「水の王子」通信(183)
「水の王子 空へ」第二十二回
【あとがき】
最初はどうなるのか自分でもよくわからずに書き始めた「空へ」でしたが、終わってしまうとそう悪くもなく、あろうことかアメノワカヒコが好きになってしまって困っています。次の作品を書けばまた別の登場人物にはまるのかもしれませんが、今は彼と別れるのが大変名残惜しいです。
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読者の皆さまに、言わでものお願いを二つしておきます。
その一。まえがきに書いたように、イザナミとワカヒコの関係には、私が創作をする時の男性キャラの描き方や使い方が反映している部分もあります。しかし、まったく重なっているわけではなく、それを利用しながら、もっと大きな問題にもふれているつもりです。あまり私の心理や嗜好を重ね合わせて読まないようにしていただけると、ありがたいです。私は自分自身を理解してほしくて小説を書いたことはありません。
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その二。それと重なりますが、私の読者には繊細な方が多くて、イザナミが「訴えても語っても誰からも返事も反応も来ない」という嘆きを、私の小説への感想や批評を返さないことを責められているのではないかと気にする方が、ひょっとしてもしかしていそうな気がしますが、これこそまったくやめて下さい。私の読者の皆さんは、びっくりするほどまめに読んで感想を下さっていますし、よしまったく無視黙殺されても、そんなことは想定内でまるで気にはなりません。
こんな心配をなさるかもしれない人のために、あえて書きますと私がイザナミのこの嘆きにふと連想するのは、ノーマン・メイラーの小説『裸者と死者』の中でユダヤ人の知識人ゴールドスタインが、戦時下の小隊の中で差別に苦しみ、最後に近く、ユダヤ人の訴えは限りなく無視され続けて来た、何もかも無駄に終わりつづけるのだ、と確認し実感するくだりです。同様の差別や不条理にあえぎつづけた人々は、この世にあまりにも多い。イザナミの嘆きからは、せめてそのくらいのことを連想してほしい。とにかく、一にしろ二にしろ、たかが私個人の問題などに卑小化、矮小化されたら、それだけで私は泣きます。くりかえしますが、私の心理を理解するために読んだりなんかしないで下さい、くれぐれも。
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「おまけ」は今回つけないつもりでしたが、アメノワカヒコとまだ別れたくなくて、ついつい短いものを二つ書いてしまいました。これでもわりと格調高くクールに終わったつもりの本編の雰囲気を傷つけたら申し訳ありません。傷つけついでに、いささかまた、しょうもないおしゃべりを。
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他の仕事が忙しいので、「水の王子」シリーズは、極力ぼちぼち、ゆっくり書いて行きたいのですが、ひとつ新しい作品を書くたびに、いもづる式と言いたいぐらい、次の作品の構想が浮かんで来て困惑しています。たとえばタヂカラオの町をアワヒメとタカヒメに観光させてみたいとか、ワカヒコそっくりのタカヒコの冒険談を知りたいとか、ヒルコとハヤオの近況はとか、ウズメの鏡はどうやってできたのかとか、もうもう、きりがありません。ところで当面困ってるのは、タヂカラオのしゃべり方が思いつけないのですよね。何しろ無口で恥ずかしがり屋の人だし、タケミカヅチとかぶっちゃまずいし。私は美しい女や強い男がバカだという描き方は大嫌いなので、あまり間抜けな話し方はさせたくないし。トヨタマヒメと同じように、いっそ大活躍させながら、一言もせりふがないキャラにしちまおうかと思ったりしてたら、「おまけ」の二で「ええよ」と一言言ってましたね。これは悪くないかもしれません。
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すっきりまとめようか、とっちらかそうかと迷いながら書き始めた「あとがき」でしたが、結局後者になりましたね。どうせ私はそうなのよ。
最初に上げた三つの挿絵は、どれも「村に」で使ったもの。千変万化のタカヒコネに比べると、最初からイラストのイメージは、あまり変わってないですね。実は一枚目のモノクロのスケッチは、たしかすべてのイラストの中で、一番最初に描いたものじゃなかったかな。三枚目のワカヒコとトヨタマヒメの愛し合う場面はツクヨミの妄想なんですが、もともとワカヒコには、こういう妖しいイメージもあったっちゃあ、あったんですよね。清々しくて、さわやかなくせに。
それでは皆さん、どっちもそれぞれ別の意味で、ちょっとアブないかもしれない「おまけ」二つをせいぜいお楽しみ下さい。(2023年5月2日)