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「水の王子・丘なのに」(1)/198

「水の王子・丘なのに」(第一回)

【少年時代】

「おお、やっぱり似てるねえ」タカミムスビはにこにこした。
 「はい」タカヒコはかしこまって答えた。
 誰にですかとは聞かなかった。タカマガハラで自分に向かってそう言われたら、意味するところはひとつしかない。
 タカミムスビの隣りに座ったタカギノカミも、おだやかにほほえんでいる。
 窓の外には淡く輝くすきとおった木々と短い草がそよぐ、なだらかな斜面と平地。小さな家があちこちに建つ上に広がる水色の空の色は、下界に比べるとずっと薄い。
 タカマガハラは今日も静かで清々しい。三人が座っている丸い机と飾り気のない椅子があるだけのへやの中には、開け放たれた窓から涼しげな風が吹き込んで来る。
     ※
 「下界ではあいかわらず、よくまちがえられるんだろうねえ」タカミムスビは続けた。「今でもやっぱり」
 「はい」タカヒコはそう言ってから「前ほどではありませんが」と言ってからまた言い直した。「いえ、まちがえられているのかどうか、よくわからないことも多いものですから」
 「ああ、そうか。それももっともだ。なるほどね」タカミムスビはうなずいた。「それでね、もう聞いたこととは思うが、私たちは君に新しい仕事をひとつお願いしたいのだよ。オモイカネやクニトコタチともよく話し合って決めたことだから、ぜひひきうけてほしいのです」
 「はい」タカヒコはまた言った。
 他に何と言ったらいいのかわからない。
 彼はタカマガハラの若い医師の一人だった。戦士としての能力も高い。とはいえ、これまで、こんな最高の指導者たちの前に一人で呼び出されたことはなく、大きな任務を与えられたこともない。何もかもあまりに初めてのことだから、どういう風に答えていいのか、どんな態度をとればいいのか、まるっきりわからなかった。
 彼はどうだったのだろう。
 頭のすみで、ちらと思った。
     ※
 タカマガハラには身分とか血筋とかいう発想や感覚は、上から下まで誰の中にもからきしない。
 しかしそういう存在を事実としてあげるなら、アメノワカヒコの一家はまちがいなく名門だった。祖父や祖母をはじめとした親族には支配者の一人になった者が何人もいたし、ワカヒコの父と母はともにすぐれた戦士だった。二人がヨモツクニとの大きな戦いで命を落とした後、ワカヒコは親族の家に住んでいたが、それよりも彼自身がすでにタカマガハラでも有数のすぐれた戦士として、ほとんど船で生活しており、やがて若い将軍となった。
 ほっそりした、きゃしゃにさえ見える身体つきなのに、剣でも弓でも同年齢はもちろん、年上の戦士たちをもはるかに凌駕し、学問でもその他でも大きく他を引き離していた。ともすれば外見から与えられそうな、弱々しい感じはまったくなく、のどかで気軽でのびのびとしたしぐさや表情は誰からも好かれていた。ときどきちょっとめんどうくさそうに空をながめていることがあって、それがまた見る者をひとりでにほほえませるのだった。
 タカヒコと妹のタカヒメの父母は、それに比べれば、ありふれた夫婦に過ぎない。父は空飛ぶ船の設計や修理にたずさわっており、母はタカマガハラのあちこちに茂る、すきとおってきらきら輝く木々の管理点検と世話をしていた。二人とも毎日忙しく、それでも子どもたちをかわいがってくれた。タカヒコもタカヒメも同じ年齢の子どもたちの中ではともに優秀な戦士だったし、タカヒコは医師としての修業にもはげんでいた。
 何の不足もない、平凡だが幸福な日々だった。
 血のつながりも何もないのに、アメノワカヒコとタカヒコの姿かたちや顔立ちが見まちがえられそうにそっくりで、声までが区別がつかないほど似ているという事実がなかったら。
     ※
 最初に気づいたのは、いつだったろう?とタカヒコは思う。
