろしいのですが、そうなることは他のお方でもままありましたし、ただ、あの方の場合はそういうのともちがっていて、どういうか、自分の考えで言ったりしたりしていることが、実はワカヒコさまのお考えをそのまま口にしているだけではないのかと」
 若者たちはまだ誰も、よく飲みこめない顔をしている。タケミカヅチは吐息をついた。「早い話が身体と言うより頭があの方に、のっとられてしまっておるような感じと言えばいいのですかな」
 「それは君だけ?」タカヒコネが聞く。「他の人たちもですか?」
 「たとえそうでも、気づいた者はおらんかったでしょうな。私はもちろん話さなかったし。話すほどはっきりしたことでもなかったし。あの時期、船団の内部は実によくまとまっておりまして、いさかいも争いもありましたが、それもすぐうまいぐあいにかみあって、つながりが深まるといったような具合でした。皆が満足し、陽気で元気でした。思わぬ力を誰もが発揮しとりました。どうも、うまく行き過ぎた。誰もが自由で、のびのびと好きなことを言ったりしたりしていて、それが決して大きな問題にならない。人はほとんど入れ替わっておりませんからな。これはやっぱり、あの方のせいなのではあるまいかと。気づかれない内に、自分の望み通りのことを、皆にさせておしまいになるのではないかと。本人たちは気づかずに、それが自分の望みだと思ってしまっておるわけですが」
 「つまりあなたは、要するに」タカヒコネがためらいながら言った。「あなたは、この村に行けという命令をタカギノカミたちが出したのは、ワカヒコがそうするようにしむけたのだとおっしゃるのですか?」
 「まさか!」ニニギが飛び上がった。「おい、いくら何でもそれはないぞ。彼にそんな力があるものか!」
 「そんなことまでできるようなら、もうワカヒコさまはタカマガハラの支配者だわ」タカヒメも短い髪をかき乱した。「もう、わけわかんない」
 「副官というのは、ときどきそれに似たこともしますもんですからな」タケミカヅチは告白した。「こういう風にした方が絶対いいと思っていても、聞いて下さりそうにない将軍の場合、お心を傷つけないように、それとなく気づいていただけるようにして、ご自分のお決めになったことのように言い出されるのを待つことがあります。ま、よくよくの場合ですが。それでふと、私もそんなことを感じてしまったのかもしれません」
     ※
 「それはもちろん、あなたがそれだけ、歴代の将軍に信頼され、頼りにされていたからできたことなのでしょう」コトシロヌシがほほえんで言った。「でも彼は、ワカヒコは、自分が将軍の間、戦いに勝ったことはほとんどなかったと、平気で言って回ってましたよ。そんなに戦果もあげないでおいて、タカマガハラの中心にいた人たちをそこまで信頼させ、いいようにあやつれるものなのでしょうか」
 タケミカヅチは近くの客たちがちょっとふり向いたぐらい大声で笑った。「それはあの方がいつも戦いをさけて、どこの村とも町ともしょっちゅう和平を結んでしまわれたからです。こちらが負けたというかたちをとって、そこの支配者たちの顔を立て、しかもそれでまちがえて図に乗らない程度の力はちゃんと見せつけておかれたから、我々が弱体化したという噂が広まるようなこともなかった。実際まあ、とんでもない方でしたな。村の長や町の王との酒盛りで、平気でタカマガハラの悪口を言いまくって相手を死ぬほど笑わせて座を盛り上げながら、一方で『そんなバカでも切れるとこれが恐いんですよ~』などとしっかり脅かすことも忘れない。『ここだけの話ですけど、まだ使ってない武器や戦士がどんどん増えて、あれもどうなんだろうかっていつも思うんですよ。時には戦って減らした方がいいんじゃないかと、あ、でも広めないで下さいね』と、次の日は草原中に話が広まることを、しっかりわかって口止めされる。そうやって、相手を震え上がらせて、そこそこ有利な条件で、かたちは相手の勝利のように和平をまとめ、タカマガハラには負けましたと平気で報告なさるのです。味方の目上や周囲からどう見られようと、ちっとも苦にしておられなかった」
 「タカマガハラの人たちに、それはわかっていたのですか?」
 「あれだけ度重なりますとですな。負けた負けたと報告しても、実際の被害は何もなかったわけですから。船は壊れない。兵士は死なない。それどころか、何がどうしてそうなるのやら、勝った勝ったといい気になってる村や町は、こちらの言うことをわりといつも快く聞いてくれて、川や港を使わせてくれたり、取り引きをするようになったり、むしろ利益が多かったですよ、いつだってタカマガハラの方としては」
 何となく若者たちは息をのんでいた。「でも、戦士たちの士気はどうなんだ?」とニニギが気にした。「かたちだけとは言っても、それだけ負けが続いていたら、皆が落ち込んだり怠けたり、誇りを失ったりしないのか?」
     ※
 「あの方は訓練と称して、狩りや工事などをいつもしっかりさせて、皆をこき使っておられたし、ほめたり、持ち場を入れ替えたり、刺激を与え続けておられて、気を抜くひまを与えなかったですよ」タケミカヅチは言った。「それでもどことなく、おっしゃるような気のゆるみや不満がただよってくると、そのときはすかさず、かねて目をつけていた手強い危険な町や村や盗賊の集団を、どこか適当に選んで、としか私には見えないわけですが、そういう相手に激しい戦いをなさって、あっさり勝った。けっこう無茶なこともなさって、こちらも死者や負傷者を出し、親しい部下が多く死んでも、さほど嘆かれる風もなかった。『悲劇や刺激は皆が望んでいたことだから、文句はあるまいよ』と笑っておられた。全然同情しているご様子がないのに、ときどきあきれたものでした」
 「戦いは嫌いだったのかな」
 「まあ、かなりどこやら、ずぼらで怠け者であらせられましたからな。戦いであれ何であれ、しなくてすむことはしないでおかれる方でした」タケミカヅチは思い出し笑いをした。「とにかく興奮したり感動したり皆で盛り上がったりすることが、やればやれるが、お好きじゃなかったかもしれません。一度おっしゃいましたものな。『ああ、タケミカヅチ、どうしても勝たなければならない戦いなんて、この世にひとつもあるもんか』と」
 「すごいな」タカヒコが舌をまいた。「そこまで言うんだ」
 「本気だったのかな」
 「本気っぽいな」
 皆どことなく、毒気を抜かれた顔になって、口々につぶやきあった。

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カツジ猫