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「水の王子」通信(168)

「水の王子  空へ」第七回

【嫌われてしまったら】

「彼を嫌っていた人は、船の中にはいなかったんですか?」コトシロヌシが聞いた。
 「いや、そこそこはいましたよ」タケミカヅチは苦笑した。「どうもあの方は、皆に好かれていると落ち着かなくてつまらなくて、わざとそうしておられたのかもしれないが。少なくとも、そういう者の存在を気にしておられる風はなかった。だから、船団の主だった者の中にも何人か、どうもあの方は頼りにならんとか、何を考えておいでかわからんとか、理由はないが変にむかつくとか言ってる者はいましたな。特にかくすと言うのでもなく。私にはわかる気がした。心や身体をのっとられそうになって不安にかられた者も、おったのではないですかな。それがそういうかたちであらわれたとか。会議のたびに、面と向かって反論したり逆らったりしていた者も、けっこうおった気がします。あの方の理屈にも方針にも筋は通っておりましたし、おおむね正しかったのですが、何しろお若くていらしたし、見た目がああですから」
 「どうなんですか?」タカヒコネが笑った。「いや、わかりますけれど、念のため」
 「細いとか優しげとか、そういうことだけでもないんですわ。それだったら同じような外見でも、したたかなつわものは、女も男もいくらでもいた。あの方の持っている空気のようなものですかな。しぐさも表情もどこかふわふわしておられて、つけこまれたり、なめられたりしてくれと言わんばかりの風情があられて」
     ※
 「そうやって逆らったり反対されたりした時、彼はどんな風だったんです?」コトシロヌシが知りたがった。
 「は~、これがもう」タケミカヅチは目を閉じた。「子羊か野ウサギのように大人しく、つつましく、素直に相手の言うことに耳を傾けておられた」
 「何と」タカヒコネがのけぞる。「冗談ですか? 本当に? 説得も反論もしない?」
 「むしろ、しょんぼりしておられた。どうしてそんなに怒るんだろうと、ふしぎそうに相手をながめておられた。そうこうする内、他の者が変にいきり立ちはじめるのです、あの方に代わって。そこまで言わなくていいだろうとか、あなたの話は一方的すぎるとか」
 「なるほどね。そうなるか」
 「あの方はどっちの味方もなさらない。今日はここまでにと、いったん話し合いをやめることが多かった。まあそれですむほどに、時間的余裕はわりといつもありましたからな。せっぱつまってから話を持ち出すことはされないお方でしたから。で、そうやって話し合いを中断したあと、逆らった者たちは、何やら弱い者いじめをしたように居心地が悪そうだし、そういうことの重なるたびに、あの方を熱烈に好きでかばって、守ろうとする者が、じわじわどんどん増えて行く。あの方はそれで決して図に乗るということはおありでなかった。気にしちゃだめです将軍、あなたが正しいとかはげまされると、あの方はちょっと恥ずかしそうに笑って、いや私が力不足なんだよと、しおらしげに答えなさって、相手はますます同情し、そんなことないですと言いつのり、守ってさしあげようと燃え上がる」
 「あなたの出る幕はないねえ」
 「私ですか? はあ、ありませんでしたな。いつもはたから見ていて、思っておりましたよ、この、くわせ者が、と」
 若者たちは吹き出した。声をあげて笑う彼らを見ながらタケミカヅチは、「そう、こんな風でしたなあ」と、なつかしそうに言った。
 「え、何が?」
 「あの方を嫌って悪口を言う者が集まって、皆でこき下ろしていてさえも、なぜか結局はいつも笑い話になって、誰もが笑いだすのです。困った方だ、しょうがないことだ、と言いながら、いつか皆が楽しくなって、おかしくなって、大笑いしてお開きになる。次の会議や打ち合わせのときはまた、性懲りもなくあの方にたてつく者も刃向かう者もいましたが、そういう者たちも同じだった。皆どこかで安心しておったのですよ。あの方は崩れてしまわないし、結局はまじめで、すなおで、優しいと。自分たちの言うことに何か役に立つことがあれば、認めて、取り入れてもくれると。実際そうでした。そういう異論を考えに入れることで、計画や方針は、いつも、よく練られた、しっかりしたものになりましたからな」
 「それも彼の計算の内か?」
 「そこはどうですかなあ。あの方に緻密な計算などというのはありませんからな」タケミカヅチは言った。「いつも流れるように行き当たりばったりで。それで自然にそうなるから、手に負えないと言えばそうですが」
     ※
 「でももし、あなたの言うように、彼がタカマガハラの中心になる人たちまであやつって、この村に来るようにという命令を出させたんだとしたら」コトシロヌシがつぶやいた。「その目的は何だったんでしょうね?」
 皆がふと黙り込んだ。
 店の向こうでツクヨミがイワナガヒメと客の相手をしながら、陽気な笑い声をあげている。

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カツジ猫