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「水の王子・丘なのに」(16)/221

「水の王子・丘なのに」(第十六回)

【私は君をよく知っている】

カナヤマヒメに会って、問題のことばもたしかめて来た、とタカヒコに聞いて、クラドは何となくほっとしたようだった。どことなく気が抜けたように、毎日妃の墓が見下ろせる露台の椅子に座って、霧が晴れて咲き乱れる花が見えるようになった庭をながめていた。
 「こうやって霧が消えたから、その内にタカマガハラの船も来るだろうな」まぶしそうに目を細めて空を見上げながら彼は言った。「でも、そうしたら君も帰っちゃうんだな。皆がきっと淋しがる」
 「すぐまた来るよ」タカヒコは言った。「それでひとつ、ちょっと気になっていることがあるんだが」
 「何だい?」クラドは笑顔を向けてきた。
 「ミズハ姫って結局どうしているんだ、今?」
 クラドの顔がくもった。「わからないんだ。妃は何も言わずに死んだし」
 「家来たちは気にしてないのか?」
 「私が死んだと教えたから」
 「でも、生きてるかもしれないんだろ?」
 家来が夕食の魚を何にするかを聞きに来た。クラドはしばらく迷ってから何種類かを選び、焼き方に注文をつけた。家来は笑ってかしこまりましたと一礼して引き上げて行く。
 「だんだんこうやって、いろんなことが元に戻って行くんだな」クラドはひとり言のように言い、タカヒコが黙っていると「もうこれ以上、ひどい話を見たり聞いたりしたくないんだ」と言った。「もう時間がたちすぎてるし、ミズハが生きているとは思えない」
 「でも、もしも元気で戻って来たら、久しぶりにうれしい話になるんじゃないのか。それこそ町がよみがえって、元に戻るきっかけに」
 「それはそうだが」
 気のりのしない声だった。
     ※
 クラドはまだ疲れているのだろうか? いやなことは忘れてしまいたい、見ないでいたい、放っておけば何とかなるかもしれない。これがこの、けだるい、ものうく、気まぐれな王の人柄なのは、タカヒコもとっくに知っている。それにしても、娘の行方をたしかめる気力もないほどに弱っているようにも見えないのだがと混乱していると、「会いたくないんだ」とクラドが言っているのが聞こえた。
 「え、誰に?」
 「顔も見たくないんだよ」
 「ミズハ姫に?」
 クラドは黙ってうなずいた。
     ※
 なぜか、ふしぎと、あまり意外でない気がした。虹と霧のように目まぐるしく変化して先が見えない、この町の魅力と恐怖に次第に慣れてきているのかもしれなかった。それが自分で少し恐いのは、自分自身の思いがけない面も、どこかで見てしまいそうな気がするからかもしれなかった。
 クラドは奇妙な、投げやりなのに、人なつこい目でタカヒコを見ていた。「わけを聞きたい?」
 「まあね」
 「君がここに来る前さ。町をとざして、旅人やよそ者を皆しめ出してしまった時」
 「人手が足りなくて、世話ができなくなったんだろ」
 「それもあるが、その中には何年も親しくつきあってた、信頼し合った友人たちも何人かいたんだよ。私は苦しさをまぎらわせたくて、彼らにすべてを話したんだ。いっぺんにじゃないよ。いろんな折に、ひとりずつ」
 「それはよかったんじゃないのか」
 「まあ、最初はね。でも彼ら、一人残らず同じことを言ったんだよな。ミズハのことを、かわいそうだと。私の苦しみも妻の悲しみもそっちのけで、ただそればっかり」
 「それはしかたがないだろう。いきなり聞かされたら、誰でもとっさに思うのはまずそれだ。とりあえず何か言おうと思ったら、そう言うしか」
 「とっさだの、とりあえずだの、そんな返事はいらないよ」クラドの唇が小さくゆがんだ。「ろくに考えもしないで、とにかくわかることだけを口にしとけば自分が優しい人間になれそうな、そんなことばは。愛せない苦しみがわからなくて、愛されない苦しみしかわからない、その程度の人間の慰めなんていらない。自分にわからないなら黙っておけばいいものを。もう二度とそいつらの顔も見たくなくて、だから皆、町から出て行ってもらった」
 「君もまあ」タカヒコはため息をついた。「扱いにくいやつだなあ」
     ※
 クラドは苦笑した。「君が好きだよ、アメノワカヒコ。私のことがよくわかってる」
 「ほめてもらうほど、難しいことでもない」
 「私だって最初はそれなりにありがたかったし、ついついまじめに考えたんだよ。本当に一番かわいそうなのはミズハ姫なんだろうかってね。そう言った友人もいたんだよ。そしてそのころ私はまだ、ミズハのことが気になってたし、探しに行かせようかとか、いろんな計画もたてていたんだ。それが、考えている内に、だんだん、その気が失せてきた。それどころか、そもそもすべての原因はミズハにあるんじゃないかと思えて来た」
