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「水の王子」通信(172)

「水の王子  空へ」第十一回

【タカヒメは今日も元気】

最近ツクヨミの店は客がふえたのもあって、店の外にも食卓と椅子をおくようになっている。
 冬の間はさすがに使う者はいないが、少し暖かくなった今は、花の咲く墓地や、眼下の入り江を行き交う船や、反対側の岬の灯台や、さまざまの風景が一度に目に入るので、ここで食事をする者も多い。
 コトシロヌシとニニギとタカヒコネも、今日はそこに座って、干し魚や果物にかじりついていた。
 「君たちにも聞かせたかったよ」ニニギが笑いながら言った。「本当に女の子たちの話の面白いことったら!」
 「居残ってりゃよかった」タカヒコネが悔やんだ。「帰ったらまだ皆寝てたし、スクナビコは治療しながら、あくびばっかりして、この分じゃおまえさんは当分死なんよと太鼓判押してくれたし」
 「私はけがしてた鳥の羽根をつくろってやることができたから、あの時帰って正解だったよ」コトシロヌシが言う。
 「イナヒが襲ったんじゃないだろうな」タカヒコネが気にした。「あいつ、このごろ、あのへんうろうろしてるから」
 「イナヒにけがさせられるようじゃ、どのみち生きちゃいけないよ。多分もっと大きな鳥にやられたんだろ」タカヒコネが安心したような傷ついたような複雑な顔をしたので、コトシロヌシはなぐさめた。「イナヒは飛び上がり方も隠れ方も、前より上手になってるよ。鳥たちとは半分遊んでるんだ。いい訓練になってるんじゃないのかな。いきなり草原でオオカミやイノシシと出くわしてしまうよりずっといい。だんだん動きもすばやくなって身体も大きくなって来てるし」
 「でかくなってるのは、しっぽだけだ」タカヒコネはぼやいた。「このごろ気にくわんことがあると、あいつ、あれでおれたちをはたくんだぞ。オオクニヌシもスセリも、この前から器や杯をひっくり返された」
 「スクナビコにはしないのか」
 「一度やりかけて、にらまれたら、しっぽを宙でとめてすごすごと引き上げて行ったらしい。スセリが死ぬほど笑ってたよ。しっぽを空中でうねらせたままとめたのよ、信じられる?って、何度も何度も手まねで教えてくれるが、おれたちにはいまいち想像がつかない」彼はニニギに向き直った。「しかしその娘たちの話はたしかにいろいろ面白いな。ワカヒコとトヨタマヒメの愛し合い方なんて、たしかにおれたちには絶対に思いつかないが、言われてみればそんな気もする」
 「タカヒコにはまず無理だって話もな」ニニギがうなずく。「まあ、おれたちの誰にもな」
 「やれるとしたらタカヒコネぐらいか」
 「うーん、やめてくれ。草原でも町でもたくさんの女と寝たけど、変わった愛し方をしようとされても、おれは全然その気になれなかったんだ。何てまっとうすぎて面白くない人なのって、面と向かって言われたこともあったっけ。それも何とも思わなかったし」
 「だからそこも娘たちの言うことはあたってたってわけだ。この村で一番ふつうに男らしいと君のことを言ってたぐらいだから」
 「それよりな」タカヒコネは眉をよせて指をかんだ。「おれが気になるのはな…」
 「今日は皆さん、こっちなんですか?」さわやかな若々しい声がひびいて、タカマガハラの白い戦士の服を着たタカヒメが、こちらに向かってはつらつと小道をかけ上がって来た。「いい気候になりましたもんねえ! 今度お天気がよかったら、タケミカヅチさまもこちらにお連れして見ましょうか?」
 「そうだね、気分が変わっていいかも」コトシロヌシが空を見上げた。「今日はどこかでまた戦い?」
 「草原の見回りですよ。新しい将軍がまめな人で、あっちこっちの町や村にしょっちゅう顔を出すんです。兄は新しい医師たちの訓練に忙しいようだし」
 「君は?」
