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「水の王子」通信(85)

出ましたね、という感じのタマヨリヒメです。

彼女は日本神話では、ホオリと結婚したトヨタマヒメが、子どもを生んだあと、海に帰ってしまったので、代わりに海から来てその子を育てた、トヨタマヒメの妹です。こちらの説明もごらん下さい。まあ例によって私の物語では、あとかたもないぐらい設定を変えていますが(笑)。

村があるなら酒場もあるだろ、みたいな安易な設定ですみませんが、やっぱり旅人が通過する村でもあり、こういう場所ができそうだなということで。わにざめが来て海に出られなくなった人たちの、浜に引き上げたままの船の大きなやつが、そのまま店になっています。

酒や食べ物を出し、代わりに品物などを受け取るような商売をしている彼女ですが、まあその内に貝殻か何かの貨幣経済も発達して行くんでしょう。

彼女もまた旅人で、戦いの中でひどい体験をしているようです。彼女はそれを語らない代わりに、とんでもない猟奇的なおぞましい残酷な話を語って、客をびびらせたり喜ばせたりしています。

ネット社会やマスメディアもそうですが、私自身の心の中にも、そういう病的で不健康な面は常にあって、私は幼いころから、それを制御しようとか消そうとしたことは一度もありませんでした。そもそも恥じてもいなかったし、罪悪感も持たなかった。

少し前に偶然ネットで「四肢切断」という語を目にし、詳しくは見なかったけれど、どうやら怪しげなコミックやゲームの世界ではそういう場面や設定が楽しまれているらしいと知りました。すごいなと感心していて、ふと気がつくと、「水の王子」の物語の中で私もけっこうそういう設定を登場させていました。自覚なさ過ぎ(笑)。

猟奇的と言えば、パゾリーニの映画「ソドムの市」の中の酸鼻をきわめたエログロ画面で、大きな役割を果たし、効果を生んでいるのは、皆の前で、恐ろしくおどろおどろしい話を語る数人の中年女性の語り部たちです。ことばと声で、彼女たちは、その場を支配し、被害者の若者たちを陵辱します。私はタマヨリヒメにもいくぶんその役割を与えたかった。ことばや語りの持つ力。それが村に与える影響。

私自身の心の中でもそうですが、こういう場所や世界は必要なのです。オオクニヌシやスセリはめったにこの店を訪れていませんが、まったく拒絶も否定もしているわけではありません。ハヤオはけっこう入りびたっているし、何よりホオリとホデリの少年は幼いときから、この雰囲気の中で育っています。私はそれもかなり好きです。

そして彼女はキノマタの成長にも大きく関わっているのです。

おそらく彼女は売春もしているでしょう。過去はもちろん、現在でも。汚れるだけ汚れ、堕ちるだけ堕ちて、それでも豪奢で妖艶で、すべての人を酔わせる女性。しかしおそらくその内部には、ヨモツクニのイザナミと共通する、男性すべてとこの世への不信感と絶望がある。イザナミのような憎しみはないものの、それだけ無気力で、野放図な。
 そう、これもまた、私自身の一面です。私の明るさや強さを支える力の源のひとつです。

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カツジ猫