 「君はすべてを、誰かの、何かのせいにしようとしてるだけじゃないのか。疲れているというよりも、狂いかけてるとしか思えない。お妃のはまったと同じわなにとらえられかけているんじゃあるまいな」
 「逆だ」クラドはきっぱり言った。「妃のようになりたくないんだ。罪の意識にとらわれて死にたくないからこうしている。生きのびたいんだ。それだけだ」
     ※
 「あんな小さな女の子に、すべての責任があるなんて」タカヒコは苦笑した。「もう少しましな考え方ってないのかい?」
 「無邪気でかわいい子だったよ」クラドは言った。「小さいときから元気いっぱい、何でもほしがった。タクハタは逆に、人がほしがるものを持っているのがいやだったようで、すぐにミズハがほしがればゆずっていた。物でも人でも、その他何でも。それでますますミズハは何でもひとりじめにしたがった。私も妻も、タクハタ自身も。元気でがむしゃらな甘えん坊で、それもかわいく見えたがね」
 「ほしいものが手に入らなかったら? 泣いたり暴れたりするとか?」
 「それは全然なかったな。だめとわかれば、すぐあきらめる。もともと、すごくほしいわけでもないんだよ。だからまあ、皆もかわいがっていたんだが、言い方を変えれば、雑で冷たい子だったな。相手は何でもよかったんだ。とにかく手当たり次第にほしがる、無神経で貪欲な子さ」
 「よくもそこまで、まともに怒れる」
 「今回のことにしたってそうだ。母と姉がタヂカラオの町に行って、長いこと帰らなかった間も、あの子はまったく淋しがらなかった。私とカナヤマヒメと、おつきの皆と、この町をひとりじめして、大喜びの大満足だった。ここぞとばかりに皆に甘えて浮かれていたよ。まあそれで私たちも救われていたんだが、カナヤマヒメにはつらかったろうな。彼女は子どもに慣れてない。好きじゃないし、好かれようとも思っていない。それでも、無器用に、一生懸命、ミズハの相手をしてくれていた。妃との友情にこたえようとしてくれていた。この国に対する責任も果たそうとしてくれていた。そしてミズハは相手は誰でもいいんだから、そんな彼女に全身で甘えて、もしかしたら、それはカナヤマヒメにとっては、人を愛して愛された初めての強烈な体験で、それも少しはうれしくて、だからがまんもしてくれていたのだろう」
     ※
 「そして妃が帰ってきた」クラドは言った。「疲れ果てて、たった一人で。悲しみに満ちて私たちも少人数でひっそり彼女を出迎えた。ミズハ一人が有頂天だった。久しぶりに見る母に、飛びついて、しがみついて、笑って叫んで、離れなかった。無理もないと私たちは皆思ったし、いつものように、それが微笑ましくて元気づけられ、救われた。でも、あれはカナヤマヒメには、たまらなかったのかもしれない。昨日どころか、ほんのさっきまで、全身で母親以上になついていた彼女に、ミズハは目もくれず妃に飛びついた。その後も一度もちらともカナヤマヒメを見ようともしなかった。それでなくてもカナヤマヒメはいつも自分が注目され、中心でなくってはがまんできない人なんだ。たとえ悲しみの中心であれ、妃はあの場の花形で、何よりミズハの心を奪いつくしていた。私をはじめ、皆に祝福されながら」
 「それで、あんなことを言ってしまったって言うのか、カナヤマヒメは」
 「彼女が言ったことは許せない。これまでも、これからも。しかし彼女があんな言い方で伝えようとしたのは、嫉妬や絶望や孤独を抑えて、必死で伝えようとしたミズハへの愛や妃への思いやりだったことは、否定できない。それほど夢中で口にしたから、きっと覚えてもいないんだろう。しかし彼女にああ言わせたのは、ことごとくミズハの冷たさと鈍さとわがままだ。いいかげんで、いつだって、どこまでも、自分のことしか考えない愚かさと図々しさが生んだものだ。どんな目にあおうとも、それは彼女がまいて育てた種なんだよ」
     ※
 タカヒコはもう何も言えなかった。何か見たこともない恐ろしく悲しい景色が、次第に目の前に広がって行くようだった。
 「その後もミズハはカナヤマヒメにはもう近寄らず、まったく目もくれなかった。タクハタのことをなつかしむそぶりもなかった。私と妃をひとり占めできる喜びに、ひたすら浮かれつづけていた。このごろ考えていて気がついた。妃がミズハを打っていたとき、ミズハが着ていたのはタクハタが大好きで大事にしていた、妃が作ってやった服だ。腕につけていたのは私がタクハタに与えた腕輪だった。どちらも大切に妃がそのままにしていたタクハタの部屋に入りこんで、衣装戸棚をかき回したのにちがいない。なつかしさじゃない。ほしいものをあさったんだ。私はタクハタがこの町に帰らず、タヂカラオの町に自分を葬らせたのは、ミズハにこの町を与えてしまおうとしたからだとずっと思っていて、切なかった。自分のことは忘れて、私たち三人で楽しく生きて行ってほしいと思ったのだろうなって。そうかもしれない。でももしかしたら、彼女はもう二度とミズハに近寄りたくなかったのかもしれない。優しいようで厳しい子だった。きらいなものを受け入れるぐらいなら大好きなものも手放すような、そんなところがあった。私たちや、この町をどんなに愛していても、ミズハがいる限り、戻りたくはなかったんじゃないか。そんな気がしてならない。そして、私は」クラドは唇をかみしめた。「そんなこの町に絶対にミズハをもう、入れたくない」
