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「水の王子」通信(71)

以下はツクヨミが続編「回復期」(いつ完成するかはまったく不明♪)で言うせりふです。ま、多分ネタバレじゃないでしょう(笑)。

「おれが求めていたのは、絶対の、純粋な、まじりけのない『悪』だった。タカマガハラにいたころから、それにあこがれ、探していた。イザナミの夫や男への恨みに共感も同情もしたわけじゃない。もちろん、心酔したのでもない。しかし、おれの望みをかなえ、究極の悪を探し求めるには、彼女の協力者は、いい位置だった」

「しかし、おれはまだそれを見つけられない。見かけたことさえ実はない。イザナミの悲しみや恨みもそうだが、人が悪をなす根本には、絶対に何か理由があり、事情があり、原因がある。おれは、それではだめなんだ。それではおれは、みたされない」

「おれが最もさげすんで、苦しめて、滅ぼしてやりたくなるのは、実はそういう連中なのさ。何かへの愛や、よき目的のため、あるいはその中で生まれた恨みや憎しみ、欲望や恐れのために悪をなす。悪は口実で手段で何かのはけ口でしかない。それは悪への冒涜だ。しかし、世の中の悪は、これまでおれが見てきたところ、すべてそういうものだった。動物や植物だってもしかしたらそうかもしれないと思うと、おれも絶望するがね」

「人間はおれがこれまで見てきたところ、すべてはよきものにしか過ぎない。貧しさや悲しみや苦しみが、それをゆがめているだけだ。おれがこれまで目にしてきた、すべての悪は皆、にせものだ。どんな悪人にも、どこかにひとかけらは、優しさや正しさがあった。今度こそはと思っても、どれだけ失望させられたかわからない」

「おれは今でも、あきらめてないさ」

「もしかしたら、アメノワカヒコは多少おれに似ていたな。あいつもいつも、ゆがんだものや醜いものに目を奪われ、ひきつけられていた気がする。彼も善や正義より、悪に興味を持っていた」

「彼がタカマガハラの将軍として戦っていたとき、その戦績はぱっとしなかったと本人も言うが、それはちがう。おれに言わせれば、あいつは常に戦いをさけ、勝利をめざさなかったんだ。それでいて、目的は達した。悪の権化と思われていた多くの相手が、彼とのやりとりやかけひきの中で、その良き面や正しい面をあらわにして、結局タカマガハラと妥協し、戦いは起こらなかった。それはしばしば敵の勝利にも見えたろうが、結局はワカヒコが、その敵を変化させ、味方につけてしまったからだ。そういう点ではあいつは百戦百勝だった」

「だがおれは、そのことに彼が、虚しさを感じていたのを知っている。いらだちを覚えていたのも知っている。彼と話す機会はなかったが、同じ種類の人間だといつも感じていた」

「おそらく彼は、この村とオオクニヌシに、ある種の希望を見出していたのだ。本当の悪につながるかもしれない何かを。だから離れられなかった。だから、ひきつけられていた」

「おれはまだ、あきらめてはいない」

「それだけに、中途半端でにせものの悪人にじゃまされるのは、むかつくんだよ」

ツクヨミは日本神話では、月の象徴、夜の支配者として登場しながら、まったく何も描かれていません。ご存知のようにギリシャ神話では、太陽神のアポロに劣らず、月の女神アルテミス(ダイアナ)が活躍するのに、同じように太陽神のアマテラスの有名さや活躍に比べて、彼の無視され方は異常です。誰か研究した人はいないのかしら。日本人は昔も今も、和歌でも俳諧でもイベントでも、月をあんなに愛しているのに。

ふう。本居宣長の「古事記伝」でも読むべきかしら。今さらながら。

で、「水の王子」では、彼はとことん主役級で、アマテラスと並んで人気もあるようです(笑)。怒られそうなキャラ設定ではありますが、この物語でも私の空想の世界でも、彼は重要な一角をになっています。

現在の彼が村で何をしているか、なぜそうなっているのかについても、いくらでも話は発展しそうですが、まあもうちょっと皆さんに「水の王子・村に」を読んでいただいてからにしましょうか。

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カツジ猫