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「水の王子・丘なのに」(18)/223

「水の王子・丘なのに」(第十八回)

【それぞれにふさわしいものを】

「だいたい、どうして私はミズハ姫について、あんなにひどいことを言ってしまったんだろう」タカヒコはしょんぼり言った。「何よりももう、それで自分が許せない」
 「しかたないだろ、クラドを落ち着かせるためだったんだから」ニニギがなぐさめた。「そして実際、落ち着かせたんだし」
 「それはそうだけど、そういうことじゃなくて」
 「君はちょっとでも本気で、そんなことを考えていたんじゃないだろ」
 「考えるわけがないじゃないか、ちらっとでも、そんなこと」
 「たしかにちょっとミズハには」アワヒメがため息をついた。「そういうところがないわけじゃなかった」
 「そんなのってないですよ!」タカヒコは本気で怒った。「タクハタ姫のような人は、何でもできるし、黙っていても皆にかわいがられるだろうけど、ミズハ姫は、自分から皆にどんどんくっついて行くしかなかったんですから。だれかれかまわず、甘えて自分を売り込まないと、えり好みしたりしてる余裕なんかないんです。そんなこと、誰よりもよくわかっていたのに、あんなこと口にしてしまって」
 「あなたがそう思っているなら」アワヒメが優しく言った。「それでもう充分よ、アメノワカヒコ」
 「どうか、その名で呼ばないで」タカヒコは懇願した。「あんなこと言って私、ワカヒコさまも汚したようでならないんです」
     ※
 「何をかけてもいいけどな」タカヒコネがそっけなく言った。「ワカヒコだって、きっとおまえと同じことしたし、言ったぞ。それどころか、平気でぺらぺら、ミズハとやらをけなしまくって、クラドが怒ってかばい出すまで続けたろうな」
 「ああ、やりかねない」ニニギがつぶやく。
 「でも、それは絶対に本心がそうじゃないから、自信がおありになるからこそ、できること」タカヒコはうなだれて首をふった。「クラドは、あの方…ワカヒコさまが、本当に本心からミズハ姫を嫌って、憎んでおいでになると言ったんです。それを信じていたんです」
 「君もちょっとは、それを信じそうになったんだね?」コトシロヌシがそっと言った。「ここにいる中じゃ、ワカヒコに会って話した回数や時間は私が一番少ないだろうが、それでもわかるよ、タカヒコ。アメノワカヒコは決してそんな人じゃない」
 「だって、わかりませんもの、私には。ミズハ姫とおられるところをこの目で見たわけじゃないし、クラドがあんなにはっきり言うからには、もしかしたら、ワカヒコさまは、やっぱりミズハ姫のような人の気持ちはわからないのか、お嫌いだったのじゃないかって、思えてしまって、絶対ちがうとどうしても言い切れなくて」
     ※
 「あきれたよ。そこまでおまえがバカとはね」タカヒコネは例によってずけずけ言った。「相手が自分とそっくりと思ってしまう、自分が一番よく理解していると信じ込んでしまうのなんて、アメノワカヒコの一番得意なお家芸だぞ。おまえとワカヒコのちがいも見抜けないような男の言うことに、そこまで一喜一憂してどうすんだ」
 「でも、クラドは、ほんとにほんとにワカヒコさまのことが好きで、あそこまで気を許しているんだから、他の人よりわかって当然じゃないかと、あんなに好かれているのに、だましていたなら、それはそれで、ワカヒコさまってひどすぎるみたいな気がして、もう何もかもわからなくなって」
 アワヒメが、ふわりと身体をのり出して、そっとタカヒコのひざに手をおいた。
 「だましたとか、嘘をついているとかじゃないの。人が勝手に思いこむのよ。ワカヒコさまの中に自分がいると。自分を憎んでいる者は、あの人を通して自分を憎むし、自分を許せる者は、あの人を通して自分を許す。あの人を愚かと言った者は愚かだったし、あの人を自分勝手と言った者は自分勝手だった。クラドもミズハを憎む心を、ワカヒコさまのそれと同じと思うことで、自分の気持ちを認めたのよ」
