「水の王子」通信(76)
アメノサグメと反対に、アメノウズメは「村に」の挿絵では、かなり美化されている。本当はほっぺたの赤いまんまる顔の少女で、しかも村では変に老けて中年女っぽくなってたはずなのだが、そこをうまく描く自信がなくて、とりあえず、元気なかわいい女の子にしておいた。美男美女にしておけば、かえってあまり印象には残らないとふんだのもある。
この絵も彼女の本質をうまく表現できているかどうか自信はない。しかし、得体のしれない、「なめたらとんでもないことになる」風情は少しは感じられるかもしれない。
ちびで、おしゃべりで、鼻っ柱が強い元気な女の子の彼女は、とっちらかったケバい服装や髪型にもかかわらず、実は強力な破壊兵器、鏡をあやつるラスボスである。精神も超強力でゆらがない。アマテラスを深く愛し、心から仕えているものの、狂言の太郎冠者や、東西の文学の姫君を守る侍女のように、ともすれば女主人でさえコントロールし管理する。タカマガハラに忠誠を誓っていても、それに純粋にすべてを捧げるというよりは、さしたる決意さえもなく、自然に楽々、最高神さえも支配し管理する。要するに、彼女にタブーはなく、恐いものはないのである。
私はやかましくて元気でおしゃべりな女の子もおばさんも好きだ。したたかで抜け目のない従者も好きだ。その一方で恐くもある。彼女の鏡には容赦がない。人の本質をえぐり出し、ひとつの価値観で分析し、解体する。わかっている、私自身の中にもその傾向はある。でないと作家も研究者も教師もやっていけるわけがない。それでも、その能力を私は嫌悪し、恐れてもいる。