 「私はサグメさまの訓練のお手伝いかたがた、村の様子を見て来いと。津波対策のご相談もその内ゆっくりやりたいし」彼女は勧められた料理を手をふって断り、「店で何か食べますから」と去りかけて、また戻って来た。「あ、皆さん、ワカヒコさまのことをお聞きになりたいんですよね、タケミカヅチさまのお話の中でも、特に」
     ※
 三人は顔を見合わせる。「まあそうだよね」とコトシロヌシが答えた。「他にも聞きたいことは多いけど、やっぱり共通の知り合いはワカヒコだから、ついそうなってしまうよね」
 「だったら、これはどうですか?」タカヒメは卓のはしに手をかけて一同を見渡した。「その新しい将軍さま、女性ですけど、ちょうどワカヒコさまが将軍でいらしたころの部下の一人で活躍されてた方なんです。言っちゃ何だけど、もう、すっごい美人! 誰もが文句のつけようもないほど完璧に女らしい、すばらしい美人! あ、コノハナサクヤさまとはまたちがった感じの」
 「気をつかってくれなくても」ニニギが笑った。
 「そういうわけじゃないですけど、前におっしゃっていましたでしょ、ワカヒコさまはこの村じゃ美人にはまるで関心がないみたいで、むしろちょっと変わった外見の女性と親しくしておられたって」
 「それ言ったのは多分おれだと思うけど」タカヒコネが言った。「今思ったらあいつは特に美人がきらいとかいうんじゃなくて、とにかく外見がどうだろうと、男だろうと女だろうと、誰とも同じにあいそよくしてただけだったって気がするんだよな。絶対に自分の好みを見せなかった。そもそも好みがあったかどうかもよくわからんが」
 「でも私もその話聞いて何となく気になってたもんですから」タカヒメは言った。「新しい将軍にお会いしたとき、これは!とひらめいたんですよ。ワカヒコさまが美しい女性のことをどう考えておられたか、どのようにふるまっておられたか、おっしゃるような好みがおありだったかなかったか、当時のことをうかがったら、きっと何かわかるんじゃないかって。タケミカヅチさまとはまたちがうかたちで」
 「まさか君、その将軍をこの村に連れて来ようというの?」コトシロヌシがさすがに少し恐れをなした顔をした。
 「いえ、お忙しい方だし、それは無理かと思いますけど、待てよ、案外喜ばれるかな」タカヒメは首をひねった。「ただ、私がお話を聞いて皆さんにお伝えすることはできると思うんですよね。どうでしょう、この話、進めちゃってもいいですか?」
 「いや、どうせ君、とめてもやるんだろ?」ニニギがからかった。「おれたちにとっては別に困らない―よな、皆?」
 「もちろん。ありがたい話だよ」コトシロヌシがうなずく。
 「よかった。じゃ、おじゃましました。ごゆっくり!」
 彼女は元気にかけ去って行き、三人はしばらく黙っていた。
     ※
 「何が気になるって言おうとしてたんだ、タカヒコネ?」コトシロヌシがようやく口を開いてうながした。
 「ちょっと待て。落ちつかせろ」タカヒコネは額に手をあてた。「タカヒコと言い、妹と言い、あの二人はどうしてこんなに一気に人を疲れさせるんだ。聞いてるこっちの息が切れて、どっと年をとった気がする」
 「文化の進んだ、すぐれた人の集まってる場所だと自然ああなるんだよ」
 「それってタカマガハラのことか? 絶対にちがうぞ」ニニギが抗議した。「あそこはもっと静かでのんびりしていたよ。少なくとも私のいたころは」
 「今はちがっているんじゃないのか」
 「恐ろしいことを言わないでくれ」
 「まあたしかに、その新しい将軍―何て名前だったっけ?」
 「聞いてない。ほらな、あの兄妹の話の疲れるところはそれもあるんだ。肝心のことが、いつもすっとんでるし、落っこちてる」
 「まあ、その人の話を聞けば、たしかに何かまた新しいことがわかるかもしれない」コトシロヌシは肩をすくめた。
 「それをあの娘の声と口調で聞かされるのか」タカヒコネがため息をついた。「つらいなあ」

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