 「でも、クラドが語るワカヒコさまの姿って、私にも何だかひどく想像がつくんです。ミズハ姫への態度とかも、目に見えるような気がするんです」
 アワヒメは手を離して、軽く笑った。
 「そうかもしれない。でもきっと、それでもいいのよ。ワカヒコについて、もうひとつ。彼は誰にも、ふさわしいものしか与えなかった。そこは冷たいし残酷と言う人もいるかもしれないけど、私はそうは思いません。彼はどこかすぐれた商人に似ていたのかもしれないわ。使いこなせそうにない者や価値のわからない者には、貴重なものは見せなかったし、与えなかった。それで充分、相手が幸せになるようなものだけを与えていた。アメノワカヒコは思ったより大した人間じゃない、と言う者が、それで彼をさげすんで、満足し安心していたようにね。ミズハが他人に対して雑で自分本意だったら、きっちりそれだけの乱暴で粗末で手抜きな愛をワカヒコは返したでしょう。人を大切にしない人のことは大切にしない。人に残酷な人には残酷だし、愚かな相手には愚かにふるまう。わざとじゃないわ。自然と彼は相手に一番、それで幸せになるものをよこすの」アワヒメは軽く両手をひろげて見せた。「私にはカエルをくれたし」
 「カ、カエ…?」
 「何でもないの。気にしちゃだめよ」うつむいて肩をふるわせて笑いをこらえているタカヒメ以外は、目をぱちくりさせてとまどっている若者たちに涼しい顔でアワヒメはほほえみかけた。
     ※
 「とにかく明日から船もふやして、空からミズハを探しましょう」アワヒメは言った。「生きているにせよ、そうでないにせよ、一刻も早く彼女を見つけなければならないわ」
 「でもクラドは彼女を受け入れるでしょうか」
 「無理でしょうね」アワヒメは言った。「ですからもしも無事な彼女を見つけても、この町には帰しません。タカマガハラの船に連れて行って、どこか幸せに住める場所を探します。クラド王には私から話すわ。ミズハを引き取る代わりと言って、カナヤマヒメも牢から出してもらいましょう。これからは静かに霧やもやの管理だけして暮らして行くよう、彼女にもきちんと言い含めます」
 タカヒコとアワヒメの目が一瞬合った。塔の部屋で見た鏡のことを、まだタカヒコは話していない。「彼女がやはり、この町の代表として、これからもタカマガハラと関わるのでしょうか」と、タカヒコは聞いてみた。「家来たちの中には不満の声もあるようですが」
 「クラド王が説得してくれますよ」アワヒメはやわらかい目でタカヒコを見た。「心配いりませんよ、アメノワカヒコ。クラド王と家来たちの絆は強いし、カナヤマヒメには、それほどの力はありません。単純で、臆病な人ですものね。お妃のカヤヌヒメの方が、ずっと賢くて、強い人でした。クラドと家来たちが心を合わせれば、かたちだけの代表として彼女を支配しておくことは、そんなに難しくはないはずです」
     ※
 月の光の中に、バラの香りがしていた。
 「こんなに雑草が茂り放題じゃなかったら、みごとな庭だったんだろうがなあ」与えられたへやにコトシロヌシといっしょに戻る道すがら、タカヒコネが見回してため息をつく。
 「明日の朝、朝食前に、私たちで草刈りするかい? 客舎の回りだけでも、ちょっと」
 「ああ、いいね」タカヒコネはせきばらいした。「何かおかしいのか?」
 「え?」
 「さっきから笑ってるだろ。人に見えないと思ってからに」
 「いやいやいや」コトシロヌシは手をふった。「ただちょっと君が面白い言葉づかいをするなあと思って」
 「…何が?」
 「しばらくぶりで会ったばかりの相手に、何でもっと早く言わない、とか」
 タカヒコネは目に見えてがっくりした。「君は気づくと思ったよ。あんな、山に比べたら丘ほどもないみたいなやつに、何をとっさにまちがえたんだか」
 「落ち込むな。誰も気づいてなかったさ。それに、丘だって悪くない」
 「わるくないわるくない」コトシロヌシの肩の上で、頭をつばさに突っこんで寝ていたウガヤが、眠そうな声でぶつぶつ何度もくり返した。

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