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「水の王子」通信(86)

シタテルヒメのつもりなんですが、え、これが!?と思っちゃう人も多いかも。
彼女は日本神話でもオオクニヌシの娘です。私のこの物語では、兄のタケミナカタと同様、お話の冒頭ではもう村を出ていて、思い出話の中でしか登場しません。しかし、兄と同じにとにかく美しくて賢くて魅力的で、村の次の長と皆が信じていたことになっている。新しく訪れたコノハナサクヤの美しさが評判になるたび、シタテルヒメを知っている村人たちが、「シタテルヒメとは比べ物にならない」と言うので、コノハナサクヤがうんざりしていたということにもなっている。

それにしちゃ、単にかわいい系の娘さんになっちゃってますが、多分これでいいのだと思っています。描くまではこんな顔になるなんて、私もまったく予想してなかった。
でも、私の物語の中の彼女は、こういう感じがふさわしい。幸せで、誰からも愛され、自分も愛して、何の劣等感も自意識もなくて。素直で大胆で、そして多分、いたずらっぽいを通り越して、太宰治がかちかち山のパロディで描いたうさぎもどきの、美少女ならではの残酷さもちらとあったりする。

なみはずれた能力を持つだけに、彼女はコノハナサクヤとちがって、不安定なところは皆無。母のスセリをひきついだ冷静さと意志の強さは抜群で、父のオオクニヌシもどきの融通無碍のしなやかさもある。ある意味無敵ですね。

あまり意識もしないで書いてしまったのですが、この物語で彼女を通して私が描いたのは、圧倒的な知性への信頼と肯定です。それを得るために何を犠牲にしても彼女は平気だし、多分ちっとも悩んでない。いわゆる女としての幸せを放棄して、学問や仕事の道を優先した女性すべての守り神なのかもしれない。

自分の美しさを失っても彼女は全然後悔も動揺もしないし、一瞬も悲しまないはずです。年老いても姿かたちが変わっても、彼女は何も恐れないでしょう。そんなことが女の持つべき、持つに決まっている悩みとして、ありとあらゆるかたちで古今東西の文学に書きまくられて、だだ流しされてきたものの数々を、この物語の彼女の存在が、一気に全部バカみたいに見せて、粉砕してしまってくれることを、心から私は祈っています。

その意味では彼女もまた無邪気でかわいい顔をした、偉大な戦士の一人かもしれない。

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カツジ猫