     ※
 「君にはわかっていたんだろう、ワカヒコ?」クラドの声が耳に届いてきた。「私たちよりずっと前から、こういったことのすべてを」
 「え?」言われていることがまったくわからなかったので、タカヒコはぽかんとした。「何のことだい?」
 クラドは肩で息をついた。「なぜか、ずっと前から、最初に会ったときから」彼はまっすぐタカヒコを見て、笑った。「君のことなら何もかも、私にはよくわかるんだ。ひょっとしたら君自身より。もしかしたら私自身より」
 「いやそれは」タカヒコは立ち上がりたくて、しかし、足も立たなかった。「それはない。それだけは絶対にない。あり得ないんだったら、クラド!」
 「どうしてさ?」クラドはむしろ、おかしそうに身体を椅子にくつろがせ、タカヒコをまじまじと見た。「ミズハのことだって、君は私たちよりずっと早く、いろんなことに気づいてたはずだ。早い話がきらいだったろ?」
 「何を証拠に、私を仲間にひきずりこむんだ!? 私のことなど知らないくせに!」
 「じゃあ、なぜタクハタだけに弓矢や剣術を教えた? ミズハもあんなに習いたがっていたのにさ。つきまとわれても、絶妙に受け流してごまかして、決して相手にしなかった。見てるとわかるよ、あれは君が最高にいやな相手に対するときの優しい冷たさだ」
 「いやそれは、だって、いっぺんに二人教えるのは無理だし、ミズハはまだ小さかったし」
 「へーえ、アメノワカヒコに無理なんてことばがあるのか」クラドは笑い出しそうだった。「だいたい十人以上の家来たちに同時に鼻歌まじりで、全部ちがった武器や闘技を教えてなかったっけか、君?」
 「ミズハがさっき君の言ったような子どもだとは思わないし、たとえそうでも彼」危ないところでタカヒコは目を閉じた。「私は、そんな子どもを嫌いになんか絶対にならない!」
 「君が嫌ったりさげすんだりする相手は、大人も子どもも関係ない」クラドは冷ややかに告げた。「そんなこと、見ててわからないと思うのか? 君の心のかくし方もごまかし方も気まぐれぶりも、私とけっこうよく似てるんだよ。自分のような人間はあまりいないと思っていて、つい油断するところもね。君は自分で思ってるより、ずっと私に心を開いてくれていた。私を警戒してなかった。いつだっけな、ミズハが置きっぱなしにしていた君の弓矢にさわろうとしたとき、さっととり上げた動きのすばやさと言ったらもう。そのときの目の冷たさと、だめだよと言った猫なで声の優しさと言ったらもう」
 「うっかりさわられて、けがでもされたら困るからだよ。いったいもう何を言ってるんだ!?」
     ※
 「君も私が友人と信じていた、あの連中と同じなのかな」クラドの声が鋭く危険な響きを帯びた。「私を失望させるなよ、アメノワカヒコ。正直に言え。ミズハのことが嫌いだったと」
 頭のどこかが、しんと冷えて凍りつくのを感じていた。何か、心と身体の中心がゆらいで、こわれて、引き抜かれて行くようだった。自分が何におびえているのか、もうそれさえもわからない。自分が誰なのかさえ、わからなくなりそうだった。
 「言え!」クラドがいきなり大声で叫んだ。その声の大きさと、血走った目にタカヒコはふるえあがった。気がつくと、かすれた声でつぶやいていた。「嫌いだった」
 「誰を?」
 「ミズハ姫を。でも、クラド…」
 「すべての原因は彼女だと言え!」
 「…すべての原因は彼女だ」
 「どうなったって自業自得だ」
 「自業自得だ」
 クラドは息を切らしながら、のしかかっていた身体を元に戻した。「ずっとそう思ってたんだな?」
 「ああ」
 「何もかもわかってたんだな?」
 「うん」
 顔をそむけたまま、クラドが手をふった。「行けよ」
 満足さと悲しみが、奇妙に入り交じる声だった。
 かすかによろめいたが、何とか立てた。
 だが、階段を下り、宮殿を出て花の咲く石だたみの小路を歩き、自分の客舎の部屋に入るまで、どこをどう歩いたのか何ひとつ、はっきり覚えていなかった。

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