 まだ小さい子どものとき、どう考えても記憶にない大人や子どもから、いきなり親しげになつかしそうに声をかけられたことは何度かあった。他の子どもたちと何かの集まりで、菓子やおもちゃを渡されるとき、「あれ? さっきあげなかった?」と、ふしぎがられたことも時々ある。
 タカマガハラの建物は皆、質素で小さい。ワカヒコの一族にしても、皆ばらばらに少人数で、あちこちの小さな白塗りの壁や丸太づくりの家で暮らしていた。学校もまた、あちこちに小さな建物があって、せいぜい多くても十数人の子どもが卓を囲んだり机を並べたりして教師の話を聞き、外で訓練をしたりしていた。そして同じ建物の中にワカヒコはいなかったから、しばらくはたがいに存在も知らなかった。
 多分、あの時が最初だ。ちょっと大きな競技会があって、いくつかの学校の生徒がいっしょに広場に集まったとき、小道の曲がり角で向こうから走って来た同じ背かっこうの少年と正面衝突しそうになった。
 相手はぎりぎりで身体をそらして、タカヒコを上手によけた。その身のこなしのすばやさとしなやかさは、子ども心に衝撃だったのを覚えている。身体を支えるというのではなく、おわびのしるしのように相手の少年は、軽くふわりとタカヒコの腕にふれ、「ごめん、悪かった!」と涼しい声で言って走り去った。
 さわやかな風が吹き抜けたようで、返事も何もする間がなかったが、見送ってタカヒコは思わずほほえんでいた。
 どっかで見たことある顔じゃなかったか? 聞いたことある声じゃなかったか? 頭と心のすみでちらと思ったことは、ほとんど自分でも気づいてなかった。
     ※
 そのあたりからはもう怒涛の展開というか、どこにいても誰といても、「君、彼と似てるね」と話題にされるようになった。
 タカマガハラでは男女の関係は一人ひとりの責任という感覚も徹底していて、下界に下りて驚かされたような、罪や恥やあやまちといった意識が薄い。だから大人からも子どもからも、別にさげすみも気づかいもなく、何度もあっさり、「君たちの父さんと母さんはワカヒコのご両親と愛しあったことがあるの?」と聞かれたりした。
 「ううん、聞いたことない」タカヒコの方も平気でこだわらず答えていた。「多分さ、会ったことも見たこともないんじゃないかな、四人とも」
 「ふうん、ふしぎだねえ」と相手は感心する。それだけならいいのだが、だんだん「他は似なかったんだね」「君はふつうなのにね」みたいなせりふが無邪気につけくわえられるようになった。一方のワカヒコの方が何しろどんどんあらゆる方面で頭角を現して、「あの若さで」「前代未聞」「天才だ」「信じられない」と言われるようになって来ているから、しかたがない。
 存在が華やかになるにつれて、ワカヒコはどんどん引き上げられて大人たちに混じって重要な役割をはたして活躍するようになり、その分タカヒコたちの前には次第に姿を見せなくなり、話す機会もなくなって行った。
 ただ遠目に見たときの印象や雰囲気は、びっくりするほど変わらなかった。あいもかわらず、さわやかで軽やかで、ちょっとたよりないぐらい、ひらひらふわふわして見えた。
 「ご身分にふさわしく、もっとどっしり重々しく、迫力満点になってくれたら、おまえと見まちがえられることも減るんだろうが、ちっともお変わりにならんからなあ」ほとんどと言うより、まったくワカヒコのことを話さなかった父が、一度妙に感心したように、しみじみ言ったことがある。
 「そんな無茶なことおっしゃったってあなた」珍しく家にいて、少ししおれてきた木の枝と、ふつうの枝を見比べて調べていた母が、声をあげて大笑いし、それが父にも妹のタカヒメにも、当のタカヒコにも伝染して家族四人で笑いころげた。「だって無茶でしょうが」と母がくり返し、「ほんとだわ」とタカヒメも賛成して、更にしばらく皆で笑いがとまらなかった。
 「迫力ないもんね、ワカヒコさまって」タカヒメがだめ押しのように言い、「兄さまもだけど」とつけ加えた。

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カツジ猫