「水の王子」通信(92)
神話では、スクナビコって、オオクニヌシといっしょにナカツクニの村を作る小さな神さまです。木の実のような船に乗って海からやって来ました。彼がいなくなってオオクニヌシは大変嘆き、代わりに三輪神社の神さまが国造りを手伝うんじゃなかったっけか(うろ覚えですみません)。
私の物語では、彼はにせもののスクナビコとして、第三部の「都では」で登場しています。その時の姿は若く美しい男性です。「村に」で海からやって来る本物のスクナビコは、神話のイメージに近い、小さなしなびた老人です。しかし、ものすごい力を持っているようで、村の危機からオオクニヌシの夫婦をやすやすと守ります。
電子書籍の挿絵に比べて、この絵のスクナビコはやや女性的な感じもします。まあそれはそれでいいのかなと(笑)。この老人にはしたたかで得体がしれない一方で、優雅さや愛らしさもそれなりにありそうな気もしますから。
彼の力は膨大な知識や経験値によるのでしょうが、その途方もない魔力に近い能力は、たとえばタカマガハラのエリートたちや、ヌナカワヒメや都の三人の女性たちのような科学者めいた流れとも、ややちがう要素を持っているようです。例の幻の続編(笑)「回復期」で、彼はヌナカワヒメと協力しつつ、患者や病人の治療にあたりますが、ヌナカワヒメとの会話の中で、たとえばマガツミや動物を使った実験は自分たちはしなかったと明言しています。その点ではより東洋医学っぽいというか、別の流れの中にあるのでしょう。
ひょうひょうとのんきで、余裕があって、いつも居心地よさそうに機嫌がいい。私の理想の一形態でもありますが、大学時代や職場でめぐりあった、知性の権化のような大学者の研究者の清々しい自由なイメージも、そこには反映しているかもしれません。私は自分の能力に何の幻想も抱いていないつもりですが、そんな自分がこのような偉大な知性の持ち主と身近に触れ合えたことは、信じられないほどの大きな幸運と財産だったと思っています。そのささやかな反映を、このような人物の描写にとりいれることで、そういう存在の魅力を少しでも多くの人に伝えられたらなあと思ったりもします。自分の恵まれた運命への、恩返しの一環のような気分かもしれません。