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「水の王子・丘なのに」(20)/225

「水の王子・丘なのに」(第20回)

【虹と光と】

笑い出したくなるぐらい、クラドは何だかしおらしかった。それもどうやら、タカヒコに対してだけなのかもしれなかった。アワヒメの報告を落ち着いて冷静に受けとめ、ミズハのことも、カナヤマヒメの解放のことも、おだやかに了承し、礼を言った。ミズハへつきそう家来としてはイワスヒメを行かせることになり、でもナカツクニの村に行ったら私が何者か彼女にわかってしまうけど、そこはいいんだろうかとタカヒコは思ったりしたが、まあアワヒメには何か考えがあるんだろうから、まかせておけばいいと気にしないことにした。
 そういうことを打ち合わせ、今後のことを決めている間ずっと、クラドは冷静で堂々として、ここに来てタカヒコが初めて目にする王者の風格を見せていた。ただし、タカヒコと目が合いそうになると、何だかそわそわそらしてしまうし、明らかに遠慮して、避けていた。この前のことを気にしているんだろうとは察しがついたが、あまりにそれが見え見えなので、タカヒコはだんだんおかしくなって来て、わざとそしらぬふりを装っていた。別れ際に二人きりになったとき、クラドがあんまりせっぱつまった顔をしているので、タカヒコは気の毒になり、笑いをがまんできなくなるのも心配で、さりげなく「大変お世話になりました」と頭を下げた。
     ※
 クラドは返事をしなかった。しばらく床に目を落としていてから、思いきったように「この前はすまなかった」と言った。
 「どうぞ、お気になさらずに」
 「君が私の望むことを言ってくれるのはわかっていたんだ」クラドはまだ目を上げなかった。
 「そうなんですか」
 「だって君はいつもそうだったし」クラドは言った。「だから、あんなに君が逆らったのも、苦しそうにしたのも、本当に意外で、それでつい意地になって」
 「そうだったんですか」
 「本当に悪かったと思ってる」クラドは目を上げ、タカヒコを見た。「私を許してくれるよな?」不安そうな声だった。「また来てくれるだろうか?」
 「当然でしょう」タカヒコは思わず歩み寄って、クラドの手をとった。「この町も、あなたのことも大好きだし、ずっと皆さんに幸せでいてほしいし」
 クラドは肩で大きく息をしたが、まだどことなく元気がなかった。「自信がないんだ。疲れてしまって。妃はいないし、たった一人で、どうやって行けばいいのかと思うと、夜も眠れない」
 「あなたは恵まれた王ですよ。カナヤマヒメのこともちゃんとわかっているし、何より家来たちがあなたを信じて、愛している。大丈夫、あなたたちが私に最初見せてくれようとしていた楽しい町になりますよ。あなただったら、きっとやれる」
 タカヒコはクラドの手を握ったまま、軽くふった。
 「あんな幻をあなたは作れるんです。光のないところに虹なんかできません。自分で言っていたように、あのままの夢を皆で作って行ったら、そんなに遠くない将来に、それはきっと現実になる。あなた方には、その力があるんです」
 クラドの目が、まじまじとタカヒコを見た。
 「君はやっぱり変わったな」しばらくの沈黙の後で彼はつぶやいた。「昔のような君じゃない」
     ※
 タカヒコがちょっとあわてて黙っていると、クラドは手をタカヒコの腕にかけ、並ぶようにして、いっしょに椅子に腰をおろした。
 「この前だってそうだったし」考え考え、彼はことばを選んでいた。「何より、もし、昔の君が今のようなことを言ったら、心のどこかで私はきっと思ったよ。それは君にはできるだろうさ。私には無理だ、ってね。それがなぜか今はすなおに、こう思える。そう、私にもできるかしれない」
 「あなたが強くなったんですよ」心をこめてタカヒコは言った。
 「そうだったらいいんだが」クラドはまたしばらく黙っていてから、かみしめるようにつぶやいた。「昔の君も好きだった。君ならできるにちがいない。いつでもそう信じられたし、それで励まされたからね。でも」彼はまたことばを切った。「もしかしたら、今の君のほうが好きかもしれない。私にもできる。そう思わせてくれる君の方が」
 答えることばが見つからなかった。こみあげて来たのは、喜びというには何だかあまりに重すぎるような気がした。ただ目を伏せて唇をかんでいると、どうやら安心して気をゆるめたらしいクラドが、以前のようにいたずらっぽく、ひじで脇腹を小突いてきた。
 「いったい何があったんだ? 手ひどい失恋でもしたのかい?」
 そら、ここで使うんだよとタカヒコネにけしかけられたようで、タカヒコは苦笑してしまった。「私にもいろいろあったんですよ」嘘じゃないもんと思いながら口にした。「その話はいずれまた、今度来たときにでも」
     ※
 「ああ、楽しみにしているよ」
 いったん楽しげに笑ったクラドの声がまたふっと沈んだ。「ミズハのことはすまない。私は彼女をまだどうしても」
 「いいんです。彼女のことは考えちゃだめだ」タカヒコはきっぱり言った。「できることから、片づけるんです。彼女と向き合う力なんて、今のあなたにないんだから、それは後回しにしましょう。ごまかして、逃げて、生き延びるんですよ。とりあえず今は、それだけを」
 「そうするよ。やってみる」
 「あなたならできますよ。そう言えばいいんでしょう?」
 「うん。虹は光がないとできないんだよな」
 「何度でも言いますよ」
 「何度でも言ってくれ」少年のような声でクラドはしっかりと応じ、見えない未来を見つめるように顔を上げて、まっすぐに前を見た。

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