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「水の王子・丘なのに」(17)/222

「水の王子・丘なのに」(第十七回)

【来訪者たち】

気分がすぐれないから、夕食はいらないと伝えたら、家来がごちそうののった盆を、花で作った酒といっしょに運んできた。どうぞ一口でもめしあがって早くまた顔を見せてくれと、クラド王が心配していたそうだ。
 くやしかったが、酒も料理もいつもながら美味で、タカヒコはついほとんどを食べてしまった。片づけに来た家来に、うまかったよと言うと、安心して喜んでいた。クラドさまもずいぶんお元気になられて、もうこの町は大丈夫じゃないでしょうか、ワカヒコさまのおかげですと、人なつこげに言うものだから、タカヒコの気分はますます沈む一方だった。ひきつるような笑顔を無理にこさえて、家来を送り出したあとは、次第にせまる夕暮れも、庭のあちこちにかかる虹も見ないまま、灯りもつけずに、じっと寝台に座りこんでいた。
     ※
 言ってはならぬことを、どれだけ自分は口にしたのだろう。してはならないことを、どれだけしてしまったのだろう。
 タカマガハラの戦士として。アメノワカヒコの身代わりとして。
 クラドを見くびっていた。そう思うと、むしょうにくやしかった。しかも、アメノワカヒコと自分の区別もつかない人間に見抜かれるなんて! タカヒコは思わずこぶしで、自分のひざをたたいた。
 いや、全然、まるっきり、見抜かれてなさすぎるからいっそう腹が立つんだろうか。もう、何が何だかよくわからない。
 外の石段に足音が聞こえたような気がしたと思ったら、扉が静かにたたかれて、タカヒコはぎょっとした。勝ち誇ったクラドが様子を見にでも来たんだったら、本当に追い返してやる。くすぶる怒りをわずかに力に変えて、何とか立ち上がって、扉を開ける。
 「けけけ」と耳ざわりな鳴き声がした。「ワカヒコ、ワカヒコ」
 入り口いっぱいに極彩色の羽があふれて、視界をふさいで、ゆさゆさゆらゆらゆれていた。紫、金色、赤、緑。それをかきわけるようにして、コトシロヌシのいつもと同じ陽に焼けた細面の顔が現れた。「こんばんわ」彼は笑った。「びっくりしたかい?」
     ※
 彼は両手にあのけばけばしい鳥のウガヤを抱いていた。「入っていいかな?」と聞かれて、「あ、どうぞ」とタカヒコがうなずくと、ばさばさつばさを動かして居ずまいをただすウガヤを抱えたまま彼はへやに入って来たが、すぐ後に続いたタカヒコネが、「おい、そのことば使いはちょっとまずいんじゃないか」と眉をひそめて、いちゃもんをつけた。「おまえ一応ワカヒコなんだろ。コトシロヌシに敬語使ってどうすんだ。タカマガハラのエリートらしく、見下すか、せめて同等に」
 「まあまあ」後ろをふり返って誰もあたりにいないのをたしかめながら、ニニギがタカヒコネの肩を押して、自分も入ってきて扉を閉めた。「大丈夫だよ。ここ、人が少なくて変にがらんとしているし。建物も宮殿も、こんなに立派なのになあ。このへやだって、広くて居心地よさそうで。サクヤに見せてやりたいや」
 「ああ。海もよく見えるんだな」タカヒコネは窓のところに行って、遊ぶように柱にからみついて外を見ている。
 「皆さん…いや、皆」タカヒコはとまどって三人を見回した。「どうしてここに?」
 「どうって、アワヒメがそろそろ様子を見に行こうって誘うから、船でいっしょにさっき来たのさ。クラド王にあいさつもすませたよ。アワヒメとタカヒメももうすぐ来る。船は岩場の棚につないである。トリフネとタケミカヅチが荷物を降ろしてくれてるよ。おれたちしばらく滞在する」ニニギはふかふかの長椅子に手足をのばしてくつろいで、のんきにしゃべった。
 「その鳥は?」
 「ああ、この鳥?」コトシロヌシが笑った。「ウズメが飼ってたんだけど、結局私にもなついちゃってね。ことばもだいぶ覚えたし、何かの役にたちそうだから連れて行けって、ウズメが持たせてくれたんだよ」
 「この燭台、よく出来てると思わんか?」ニニギが見つけて立ち上がり、花やつるくさをかたどった、背の高い鉄の燭台を、ためつすがめつ調べはじめた。「灯をつけるのはどうすりゃいいんだ、タカヒコネ?」
 「えー、多分、そこのかけがねを外すんだろ」タカヒコネは窓から戻ってきて、ニニギと並んだが、棒立ちになったままのタカヒコが気になったのか、ウガヤを肩にのせたコトシロヌシといっしょに三人そろってタカヒコの前に来た。「おい…」
 もう何も考えられなくなった。タカヒコはいきなり両腕をのばして、コトシロヌシはウガヤを抱いたままだったから、さしあたり、ニニギとタカヒコネ二人の首にまとめていっしょに抱きついた。
     ※
 「会いたかった」そう言うともうそれきり、のどがつまって声が出せなくなった。
 「ああ、そりゃまあ、おれたちも…」
 「淋しかった」身体が大きくふるえ出して、二人にしがみついていてもとまらなかった。「恐かった」
 「そうだろうけど」ニニギは返事に困っている。
 タカヒコネの腕が荒っぽくタカヒコの背中を抱きしめた。「何でもっと早く言わないんだ?」
 「だがクラド王の様子じゃ」コトシロヌシがウガヤの羽とタカヒコの髪を交互になでながら、ふしぎそうに首をかしげた。「全然ばれてる様子とかなかったけど?」
 「ばれるどころか、もう最低です」
 「いったい何だよ、どういうことだ?」
 「とにかく、ひどい話すぎて、何から何まで救いがない」
 「すくいがないすくいがないすくいがない、けけけけけ」ウガヤが声を、ここぞとばかりにはりあげた。
 「はい、黙ろうね」コトシロヌシが鳥の大きなくちばしをつまんで閉じた。「とにかく座れよ。じゃなかったか、座って下さい、アメノワカヒコ。すぐにアワヒメさまたちも見えるでしょうから、ゆっくり話を聞かせて下さい」
     ※
 タカヒコがいつものくせで、皆に飲み物を出そうとするのを三人は押しとめ、ニニギがコノハナサクヤから持たされたという香をたき、タカヒコネはいやそうに顔をしかめながら、ツクヨミから渡されたという、イナヒのしっぽと足のかたちのまんじゅうの包みを広げた。まもなくアワヒメとタカヒメもやって来た。兄よりはるかに冷静なタカヒメは、いたずらっぽい目くばせをしただけで、「ワカヒコさま」と一礼し、はなれた小椅子にうやうやしく座ったが、カヤノヒメと二人の娘に関するタカヒコの話の一部始終を聞く内に、他の皆と同じく、その顔からは笑いが消えた。
 「何てまあ、とんでもない話なの」彼女は低くつぶやいた。「何から何まで、どこからどこまでやりきれなさが完璧じゃん」

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カツジ猫